あの夏の花火

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電話で声を聞けば聞くほど、会いたい気持ちは深まって行く一方だ。
連絡も取れないのは辛いけれど、手を伸ばせば握り返してくれるぬくもりが欲しい。
一度、その感触と嬉しさを知ってしまったあとは、声だけのコミュニケーションでは物足りない。
どんどん、わがままな贅沢者になっていく自分に気づく。
夏は--------もう本番だ。


ぎらぎらと照りつける太陽の光が、朝からずっと庭の芝生を焼き尽くすように緑に反射している。
夏休みに入って2週間ほど過ぎているというのに、駅前のビルのセールを覗いたことくらいしか外出の記憶がない。
毎日、気温の暑さで否応なしに目が覚めて、アイスコーヒーにミルクをたっぷり入れたカフェオレを片手に、ごろごろしながらため込んでいた本を読んだりしている。
それか、友達から借りたままになっていた映画のDVDを見たりしているか。
若い娘の夏休みの過ごし方にしては、あまりにたるみすぎている!もちろんそんなことは、あかねだってとっくに自覚している。
『こんなに暑いんじゃ、どこも出かける気にならないよ……』
クーラーがきいているはずなのに、少し動けば手足が汗ばむ。そんな季節だ。


本当は、暑いから出かけたくないわけじゃない。出かける理由がないから、こうして自宅待機しているというだけのことだ。
夏は暑いのは当然。暑くなかったら、夏らしくない。そう割り切って考えるようにしているから、それなりに夏の楽しみ方を探してきたつもりだった。
海に遊びに行く、少し奮発してホテルのプールに泳ぎに行く、キャンプに行ったり、川辺でバーベキュー…なんてことは、夏だからこそ楽しめるものばかりだ。
毎年毎年、友達とそんな夏を過ごしてきた。
だけど今年は……ちょっと違う夏になりそうだと思った。
友達とはしゃぐ夏も楽しいけれど、彼と二人で過ごす初めての夏というものは、それ以上の魅力を秘めたものだから。

それなのに、どうしてこんな毎日を過ごしているんだろう。
彼と会ったのは、もう10日くらい前のことだった。それも、ほんの数時間のデートだけ。
仕事帰りに待ち合わせて、夕飯を一緒に食べた…それだけのこと。あっという間に会話の時間は過ぎて、家に送り届けてもらって…それからは二日に一度の電話でのデート。
バリバリの高校生であるあかねと、社会人の友雅とでは生活習慣が全く違う。夏休みは一ヶ月半というのが当たり前の高校生。方やお盆休みの数日間が夏休み、という社会人。
そんな友雅も、いつ夏休みがまとまって取れるか分からない。少人数の社員で構成された小さな企業とは言え、今やその名を知らない同業者はいないとも言われる会社の社長ともなれば、休む余裕など皆無に等しい。
仕事に熱心なタイプではないけれど、会社を放っておくことも許されない。昼はいつもどこかの社長たちと会食しているし、週末でも会議やパーティーは日常茶飯事。だから、あかねと過ごす時間は限られてしまう。

あかねの部屋のクローゼットの中にある、カルティエのネックレスもヴィトンのショルダーも、グッチの財布もプラダのバッグもすべて彼がくれた。
女子高校生が日常的に使いこなすなんてことは無理なのに、手抜きのないプレゼントを友雅はあかねに選んでくれる。"会える時間が少ないから、せめてプレゼントくらいは力を入れさせて欲しい"。そう言って、会うたびに何かをあかねに手渡してくれる。
こんな高級ブランドがずらっと並んでいたら、さぞ友人たちは興奮するに違いないのだけれど、あかねにとってはこれら一つ一つの値段よりも尊くて、欲しいものがある。

--------会いたい。友雅さんに会いたいなぁ。電話ばっかりで、もう10日も会ってないよ。
--------欲しいのは、一緒にいる時間。二人で一緒に過ごせる時間が欲しいよ。


ずっと手放せない携帯電話が、昼間に鳴ることは皆無に等しい。だけど、持っていないと気が気でない。
唯一の大切な連絡機能を、見過ごすことなんかしたくないから。




うたた寝していたあかねを起こしたのは、いつもの母の小言ではなかった。
『そんな格好で寝てたら風邪ひくわよ』と、背中を突かれる感触もない。響くのは、携帯からの着信メロディ。
特別な人からの電話でなければ、かかることのない音。オルゴール仕立ての『Loving You』。
「も、もしもしっ!」
即座に起き上がって、慌てて姿勢を正して正座する。誰が見ているわけでもないのに、寝返り打ったせいで乱れた髪まで手ぐしで整えて。

「どうしたんだい?受話器を通しても慌てているのが目に見えるようだよ」
笑いながらそう言う友雅には、もしかしたらあかねの状況が本当に見えてるのかも知れない。
「と、友雅さんこそどうしたんですか?こんな時間に電話なんて、珍しい…」
テレビの上にある時計の針は、もうすぐ午後2時を指そうとしている。普段は仕事が終わった夜くらいしか電話が来ない。まだ明るい日差しのうちに、彼の声を聞くことが出来るのは新鮮な感じだ。
「さっき、取引先との会食が終わって、部屋に帰ってきたところでね。少しくつろぐ時間が取れたから、たまにはこんな時間の電話も良いかなと思ってかけてみたんだけれどね」
声に耳を傾けながら、あかねは表情をほころばせた。ほんの少しの自由時間でさえ、自分の存在を忘れないでいてくれることが嬉しくてたまらなくて。
会えなくても、そんなことを感じるたびに胸が熱くなる。

「ところで、あかねは今週末は友達と約束が入っているのかな?」
「週末……?別に何もないです…」
友雅には言っていないが、週末はいつだって空白にしている。会えなくても電話くらいはゆっくり話したい時間が欲しいから、友達の誘いは絶対に入れていない。
「なら、久し振りにデートでもしようか」
それはあかねが一番嬉しい、そして一番欲しかった一言だった。

「仕事は…大丈夫なんですか?忙しいんじゃ…」
「いや。取り敢えず今週で一端休止になる予定でね。取引先の方も休みに入ってしまうし、そうなると週末から少しの間はやっと少しの夏休み到来っていうところだよ」
社会人だから、あかねのように長い時間を休めることは無理だけれど、たった数日とはいえ夏の休暇は重要なものだ。
体調を整えることだけではなく、こんな風に会いたい人と過ごすことだってメンタル面を癒す大切な時間でもある。
「週末は、うちの近くでは夏祭りがあるらしいよ。この間、買ってあげた浴衣を着る良い機会なんじゃないかな?」
まだ一度も袖を通していない、桔梗と蝶のレトロ風な浴衣。もちろんオーダーメードで、あかねのために仕立てられた浴衣を友雅が夏の初めにプレゼンとしてくれたものだ。
花火大会や町の祭りに着ていこうと思ったりしたが、やはり最初は彼に見せたくてしまったままになっていたものが、ようやく日の目を見ることができる。
「せっかくの夏の夜だからね。たまには日本の夏らしいデートをしてみよう」
「…うん、良いですね!楽しみにしてます!」


待ちこがれていた、本当の夏がやっと始まるような気がした。






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Megumi,Ka

suga