Valentine Panic!

 004

バレンタイン目前の週末は、ついに忙しさも限界レベルに達していた。
店の前に連なる行列は、開店前から既に10人は並んでいて、時間を追う毎にどんどん増えて行く。
接客と包装に各5人で、合計10人のアルバイトスタッフ。
その他、出来上がったスイーツの補充係や、簡単な仕上げなどを行うキッチンスタッフが10人。
随分な人数が雇われているはずだが、ここ数日は休み時間もゆっくり取れないほど。

「そりゃあ、お疲れ様だったねえ。」
「もう〜、座ってる時間なんてなかったですよ、今日は特に!」
両足を投げ出して座るあかねの肩を、友雅の大きな手が丁寧に揉みほぐす。
いつもなら逆なのだけれど、重労働を労ってあげるから、と彼がその役を買って出てくれた。
「一人お客さんが出て行くと、もう2〜3人新しいお客さんが並んでて。いつまで経っても終わらなくって〜」
「それだけ評判が良いなら、作り手がさぞかし良い腕を持っているんだろうね。…はい、今度は足出してごらん。」
言われるままに向きを変えて、左足を差し出す。
立ち仕事で棒のようになったふくらはぎを、丁度良い強さで押されると気持ちが良い。
「でも、バイトも明日でおしまいだしね。あと一日、頑張っておいで。」
「頑張りますよー、ここまで来たら!」

結局、最終日の14日までバイトすることになった。
友雅の演奏会には行けなくなったけれど、悩むより今回は無理だと潔く諦めることにした。
自分のためにバイトを休むなんて言ったら、きっと彼だって引け目を感じる。
それなら、何にも余計なことを考えずに、自分のことを優先した方がずっと気楽だろう。
そう。どっちみちバイトが終わったら、そのあとは二人で過ごす約束なのだし。
お楽しみはそのあとで。
そう考えて、それぞれの用事に集中しよう。

「お店にね、すごく美味しくて売り切れ必須のショコラケーキがあるんです。それ、予約しちゃったから、明日持って帰りますね。」
「へえ。行列に並ばずに、そんな貴重なものが味見出来るなんて、バイトしているあかねに感謝しないとね。」
笑いながら二人が思い描くのは、明日の夜のこと。
一緒に過ごすなんて、今更珍しくない。
だけど年に数回のこんな時は、少しだけ気持ちが特別な感触を帯びる。
ごく弱火のコンロの上には、オレンジ色の琺瑯鍋。
中には明日のディナー用スープが、コトコトとゆっくり煮込まれている。

トルルルルル------------。

部屋の電話が鳴り出して、友雅はあかねの足から手を離した。
立ち上がり、リビングの壁に掛けられた電話の元へ急ぐ。
明日は演奏会だし、もしかしたらスタッフから急な連絡かもしれない。
「はい……あ、どうも、いつもお世話になっております。」
受話器を手にした友雅は、丁寧な挨拶をしている。
仕事関係の人かな?と、あかねは思いながら少し身体を伸ばしたが、何故かちらっと彼の視線がこちらに向いた。
……?何だろう?
リアクションに疑問を抱きつつも、友雅は話を続けている。

そして、一通り会話を終えたあとで、
「あかねさんに代わりましょうか?」
私に代わる?何で?
私が友雅さんの代わりに、出なきゃいけない相手なんて………

--------まさか!!!
「あ、ええ…そうですか。すみません、いつも引き止めてしまいまして。」
慌ててあかねが駆け寄って来て、友雅の手から受話器を取ろうとしたが、相手は特に自分と会話を望んでいないようだった。
まあ、見飽きた娘と話をするよりも、彼と話した方が嬉しいだろうけれども。
でも!何を言われるか分からないし!
「友雅さん!ちょっと、あのっ…!」
あかねは手を伸ばしたが、タッチの差でその電話は切れた。

「あかねの母上殿からだったよ」
ああ、やっぱり…。一体、何の用事で電話なんかして来たんだろう…。
用件があるなら、娘の携帯に直接掛けてくれば良いものの…。
いや、まてよ。
敢えてそうしないと言うことは、やはり娘ではなく友雅に用事があったということか?
ふと頭の中によぎる、先日の出来事。
想像を絶していた、母の突然すぎる暴挙。
その日買い求めた代物は、あかねのバッグの中に、プレゼントの扇と一緒に忍ばせてある。


「ね、母上殿が言っていたんだけれど…何か持ってきてくれたんだって?」
「えっ!!!」
もしや駄目押しのために、わざわざ電話を掛けてきたのか?
「母上殿から私にって、買って下さったものがあるって言っていたんだけど。」
「あ、まあ…ええ、そうなんですけどぉ…」
差し出すタイミングが難しくて、そのままにしていたアレ。
"母からのバレンタインプレゼントです"って、正直に言おうか。
でも、どうしてペアのリングなのか?と問われたら、どう答えればいいか?
浮かんでくるのは、あの日の母の一言。

---------『お返しはアンタから頂くわよ。お母さんに、素敵な息子をちょうだい!』
そして……
---------『橘さんを息子に出来るように頑張りなさい!その指輪で、約束取り付けてらっしゃい!』
どう説明すればいいだろうかと悩んでいたのに、まさか電話で後押しされてしまうなんて。
ああ、頭の中がパニックに陥りそうだ。

頭を抱えているあかねのそばに、友雅が戻ってきた。
細い肩を後ろから抱きすくめ、頬に掛かる髪をそっと指先で払う。
「何かお楽しみを隠しているんだろう?教えてくれても良いんじゃない?」
「う…ちょっと、いろいろと…。でも、ダメです!バ、バレンタインのプレゼントだから、当日じゃないとっ…」
「ふうん…。でも、母上殿が"早めにサイズを合わせてみて下さい"って、さっき言っていたよ?」
友雅の手が、あかねの手を取り上げた。
何故か指先をなぞるように弄る…その仕草が意味深な気がして、更にあかねは緊張してくる。
もしかして母は、その中身を告げたんだろうか…。
彼は、その中身を知っているんだろうか?
「ねえ、あかねからのプレゼントは明日でも良いから、母上殿のものだけでも、先に見せてくれないかな?」
耳朶に唇がかすかに触れて、びくっと身体が震え上がる。
「せっかくのご厚意を、無碍にしたくないんだよ。だから…ね?」
「う、ううっ…わ、分かりましたあっ!分かりましたからっ、耳朶を舐めないでぇっ!!!」
囁くような低い声が、耳の奥にまで吐息となって掛かる。
それだけでも充分刺激が強すぎるのに、更に耳朶を舌で弄られたら、もう卒倒してしまう。

こうなったら、もうすべて白状してしまおう。
少し先走りすぎる母が、どれほど彼の存在を歓迎しているかを。

2010.01.10

Megumi,Ka

suga