熱愛イニシアティブ

 005

結局横になっても眠れるわけもなく、6時前なのにあかねはベッドから降りた。
友雅は慣れた手つきで、コーヒーメーカーをセットしている。
そんな彼のそばに、あかねは歩み寄る。
「眠らなくて平気なのかい?」
「うん…もう目が冴えちゃったんで…」
だったらコーヒーは二杯分にしよう、と言って、豆を更にあと1杯追加。
赤いボタンが点滅すると、しばらくしてコポコポという音と一緒に、ほろ苦い香りが部屋に漂い始めた。

ダイニングのチェアに、友雅は腰を下ろした。
それに続いて、あかねも向かいに座ったのだが、相変わらず言葉が出て来ない。
普段なら、いくらでも会話出来るのだけれど、こうして理由がある時は…それに捕われて自由に話せない。
仕事のためにお店に出入りさせて…なんて、図々しいんじゃないかな。
そもそも友雅さんだって、オーナーさんに許可を取らなきゃダメなんだから、勝手には決められないじゃない?
そんなこと頼んだら、友雅さんに迷惑がかかっちゃうんじゃない?


「昨日開店前の掃除をしていた時、テレビをつけたままでいたんだけど、あかね、ちょっとだけ映ってたよ。」
「えっ?」
びっくりして顔を上げると、足を緩く組んで友雅はこちらを見ていた。
「記者会見のニュースで、ちらっと映ってたらしい。うちのオーナーが見つけたんだけどね。」
そういえば、確かあの会見は、テレビのニュースでも生放送すると言っていた。
「まだまだ確実な手掛かりは、掴めていないみたいだね」
「はあ…。警察だけじゃなくて、捜査局も動いているのに…なかなか。」
もしかしたら、極秘で何かしら当局は掴んでいるのかもしれない。
さすがに、国家からある程度のサポートを受けて動ける組織は、ちょっとした無茶も可能だろう。
だから、彼らよりも先にスクープを狙うには…"あらゆるコネを有効に使え"と、ボスのお言葉がよみがえる。

コーヒーが出来上がったみたいだ。
友雅はポットを取り、あかねと自分のカップに半分ずつ注ぎ入れる。
「そういえば、夕べもうちの店に彼が来てね」
「えっ…彼ってまさか、ア、アクラム…?」
「そう。相変わらず高いボトルと豪勢なオードブルを嗜んで、お偉い方の客と談笑していたよ。」
まあ、談笑と言っても笑っていたのは、アクラムに群がっていた方だが。
「お偉いさんって、結構な著名人ですか?」
「うん、そうだね。誰でも一度は顔を見たことがあるような…そんな人種だよ。同じ仲間同士、何か引き寄せるんじゃないかな」
確かに…アクラムは数社の経営を担う実業家だから、それは理解出来る。
でも、何故近付くのだろうか。
それにはきっと、何らかの利益が生じる理由があるはずだ。

「他にもアクラムに話し掛ける人とか、たくさんいるんですか?」
「ああ、いろいろね。」
興味本位の女性たちや、成金富豪。
彼の気を引くことが出来るかは分からないが、取り巻く者たちは多方面から集まって来る。
「何を話してるんでしょうか?」
「さあ?」
「もしやアクラムと何らかパイプラインを持ってて、それに関した話とか?」
「それはお客様のプライベートだから、私も耳を峙てることは出来ないし。何も答えられないよ。」
ぱっと手を翳されたあかねは、はっと我に返った。
さっきまでは、どう切り出そうかと悩んでいたのに、情報が飛び込んで来たら…いつのまにか身を乗り出していた。

恋人と二人でいる空間で…何やってんの私。
仕事と恋愛、比重のバランスがめちゃくちゃだ…。


「でも、彼らの近くにいるお客様が、自然に聞こえてきてしまったら…それは別に問題はないと思うけどね。」
友雅の手が戻り、カップを掴む。
「店の中で、張り込んでみたら?」
「えっ…!?」
「例えば…あかねがお客の振りをして、彼の席の近くに座ってみるとかね」
予想もしなかった、彼の発言。
もしかしてこれは…今まで悩んで来たことと同じ…意味のこと?
「店の外より、中の方がディープな情報が溢れていると思う。スクープを狙いたいなら、私がフォローしてあげるけど?」
「…ホ、ホントにっ?」
まさか…彼の方からチャンスを与えてくれるなんて。
悩んでもやもやしていたのが嘘みたい。
目の前が眩しい朝日で、ぱあっと明るく照らされたような気分。

「それでスクープが取れれば、少しゆっくり生活出来るんだろう?だったら、いくらでも協力するよ。」
ポットに残ったコーヒーを、半分ずつカップに注ぐ。
あかねのカップには、なみなみとコーヒーが残っているのに、きっちりと最後の一滴まで半分に。
彼のカップの方は、既にからっぽと言えるのに。
「だから、それに合わせて仕事の予定を組み直しておいで。こっちで無理はさせないから。」
そう言ってコーヒーを飲み干し、友雅は空のカップをシンクへと運んだ。


「……ん?どうしたの?」
蛇口から弾ける冷たい飛沫が、手のひらに当たるのとは正反対に…背中から通じるのは暖かい感触。
小さい頃と変わりない白い手が、友雅の胸に絡んだ。
「ありがと…友雅さん…。ずっと悩んでたの、私…」
「悩んでた?どういうことで?」
吹っ切れたのか、あかねはやっと言葉が紡げるようになった。
同僚の天真やボスから、コネを使って店に張り込んでこいと言われたこと。
それを、どうして今まで言えなかったのか…その気持ちも、全部言葉にした。

「そんなこと気にしないで、いくらでも頼んでくれれば良かったのに。」
「だ、だって嫌だったんだもの…利用するみたいで」
やっと一対一で見つめ合う関係になれたのに、こんなことしたらまた、目線がズレてしまいそうだったから。

くすっ…と小さな笑い声が聞こえた。
そのあとで、友雅の手があかねの顎に伸びて、顔が頬に近付く。
「利用してくれて良いんだよ。それであかねの元気な顔が見られるなら、利用される価値がある。」
そう話す彼の顔は、昔と面影そのままの笑顔で。
いつの頃からか惹かれていた表情を残し、自分を愛しげに見つめてくれている。
窓の外で、クラクションが響き渡った。
流れて行くヘッドライトは、明けたばかりの薄暗い朝の空気の中、騒々しく流れて行く。
下ろされたままの、古いブラインドに遮光されたダイニング。
二人のシルエットは-------ひとつに重なる。


「そろそろ、帰らないと。」
長い長いキスを終えて、友雅は唇を離した。
今日も出勤なんだろうし、忙しい朝に束縛してしまっては可哀想だ。
…と言いつつも、なかなか背中から手を離せないところが、自分の芯の弱いところだな、と友雅は自覚する。
だが、それはあかねの方も同じで。
回した手を組み解かず、胸に顔をうずめている。

「嫌。帰らないで…」
そう言って、強くなる手の力。
「会社とは、もう話がついてるの。だから別に、連絡さえしておけば……」
お店に潜入できる、とだけ伝えれば、今夜からでも特別勤務に入れる。

「ああ良かった。今朝は、追い出されなくて済むんだね」
苦笑したあとで、再び近付く彼の唇を待ちながら、あかねはそっと目を閉じた。



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Megumi,Ka

suga