瞳・水晶

 002
「おかえりなさい。今日はずいぶん帰りが早かったのね」
家について玄関のドアを開けると、母が既に寝間着に着替えていた。『早かったのね』と言われる時間…ではない。時計は午後11時近くになっている。ただ、いつもよりは早い時間だというだけだ。
「友雅さんは?」
「……ん?す、すぐそこで帰った。お仕事忙しいみたいで…」
「そう、大変ねぇ。しばらくデートもなかったものねぇ。」
多分母は友雅がいつものように、ここまであかねを送ってきてくれたと思っているだろう。
本当は……タクシーで一人で帰ってきた。
いつもみたいに『送って行って』と口に出せない雰囲気があったからだ。
何でもない日常的に使えていた言葉が、今日はどうしても言えない。
友雅の目を見ていたら……そんな気がして。

………友雅さん、疲れてるのかな。大丈夫かな…ひとりにしておいて。
まだこっちのことで分からないことがあるだろうし……。
………やっぱり帰ってこない方が良かったかな…。それに………もっと一緒にいたかったし。
しばらく会ってなかったし。ずっと会いたくってしかたなかったけど、友雅さんの邪魔しちゃいけないって自分に言い聞かせながら、我慢し続けてやっと会えたんだけど……。

ずっと、毎日でも、会いたいって思うのは…………やっぱり子供の考えなのかな。
大人だったら、もっとクールに考えられないといけないのかな。

ベッドにもぐって何度も同じ事を考えては後戻りしながら、いつしかあかねは眠りについた。


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「おまえな、フツー彼氏の誕生日のプレゼント探しに行くってのに、他の男を引き連れてくってあるかぁ?」
何のかんのいいながらも、誘い出した日曜日の午後に天真は付き添い歩いてくれた。
人通りの多い休日。どこにいても人の声が聞こえないところはない。楽しそうな会話があちこちから耳に入ってくる。
「で、決めてんのか、肝心のモノは」
「……まだ決めかねてる」
「あ?何モタモタしてんだよ?あいつの誕生日って明後日だったろうが!」
今日は6月9日。あと2日。しかし友雅へのプレゼントは決まっていない。
元々あれこれと悩んでいたに加えて、この間のデートでの雰囲気が頭の中にこびりついてしまい、プレゼントを考える余裕さえない毎日だった。
それでも日々は過ぎて行くのだし、いくらなんでも何一つ用意できないようじゃまずい。
だけど考えはまったくまとまらなくて仕方がない……というわけで、助っ人(になるかどうか分からないが)の天真に白羽の矢を立てたのだ。

「どうせおまえのことだから、あれこれ目移りして決まらないんだろ。誕生日なんで毎年やって来んだから、そう今年にこだわんなくたっていいだろうに」

毎年やってくる。それはこの世に生を受けたときから何度も続く。
来年……一年後、自分はどうしてるだろう。友雅はどうしているだろう。
こうして一緒にいる保証は……………どこにもない。

「さっさと決めようぜ。俺、朝飯食ってねーから腹減ってんの。用事早いとこ済ませて飯食おうぜ」

すたすたと天真は人ごみの中を率先して歩く。
町中はブルー一色。ワールドカップの真っ最中。日本代表のユニフォームの燐とした青さが目に入る。
ファッションビルのオーロラヴィジョンに、緑のフィールドを走り抜けるどこかの国の選手の姿が映っている。

「お、すげえシュートっ!さすが本場のヤツあ違うぜーっ」
何気なしに画面を見ていた天真が、拳を振り上げてゴールの瞬間に声を上げた。



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テレビ、というものを初めて見たときは驚いたものだが、慣れてみると結構楽しいことに気付いた。色々なものを自分の好みで見ることが出来るし、鮮やかに映し出される映像も綺麗なものだ。

が、ここ最近はどこも蹴鞠をしている画像がよく映っている。
「この時代でも蹴鞠なんてあるんだねえ……」
ぼんやりと冷えた酒を少し口に付けながら友雅は独り言を言った。
明らかに体格も顔つきも違うものたちが何人も集まって、鞠を蹴っている。向こうの時代では友雅も何度か同じ様なことをたしなんだが、どうやらこっちの世界の蹴鞠はじっとその場で鞠を蹴っているだけではなくて、その鞠を蹴りながら走り回らなければいけないらしい。
「ホントにこの世界は忙しいね……じっとしていたら置いてきぼりを食らってしまいそうだ」
友雅は苦笑する。

最近身体が重いと感じている。慣れてきたことで生活のサイクルを、今の時間の早さに追いつこうと自発的に動いてしまっているからだろう。
時間というものの余裕が欲しい、と友雅は感じていた。
あかねのことを考える時間さえも、今はわずかなものになってしまっている。
会いたいと思っていても、それを伝える時間がない。そうやって日々が流れて行く。
一緒にいなかったら、ここにやってきた理由などないのに。あかねのそばにいたいからこそ、ここで生きて行くことを選んだというのに。

あと何年かしたら、少しは昔の自分のようにゆったりと時間を過ごす術が見つかるだろうか。いつになれば、そんな自分になれるだろう。
そのとき、あかねは手の届くところにいるだろうか。
会えない日々の中で、互いの間に溝が出来てしまわないだろうか。
めまぐるしく変わり行く時間のスピードに流れて行ってしまわないか。
確証など、どこにもない。

会いたい。 
つぶやくのは独り言で、それを聞いてくれる相手はそこにはいなかった。

大勢の観衆の歓声がテレビの中から聞こえる。
眩しいくらいに青々とした芝が友雅の目を貫いた。

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Megumi,Ka

suga