あの夏の花火

 003
うつむいた顔を上げなくても、友雅がどんな表情をしているのか何となく分かる。
こんな根拠のないうわさ話を信じるなんて、あまりに子供じみてるとあきれてしまっているに違いない。
でも、あかねにとっては気にせずにはいられなかった。
そばにいる人が好きで好きで仕方がないくらいで。その彼と縁起でもないジンクスの場所に行くなんて、したくなかった。
信じるわけではないけれど、どんなことだって避けたかった。さよならのきっかけなんて……絶対に作りたくなかったから。

「そういうことか。ならばしょうがないな」
友雅の手が、あかねの手を引き寄せた。
「場所を移動しよう。」
さっきとは逆に、今度は友雅があかねの手を引いて歩き出した。
花火大会の会場へ向かう人の波をかき分けて、逆の方向へと進んでいく。フラッペを持つあかねの代わりに綿菓子の袋を手にした友雅は、どんどん先へと進んでいく。
たどり着いたその場所は、いつも見慣れたマンションの一室だった。


■■■


カラン、とジャスミンティーの入ったグラスの中で氷が揺れた。
クーラーのかわりに開け放ったベランダの窓からは、打ち上げ花火の音が聞こえてる。ちらっと横目で見れば、その鮮やかな夜の花を見ることは出来るだろうが、あかねはずっと背を向けていた。
「友雅さん、ごめんなさい…せっかく誘ってくれたのに、わがまま言っちゃって…」
浴衣には似合わない洋間のリビングだが、最低限のシンプルモチーフなために、さほど違和感を覚えることはない。
キッチンも冷蔵庫も生活感は皆無に等しいが、ジャスミンティーだけは切らさずに置いてある。いつ、あかねがやってきても良いように。

「あかねは、それをわがままだと思っているのかい?」
ダイニングルームから出てきた友雅は、自分用のグラスを手にしてあかねの隣に腰を下ろした。
「だって………」
彼が誘ってくれたのを、自分の意志ではね除けてしまったのだから、それをわがままと言わずに何て言うか。唐突な展開だったとは言え、少々自己嫌悪に陥ってしまう。
だが、友雅は指先をそっと伸ばしてあかねの顎を突くと、くいっとこちらを向かせてまっすぐ瞳を見つめた。
「そういうわがままだったら、大歓迎なんだけれどねえ?」
かすかに開きかけたあかねの唇を、友雅は即座に奪った。


「わがままだとあかねは言うかもしれないけれど、私はそうは思っていないよ?むしろ、そんな風に私達のことを気にしてくれているのなら…嬉しくて仕方がないんだけれど?」
「…そんなこと……」
考えても見なかった。てっきり自分だけの、独りよがりのわがままだと思っていたのに。
「ずっと別れたくないって、そう思ってくれているからのことなんだろう?」
黙ってあかねは再びうつむいた。

考えることすべてが愛らしくて、そのたびに強く抱きしめてしまい衝動にかられる。そんな素直な感情が、更に友雅の恋心に火を注いでくれるのを気づいてないのだろう。
つまらない詮索は、彼女には必要ない。想いのままに心を伝えあうだけで良い。
裏を読んだり深読みをしたり、そうやっていくうちに恋は複雑になって行き、最後には絡み合って糸が途切れてしまうことがある。
そんなことさえ、あかねに対しては必要がないから、いつも友雅は彼女に恋した瞬間を忘れないでいられる。

友雅は立ち上がって、一人ベランダの方に向かって歩いていった。
続々打ち上げられる花火は、まだまだ盛り上がりをみせている。
「あかね、こっちにおいで。一緒に花火を見よう」
「えっ?でも…さっき…」
言ったはずだ、『恋人同士で花火を見ると別れるというジンクスがある』と。だから、一緒に花火は見たくなかったと。そうやって逃げてきたのに、ここに来てまた、そんな風に言う友雅に首をかしげたが、彼が差し出した手のひらと共に向けられた笑顔に重ねて、
告げられた言葉にあかねの心が揺らいだ。

「花火なんかにダメにされるような、弱々しい関係じゃないだろう?私たちは」


+++++


ベランダに腰を下ろして、あかねは空を見上げる。その肩を、ずっと友雅は隣で抱いていてくれている。
花開く、その夜空を二人で眺めた。二人しかいない、この部屋の中で。
「外で見るよりも、ここの方が見物するには一等席だね。」
「…そうかも。ゆっくり見られるし、暑くないし」
「誰にも邪魔されないから、くらいは言ってもらいたいね?」
あかねは笑って、友雅の胸に頭をうなだれた。

改めて眺める花火は、とても綺麗に見えた。遮る建物のない広い空間で、真っ正面に見える。
夏の花火は大好きだ。花火大会の大きな花火も、お店で買える家庭用の花火も。
「ホントは、花火大好きなんですよ。小さい頃から、夏は毎日のようにやってたんです。線香花火とか手持ち花火とかねずみ花火とか…」
形や色や煙までもがそれぞれ違って、わくわくしていた幼い夏の日。もう、遠い昔になってしまったけれど。

「今度は線香花火でも買って、一緒にやってみようか?」
「あー、楽しそう!私、もう随分花火なんて買ってないし」
派手な打ち上げ花火も良いけれど、小さくて素朴な花火も味わいがあって良いものだ。
しかも、二人きりで楽しむなら…それくらいひっそりとしたものの方が何となく心地良い。

「打ち上がって、ぱっと散るから……別れるなんてジンクスが生まれるのかもしれないねえ」
友雅が納得しながら、そうつぶやいた。
噂というものは、何か意味の通じる情景があるというものだが、そう思えばそんなジンクスが広まるのも不思議ではないと思う。
だけど、すべてがそんな結果になるわけがない。ましてや、そんな結果になんてさせやしない。

「散るというよりも、大きく花開く…っていう意味に取った方が良いね。恋の花が咲く、と思えばまんざら悪い気はしないんじゃないかな?」
「あ、そっか……」
とらえ方の目線を変えるだけで、意味はいくらでも変わる。だから、いくらでも自分たちのこれからだって、変えていけるはず。


夜とは言え、まだ暑さは残る。
「今夜も熱帯夜になりそうだけれど--------------」
あかねの肩に触れる友雅の手が、強く力を込める。そっと物憂げに見上げるあかねが、黙ってそっと瞳を閉じた。
夏の焼け付く太陽よりも、熱い熱いキスとぬくもり。

このままずっと、熱帯夜に浸っていたい。二人の心だけは、永遠に続く夏のままで。





-----THE END-----




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