良いムードになりそうな時に、邪魔というものは入って来るのがつきもの。
キスで気持ちが高まりかけていたのに、容赦なく二人の間を引き裂く携帯の着信音。
「こんな時間に、誰だろー…」
友雅の腕からすり抜けて、バッグに入れっぱなしの携帯を取りに行く。
この着信メロディは、友達からのはずだけれど。
「はい、もしもし。………あ、ああ!うん、そう!そうなの…」
あかねは携帯で話しながら、こちらを見て拝むように手を翳し、そのまま玄関の方へ消えてゆく。
個人的な電話か。一体、誰からだろう?
まさか、例の男友達じゃないだろうな…。
あの、ちょっとあかねに目をつけていたという噂の、クラスメートの男子生徒。
いくら友達とは言っても、相手がそういう気持ちなら黙って居られない。
必要以上に、あかねとの距離が狭まらないようにしなくては。
……なんてね。
そういうことばっかり考えてしまうのも、男としてはちょっとみっともないと思うけど。
これだけは油断出来ないしね…。
誰にも譲れない。私がここに存在する意味のすべてが、彼女なのだし。
好きだと自覚するごとに、独占欲が強まって来てしまうよ。
「すいませんでしたー。蘭からの電話でした。」
「天真の妹君?遊びに出掛ける約束でも、していたいのかい?」
「ううん、違うんです。ちょっとお願いしたことがあって、その返事です。」
ピンクの携帯をパタンと閉じて、セーターのポケットに放り込む。
あかねは友雅の隣へ戻って来ると、彼の腕に絡んで身を乗り出した。
「あのですね、私、アルバイトしても良いですか?」
「アルバイト?何か欲しいものがあったのなら、買ってあげたのに。」
この部屋で一緒に過ごす日は、朝昼晩と食事を用意してくれるし、他にも掃除や洗濯などもやってくれる。
欲しいものがあるならば、御礼にそれくらいプレゼントしても良いのに…と、常々友雅は思っているのだが。
しかし、あかねとしては今回ばかりは、彼にお強請りするわけにいかない。
「友雅さんへのバレンタインのプレゼント、予算が厳しかったんですけど、バイトやれば大丈夫そうなんです。」
「何だ…。私へのプレゼントのために、わざわざアルバイトなんかするの?」
「うん、だって、すごく綺麗で素敵なものだったんですよ。実は予算の関係で、諦めかけていたんですけど…」
でも、妥協したくないじゃないか。
義理で贈るチョコならまだしも、本命の人への贈り物なのだし。
彼の誕生日、クリスマス、そしてバレンタインデー。
年に3回の、気合いを入れて贈り物を考えるイベント。
「ね、アルバイトしても良いでしょう?」
今回のお強請りは、アルバイトの許可をもらうこと。
別に保護者じゃないのだから、彼の許しを得る必要はないのだけれど…なんとなく。
「バイト先って、どこなんだい」
「駅地下のお菓子屋さんです。バイトは女の子ばっかりで、夕方からは蘭も一緒なんです。」
バレンタインのためのアルバイトなので、来客も99%くらいは女性だろう。
時間は一応午後1時から午後8時まで。
でも、蘭の話だと閉店後も雑用があるらしいので、9時か10時近くになることもありそう。
「遅くなったときは、天真くんが車で迎えに来てくれる約束なんです。」
天真も年明け早々に合宿免許試験を受けて、晴れて二輪から普通車を運転出来る身分になった。
ただし、しばらくは父の車を借りているだけだが。
「…良いよ。天真が迎えに来てくれるなら安心だし、妹君と一緒ならね。」
「ホントですかー?良かったー。」
よほど嬉しかったのが、ウサギのようにあかねはソファの上で飛び跳ねて、友雅の胸に抱きついた。
これで、あのプレゼントが手に入る。
お給料は14日のバイトが終わったら支払いだけど、何とか両親に訳を話して前借りして、買いに行ってしまおう。
「14日は私がバイト先に迎えに行くよ。あかねの仕事が終わる頃に合わせて、打ち上げを抜けて来るから。」
2月14日バレンタインデー当日は、生憎と友雅は仕事がある。
今年二度目の演奏会は、まさに演目テーマが『恋』。
以前彼が発表したオリジナル曲『恋の宴』が評判良かったらしく、是非一曲お願いしたいと招かれたのだそうだ。
「でも、そうなるとあかねは演奏会には来てくれないんだね」
「……あっ…」
しまった!と、それまで喜んでいた顔が、急に青ざめた。
バレンタインに恋の歌だなんて、絶対に見に行こうと決めていたのに…バイトがあったら、無理だ。
「どうしよう…14日って忙しいのかな…」
14日に渡すのだから、その前日までが一番忙しいんじゃないだろうか。
だとしたら、当日は少しくらい客足が緩くなるかも…。
「でも、その日は丁度日曜日だ。出来立ての新鮮なものを二人で買って帰って…ていう人も多いんじゃないかな?」
少なくとも、私ならそうするかもしれない、と友雅は自分の意見も入れて答える。
「そっか…やっぱり忙しいかあ…」
さっきはあんなにはしゃいでいたのに、今度はがっくり肩を落とす。
もう少し、予定を考えてからにすれば良かった…と、あかねは自己嫌悪気味のようだ。
「そんなに気にしなくても良いよ。仕事が終われば、夜は一緒にいられるんだから。」
包むように暖かな腕が、あかねを胸の中へ引き寄せた。
「お互い仕事を終えたら、あとは二人の時間の約束だろう?」
いつものように、この部屋で。
朝が来るまで…いや、朝が来ても、一緒に。
「それを楽しみに、あかねを思い描きながら弦をつま弾いて来るよ。」
まだまだ私は未熟だから、恋の歌を弾く時にはあかねの事を考えないと、良い音が出せないんだ---と、いつも友雅は言う。
本当なのかな?と半信半疑だが、彼の上司にそう言われたらしいから、もしかしたら本当なのかも。
だとしたら、嬉しい。
あんなに綺麗な恋の歌に、自分の姿が織り込まれているなんて。
「帰ったらあかねのために、もう一度弾いてあげるよ」
「うん。じゃあ…プレゼント用意してますから、楽しみにしてて下さいね?」
季節をそれぞれに閉じ込めた、四つの扇。
一度だけ覗きに行ったことのある稽古場は、純日本家屋で床の間もあって。
あの棚に扇を飾ったら…さぞかし様になって綺麗だろうな、と何度も思い描いた。
…あとで蘭や天真くんにも、御礼しなくちゃね。
天真くんには…そうだ、ちょっと良いチョコを買ってプレゼントしてあげよう。
何せ蘭からのは、売れ残りらしいし…。
「何?思い出し笑いなんかして、何を想像していたんだい?」
「ううん、何でもないですよ。」
他の男の子にプレゼントとか言うと、友雅さん機嫌損ねちゃうけど…天真くんはね、別だから大丈夫。
「天真くんにも色々お世話になったから、チョコをあげようと思って」
「ああ、そうだね。でも、値段はどうでも良いけれど、私とは差をつけてもらわないと困るよ?」
顔を近付けてそんな事を言うから、思わずあかねは笑ってしまった。
「友雅さんのやきもちやきー」
「そう。あかねのこと独り占めしたいから、君の周りにいる男なら誰でも構わず、私は嫉妬するよ。」
鼻の先を悪戯っぽく擦り合わせ、くすくす笑うあかねの唇を、もう一度塞いで。
きゃっ!と声を上げると、あかねは友雅に抱きかかえられる。
「さ、今夜は寒いから、湯船に浸かって暖まってから眠ろう。」
「はあーい」
無邪気に返事をしたあと、ぎゅっと彼にしがみついたら、そのままバスルームへ。
ほんのり立ちこめていた湯気は、清々しい森の香りがした。