My Precious

 001

「おじゃましまーす」
そう言いながら、少し遠慮気味に玄関をくぐる。
前回この部屋にやって来たのは、いつだっただろう?
引っ越しが済んだ当時は、天真たちと一緒に何度も出入りして、荷物の整理や雑用を手伝ったりしていた。
あれからもう、二年ほど過ぎた。
他人顔だった賃貸の部屋は、すっかり彼の肌に馴染んでいるようだ。

「飲み物は何が良い?コーヒーでも紅茶でも、何でも揃っているよ。」
キッチンカウンターに立つ友雅が、食器棚からカップを二つ取り出す。
自分用の、やや厚みのある陶器のカップ。そして詩紋には、来客用の白いカップ。
「じゃあ…紅茶で良いですか。」
「ミルクとかレモンは必要かい?」
「えっと、ミルクをお願いします」
黒い紅茶缶から茶葉をポットに入れ、沸々とした熱湯を注ぎ入れる。
ピッチャーにミルクと、角砂糖の詰まったシュガーポットをトレイに乗せて、手際良くもてなしの用意をする。

その間に、詩紋は手土産の菓子を皿に並べた。
甘露煮の栗と黒糖を使った、一口サイズの蒸しケーキ。
これならどんな飲み物にも合うし、特別甘いものが好きじゃなくても、味がしつこくないから食べやすいだろう。
「詩紋は本当に器用だね。」
「器用っていうか…好きなだけなんですよ。こういうの作るのが。」
屈託のない素直な笑顔で、詩紋は答える。
京にいた時も、あり合わせの食材を見付けて来ては、工夫を凝らした料理を作って皆を楽しませていた。
この世界では材料も豊富で、ますます腕は磨きを掛けているように見える。
「私も何か、簡単なものを教えてもらおうかな」
「えっ…友雅さん、料理するんですか?」
「まあ少しはね。普段はこれでも、寂しい一人暮らしだからねえ。」
笑いながら、彼はストレートのセイロンティで舌を潤す。

一人暮らし……と言うけれど、その割にはどこか暖かみがあるものが、あちこちに見受けられる。
例えば、ダイニングテーブルの上にある籠の中には、茶碗と箸が二人分。
男物の食器と一緒に、ピンクの桜模様の茶碗と朱塗りの箸。
そんな風にして、例え目の前に姿が見えなくても、ここは確かに彼女が存在している。
「特に最近は一人の日が多くてね。そういう時は適当に作って、食べてはいるよ。」
「え、あかねちゃん、あまりここに来ないんですか?」
「卒業式までは、入り浸ってくれていたんだけどね。入学式の用意で、色々忙しいらしいんだ。」
そっか…。あかねちゃん、春から短大生だもんね。
天真先輩も大学生だし…高等部も寂しくなっちゃうな…。
近付いてくる春の変化に、詩紋はふと物思いに耽る。

「詩紋だって、学校やバイトがあって忙しいのに、時間を割いて貰って悪かったね。」
「あ、別にそんな忙しくはないですよ。バイトも今は、ちょっと暇なんで。」
詩紋は知人の洋菓子店で、休日と春夏冬の休みの間だけ働いている。
接客の仕事はもちろんのこと、厨房で簡単な手伝いもさせてもらえるので、パティシエを目指す彼には最高の職場だった。
「バレンタインや卒業式も終わったから、あまり混雑はしてないんですよ。」
「でも、ホワイトデーとかあるだろう。」
「それはまあ、そこそこお客さんも増えますけどね。だけど、ホワイトデーのお客さんは男の人だから、バレンタインほどの忙しさにはならないですよ。」
バレンタイン場合、プレゼントのチョコを貰うのは男性だが、買うのは女性だ。
スイーツ好きなのは圧倒的に女性だし、この時期はとにかく忙しくなる。
だが、逆にホワイトデーとなると…。
クッキーとかキャンディとかマシュマロとか、そう言ったおかえしが一般的。
しかし、男性がわざわざ洋菓子店に買いに来るのは、ごく一部だけだ。
バレンタインの女性客と比べたら、少ない。
まあ、たまに彼女の好みを把握した上で…と買いに来たり、甘党の男性もいないこともない。
けれど本命の相手になら、菓子より別のものをプレゼントするだろう。
そういう目の前の彼だって…おそらく。

「友雅さんは、あかねちゃんにどんなお返しするんですか?」
「ああ、バッグが欲しいって言っていたから、それを買ってあげたよ。」
入学式に使えるハンドバッグと、通学に使えそうなカジュアルなトートを二つ。
新しい生活で物入りになるだろうし、必要なものならそれをプレゼントしてやろうと思って。
「直接、店で好きなものを選ばせてあげたし。母上殿もそれを見て喜んでくれたし。良かったんじゃないかな」
「ふふっ…そうですね。」
話を聞きながら、詩紋は顔がほころんだ。

あかねの両親が友雅を、かなりお気に入りであるのは周知の事実。
特に母の方はすっかり乗り気で、逆に娘が呆れるほどだと聞く。
その証拠に、カップを持つ友雅の左薬指に光るのは---------銀色のシンプルな指輪。

「もちろん、彼女の母上殿にもプレゼントは用意したよ。」
友雅はそう言うと、カップを一旦テーブルに置いて、詩紋お手製のケーキをひとつほおばった。
「その指輪、あかねちゃんのお母さんからの、プレゼントだったんですよね?」
「ああ、おそろいで…ね。」
詩紋が指を差すと、左手を愛おしそうに包んで、彼は穏やかな笑顔を浮かべる。
あかねの母が友雅へ、バレンタインのプレゼントに贈ったものらしいが、それを選んだのにはちゃんと下心があった。
娘とペアのシルバーリング。
今は恋人同士の指輪だけれど、いつかホンモノの指輪を貰えるように…。
そんな意味が込められているのだと、あかねが困った顔で話していたのを思い出す。
「まあ、そういう気持ちでいて貰えるのは、かえって私たちとしては有り難いけど。」

やっぱりそうか…と、詩紋は改めて確信した。
以前天真が、あかねが指輪なんか着けはじめた!と騒いでいたのだ。
最初、それに気付いたのは妹の蘭。
バレンタインのバイト最終日、帰りの支度をしていたあかねが、珍しく指輪なんか着けていたので気になった。
そして、裏口に迎えに来ていた友雅の手に、同じものが光っていたのを見つけ……。
その後、蘭は家に帰って天真に吹聴して、それを聞いて天真が大騒ぎして、更に詩紋に電話までして話を広げて……現在に至る。

まさかあの二人、卒業したと同時に!?…と彼らは騒いだが、当のあかねたちは否定した。
単に、ペアのリングを着けているだけだ、と説明していた。
けれど…何となく詩紋は、そうなんじゃないかなと考えていた。
「天真たちは賑やかだからね。まだ二人だけの約束でしかないから、あまり広めたくなくて誤魔化してしまったんだよ。」
悪気はないのだけれど…と、友雅は苦笑いする。

「僕には言っちゃって、良いんですか?」
自分だって、天真たちとは直通で繋がっているのだし。
ぽろっとばれてしまい兼ねないのでは?と詩紋は言うが、友雅は微笑みながら手を伸ばして、彼の金の巻き毛をくしゃっと撫でた。
「詩紋はね、大丈夫だと思ったんだよ。他人の微妙な感情も気付ける、頭の良い子だから。」
感情が素直な天真とは対極。どちらかと言えば、詩紋は大人しいタイプだ。
しかし、その綺麗な色の目で他人の心情を、しっかりと読むことが出来る。
そして、相手が心を乱さないように、気遣うことも出来る。
「詩紋のことは、心から信頼しているんだ。だから、今日もこうしてここに呼んだんだよ。」
「…ありがとうございます。でも、それ、天真先輩とかには言っちゃダメですよ?」
絶対に彼のことだから、"俺は信用出来ないのか!"と暴れるに違いない。
「ふふっ、そうだね。そういうわけじゃないのだけれど…ま、これは私と詩紋の秘密にしておこう。」
笑いながら友雅は立ち上がり、もう一杯お茶のお代わりを用意することにした。

2010.01.10

Megumi,Ka

suga