あの夏の花火

 002
浴衣に限らず、着物を着るときは何かと色々気を遣うものだ。
はき慣れたミュールと同じような歩き方は出来ないし、アクセサリーも愛用しているものは付けられない。浴衣には浴衣なりに、よりいっそうスタイルを引き立てるようなものがある。
いつもは手にすることのない小物たちも、少しでも見た目良くなれるのなら駆使しない手はない。
黒塗りの下駄には赤い小花の鼻緒、涼しげな細工が施された白檀の扇子、浴衣と同じ共布で作ってくれた竹篭の巾着。用意出来るものは全て揃った。

「あ、そうだ!そういえばこの中に…」
何かを思い出したあかねは、ドレッサーの引き出しの奥を探った。そこから出てきたのは、一本の漆塗りのかんざしだった。
赤いガラス玉とベッコウで出来た花が三つ。レトロなデザインは、数年前に亡くなった祖母が残したものだ。
あかねの年令には華やかさに欠けて物足りなさはあるけれど、古いとは言え友雅がくれたこの浴衣にも負けない代物である。
後ろで髪を軽く束ねて、くるっとねじってかんざしを差した。髪の毛が短いから、ひとつしかシニョンは出来ないし、ピンで留めなくてはほころんでしまうけれど、やはりこういうアクセサリーは和服だからこそ似合うものなのだ。


姿見に全身を映し出してみる。なかなか良い感じにまとまったな、と少し自画自賛してうなづいてみる。
ひらりと後ろを向いて背中を映してみる。母に手伝ってもらいながら締めた帯も、何とか形良く結ぶことが出来たので一安心だ。
あかねのために仕立ててくれた浴衣なのだから、すみからすみまでしっくり馴染む。袖の長さも裾の長さも、ぴったりとあつらえてある。
子供っぽすぎない紺色の生地と、それに映える華やかな柄。もしも自分が浴衣を買ったとしたら、もっとカラフルな色や今時の柄を選んだかもしれないが、友雅の選択は違っていた。
大人びているわけじゃないけれど、幼さはない。品の良さを感じさせる生地。

いつもどこかで気にしている、友雅との世代という距離。どれだけ走っても追いつくことの出来ない年令の差の間で、二人の価値観の違いがすれ違いに変わることを恐れている。
だから、わがままなんて言わないように我慢している。そんな子供っぽいこと、しないように気を付けている。
彼との視線が、出来るだけ同じ位置にあるように背伸びをしたいけれど、それでも届かなくて歯がゆいときが多々あるけれど、こんなプレゼントを目の前にしたとき、ふとそれまでの緊張が緩んでくる。
-----もしかしたら自分が思っているよりも、友雅は自分を子供に見ていないのかもしれない。
そうだとしたら、素直に嬉しいと思う。


■■■


祭囃子の音が近づくにつれて、人通りは多くなってゆく。あかねと同じように浴衣姿の女の子たちが、後れ毛を揺らしながらはしゃぎつつ通り過ぎていくと思えば、いつもとは違ったお互いの姿に戸惑いつつも、寄り添って歩く恋人同士も多く見られる。
屋台のおもちゃに夢中になっている子供たち、明るいオレンジ色のちょうちんが闇を照らしていた。

「こっちだよ」
蝋燭がともった灯籠の向こうで、背の高い人影があかねを手招きして呼んでいた。声のする方に、足早で近づく。
「友雅さんっ!」
薄い闇に透けて彼の顔が見て取れた位置まで近づくと、その腕に飛び込むように駆け寄ったあかねを難なく友雅の手は受け止める。
「随分と久し振りだったね」
あかねの身体を抱き留めたまま、その柔らかな頬をじっと見下ろすと、そう言って彼は微笑んだ。
久し振りに…彼の瞳にあかねの姿が映る。それを、自分の目が確認する。友雅の目の中にたった一人だけ、自分だけが映っているのを見ると幸せな気分になれる。

「浴衣、よく似合ってるよ。こんなに可愛い姿を見られるなんてね…あかねのために選んだ甲斐があったというものだよ。」
彼女の身体を包み込む生地を、そっと手のひらで撫でる。さらりとした紬生地が涼しげだが、丹念な柄のせいか上品で高級感がある。
まだ少し、彼女には早いタイプのものだろうかと思ったりしたが、友雅にとってあかねは単なる少女ではない。唯一、自分のすべてを許せる女性…かけがえのない女だ。
そんな彼女に安っぽいものなんて、捧げたくない。彼女が本当の大人に変わっていくためのアイテムを、自分の手で最高級のものでサポートして行ってやりたいと思うのだ。
「和服ってあまり着慣れてないから、ちょっと動きづらいんですけどー…」
「何度も着ていくうちに、覚えてくるものだよ。まだ夏は終わりじゃないし、秋にはまた秋祭りがあるしね?」

夏が終わり、季節が秋に移る頃。五穀豊穣の実りの祭りが始まる頃には、もう少し着こなしが馴染んでくると良いな…とあかねは思った。


「でも、友雅さんも浴衣で来るとは思わなかったですよ。てっきり、いつもの洋服だと思ってたのに」
参道の屋台でつり上げた、赤い水ヨーヨーを指先で弄びながら、腕を組んで歩く友雅を見上げてみる。少し青みのかかったグレーの紬で仕立てた浴衣の襟元を、ラフに着崩しているが下品ではない。
すらっとした長身と、広い肩幅が目に映える。ゆるく後ろで束ねた波打つ長い髪が、物腰に艶やかさを与えている。
「あかねが浴衣なのに、こっちが洋服じゃあね。もう随分と着たことはなかったけれど、スタイルが崩れていなかったのが幸いして新調しなくても済んだんだよ」
さっき『着ているうちに慣れてくる』とか言ったくせに、妙に友雅の浴衣姿は様になっている。落ち着いた柄と色合いの生地が大人っぽくて、なのにどこか華やかで………。

「ほら、あかね」
ふいに目の前に手渡された、ピンク色のふくらんだビニールの袋。
「大好きだったろう?綿菓子。前に連れて行ったパークでも、よく食べていたよね」
小さい頃から、お祭りに行けば必ず買ってもらった綿菓子。可愛いキャラクターの袋も手伝って、甘くて夢のようにふんわりした綿菓子が大好きだった。
頬張ると舌ですっと溶けてしまうのが、おとぎ話に出てくる魔法の雲みたいな気がしてた。
好きなものはどうしても避けられなくて、子供っぽいものだと思っても手を伸ばさずにはいられなくて、つい友雅にねだってしまったパークでのデート。
そんなあかねをからかうこともなく、彼は今と同じように綿菓子を差し出してくれた。それがすごく嬉しかったのを覚えている。
「ありがとうございます…覚えてたんですか?私の好物」
「それくらい覚えていないとねえ…あかねの喜ぶ顔を見るための下準備は出来ないからね」

さっきより強く、ぎゅっと友雅の腕にしがみついた。
会えなかったこれまでの数日間。蓄積されてしまった一緒に過ごせない日々の不満を、そんな一言でものの見事にゼロにしてしまう友雅の言霊の力。
あかねの喜ぶことしか、彼は口にしない。喜ぶことばかりしてくれる。
どうしてそこまで、この胸を幸せにさせてくれるんだろう。そんな彼がたまらなく愛しくて---------たまらない。



しばらく歩いているうちに、突然友雅が歩みを止めた。
立ち止まって、遠くの夜空を見上げる。
「さて、そろそろ始まる頃かな?」
「…始まる?」
空を見上げた視線を、あかねに落とした次の瞬間。

----------パパーーーーーーーン!!!
----------ドーーーーーーーーン!!!

爆音と共に、真っ暗な空へ色とりどりの花が咲き誇った。七色の粒が大輪の花のように舞い、雨の滴のように流れ落ちてくる。
辺りにいる人々が、一斉に空を見上げた。続けざまに勢いよく爆音が続き、更に明るい打ち上げ花火が夜空を染めていった。
「ここの夏祭りの初日はね、いつも花火大会があるんだ。だから誘ったのだけれど……………あかね?」
周囲が空を見上げているというのに、何故かあかねは花火に背を向けていた。そして、懸命に友雅の袖を引っ張って、どこかに移動しようと意思表示をしている。
「あかね?気分でも悪いのかい?」
「そ、そんなんじゃないです!でも……ほ、他に移動した方が良いですっ!」
「せっかく花火が始まってるのに?」
「………」
あかねは何も言わなかったが、必死にその手の力が友雅をその場から引き離そうとしているので、彼は取り敢えず何も聞かずにあかねの動きに従ってその場を後にした。


■■■

トリコロールの紙コップに山盛りに積もった白い雪山。その上から、鮮やかないちごのシロップが頂を染めている。
口に入れた瞬間に、夏であることを忘れるような清涼感が一瞬感覚を鈍らせる。
「花火が嫌いだとは知らなかったな。連れ出して悪かったね。」
音が苦手というなら分かるのだが、その場から逃げるほど花火が嫌というのは思っても見なかった。こんなイベントに誘ってやれば、てっきり喜んでくれると思ったのだが計算違いだった。
予想外というものは色々ある。これからわきまえて置かなくては、二度も失敗を繰り返すわけにはいかない。
友雅がそう考えていると、あかねが困ったような顔をしてこちらを見た。

「ち、違うんです!これには理由があるんですっ…!」
理由?やはり、あの爆音が苦手だから、というような理由だろうか。
それならばこんな近くにまで連れて来ないで、マンションの部屋から眺めさせてやれば良かっただろうか。友雅の住む部屋は高層マンションの12階だ。リビングの窓は花火大会の会場である湖に面しているから、見学するには最高の場所にもなるだろう。
しかし、あかねの口から出てきた彼女の理由というものは、もっとわかりやすいものだった。

「だって……花火大会って、恋人同士で見に行くと…別れるってジンクスがあるって聞いたから……」

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Megumi,Ka

suga