アルバイトを始めて1週間後、やっとあかねは休みを貰った。
さすがに人気の店と言うだけあって、毎日が目が回るほどの忙しさ。
久々の休みくらいは、のんびりと身体を休めて…と言いたいところだが、そうも行かないバレンタインシーズン。
このあとは最終日の14日まで、ノンストップで仕事の鬼になる予定だから、貴重な休日にはショッピングに出掛けた。
目的はもちろん、例のバレンタインプレゼントを手に入れるため。
だが、資金を前借りさせてもらう立場上、母の同行を断るわけにも行かず…こうして久々に、親子二人で外出というわけだ。
「しかし、あんたってバカねえ。そういう時は、演奏会を優先するもんでしょうが。」
平日の町中を、扇専門店へ向かって歩きながら母が、呆れたように隣のあかねを見る。
「だってしょうがないじゃない。バレンタインのプレゼント、奮発したかったんだもん。」
「日頃から無駄遣いしてるからでしょ。だから、いざっていう時に足りなくなるのよ。」
蘭にも負けないほどの、毒舌…。
これでも頑張って切りつめて、何とか予算をやりくりしてたのよっ。
ただ、狙いを定めた品物が、思ったより高価なものだったってだけじゃないっ。
それでも、バイトして自分で買おうとしているんだし、バカとか言われる筋合いはないと思うけどっ!?
むうっとしながら、すたすた前を歩く母に着いてゆく。
賑やかなメインストリートを外れて、細い路地を入った突き当たりにある、老舗の扇専門店。
日本舞踊に使うものから、カジュアルな現代風の扇子など、和装小物が店内に飾られている。
「へえ〜。なかなか綺麗じゃないの。これなら、それなりの値段でも仕方ないわねえ。」
電話で取り置きしてもらった扇を、店主があかねの前で一つずつ広げてゆく。
母も感心しながら、その丹念な美しい図柄に見入っていた。
「職人がひとつずつ手作りしたものですから、とても良いお品ですよ。」
絵にしても細工にしても、本格的な見方はさっぱりだけれど、普通に誰が見ても綺麗なものだと思う。
高い買い物だったが、それだけ価値のあるものだし。
やっぱり頑張って、これに決めて良かった…と、ラッピングされてゆくそれを、満足そうにあかねは眺めていた。
プレゼントを購入したあとは、今度は母の買い物に付き合うことになった。
キッチン雑貨や日用品を見て歩いたが、こんなところにもシーズンイベントは及んでいる。
カップル用のペア食器や、おそろいのタオルセット、スリッパなど…多種多様。
まさに世の中全体がバレンタイン一色だ。
「あらあらー、これなんか可愛いんじゃない〜?」
嬉しそうに母が手に取るのは、ハート形の銀のスプーン。
かと思ったら、今度は隣にあるシンプルなペアマグなどを手に取ったり。
「ねぇーあかね、お母さんもバレンタインのプレゼント、買っても良いかしらー」
「え?お父さんにあげるの?」
珍しいこともあったものだ。
今年で結婚20周年の母が、父へプレゼントをするなんてこと、誕生日くらいしか記憶がない。
けれど、何となく…今回はそういう普通のたくらみじゃなさそうに思えるのは、気のせいか。
すると母が、やけににっこり笑顔を作って、こちらを見た。
「いやあねー、お父さんにあげたって張り合いないじゃないのよ、ねえ?フッフッフ」
………!
お母さん、友雅さんにプレゼントあげようとしてる!!!
間違いなくあの浮かれた顔、絶対にそんなこと考えてるっ!!!
「言っておくけど、いくらなんだって本命じゃないわよ、一応義理ってことでね、義理。それか、今時の世話チョコとか言うのと同じようなものよー」
当たり前だ。娘の恋人に、本命贈り物を贈る母が、どこにいる!
一体何を考えているんだ…うちの母は!
「あのねえ、お母さん〜?ちょっといい加減に落ち着いたら?」
「何よ、落ち着いてるわよ。」
全く自覚していないようだが、友雅のことを考えている時の母の浮かれ足は、娘のあかねが見ても呆れる。
ああ友雅さん…この分だったら、いつ挨拶に来ても即オッケーだよぅ…。
嬉しいけれども、何故か複雑な心境の娘。
「変なもの選ばないでよー?相手はお母さんじゃなくって、ワタシなんだからっ!」
「分かってるわよ。うるさいわねえ」
後ろから娘に突っ込まれながら、あかねの母はずらりと並んでいる棚を、きょろきょろする。
シンプルなオフホワイトのカップに、赤いラインと青いラインのペアセット。
なんだか夫婦茶碗みたいな感じねえ…と思いながら、手持ち無沙汰に店内をうろつくあかねの姿を見た。
そうだ。それならいっそ…!
母の頭の中に、ふとあることが思い付いた。
「あかね、1階に行きましょ!1階に!」
「え?1階に何かお母さん、買い物あったっけ?」
1階って言ったら、アクセサリーやコスメなどのフロア。
友雅に贈るものを選ぶのなら、あまり関係なさそうなところだけれど。
「良いから良いから!さ、いらっしゃい!アンタにとっても、いいもの買っちゃうから!」
意気揚々として母は、あかねの手を引いて行く。
…どういうこと?私にとっても良いものって、何を買うつもりなんだろ?
下ってゆくエスカレーターの頭上には、ハートやリボンがぶら下がったモビールが、枝垂れ桜のように揺れていた。
「いらっしゃいませ〜。ただいま当店では、バレンタインフェアを開催しております。お求めやすいペアリングなど、各種取り揃えております。」
「綺麗ねえー。あかね、どれが良い?」
「……何考えてんの…お母さん…」
連れてこられた1階のフロアで、母が足を止めたのはアクセサリーコーナーだった。
世界的にも有名なジュエリーブランドや、国内でも名前の知れた人気ブランド。
チョコレート売り場とは違って、ここはカップルの客が意外と多い。
各店舗のフェアでも分かるとおり、彼らのお目当てはペアアクセサリーだ。
ガラスケースに並ぶ、きらびやかなリングやペンダント。ピアスなんかもある。
「指輪、買ってあげるわよ。ペアリング。」
「……はぁ!?」
母がリングコーナーの前であかねを呼ぶと、カウンターの向こうでは、清楚な女性店員がにっこり微笑んでいる。
「指輪って、何でそんなの買うのよ!?」
「良いじゃない。橘さんだけじゃなくて、アンタの分も一緒なんだから、文句ないでしょ?」
そ、そういうことじゃなくて!
どうしていきなり、指輪なんてアイテムが母の頭に浮かんだのか、知りたい。
「突っ返されないようにしてよね。ちゃんと、いずれはホンモノを貰えるように、しっかりしなさいよ!」
「ちょっとお母さん〜っ!?」
すたすたと店員に声を掛けて、何やら話を始めている母を呆然とあかねは見る。
---------やっぱり気付いてるのかな…。友雅さんに(一応)プロポーズされたこと…。
でも、例え知ってなくても、既に脳内息子作り上げちゃってるか…。
母にしても、父にしても。
「ほら、ぼーっとしてないで、好きなの選びなさいよ。」
店員がいちおしのリングを、いくつか取り出してあかねの前に並べた。
しかし、好きなのを選べと言われても、まさかやたら高いのは無理だし。
「え、えっと…じゃ、このシルバーとピンクゴールドの……」
「あっそ。じゃあすいませんけど、これをペアでお願いしますー」
レディスのみ石のついたシルバーリングは、ペアで3万円くらい。
…って、それなら扇の資金を提供してもらいたかったんだけど!と、つい本音が疼く。
「お嬢様のリングサイズ、お測り致しますね。ええと、お相手の方のリングサイズはお分かりですか?」
「えっ…指輪のサイズ?」
リングサイズを測って貰いながら、あかねは懸命にイメージを思い出そうとした。
いつも握っている大きな手…。でも、意外と太くはないんだよね、骨張ってもいないし。
長くてしなやかで、うん…男の人にしては、綺麗な手なんだけど…。
「16くらいじゃない?」
「お、お母さん、友雅さんの指のサイズ知ってるの!?」
「ええ。こないだ手袋を編ませてもらいたいからって、サイズ測らせてもらってたのよねー」
…なんて用意周到な母なんだ。呆れるどころか、もう何も言葉が出ない。
「サイズが合わなくても、寸法直しは無料で承りますよ。16でしたら、在庫もございます。」
「じゃ、これにしましょ。ダメだったら直しに来なさい。」
スッと財布の中からカードを取り出し、母はレシートにさらさらとサインを済ませる。
そうしてあっという間に、パールホワイトの綺麗なリングケースが、あかねに手渡された。