結局横になっても眠れるわけもなく、6時前なのにあかねはベッドから降りた。
友雅は慣れた手つきで、コーヒーメーカーをセットしている。
そんな彼のそばに、あかねは歩み寄る。
「眠らなくて平気なのかい?」
「うん…もう目が冴えちゃったんで…」
だったらコーヒーは二杯分にしよう、と言って、豆を更にあと1杯追加。
赤いボタンが点滅すると、しばらくしてコポコポという音と一緒に、ほろ苦い香りが部屋に漂い始めた。
ダイニングのチェアに、友雅は腰を下ろした。
それに続いて、あかねも向かいに座ったのだが、相変わらず言葉が出て来ない。
普段なら、いくらでも会話出来るのだけれど、こうして理由がある時は…それに捕われて自由に話せない。
仕事のためにお店に出入りさせて…なんて、図々しいんじゃないかな。
そもそも友雅さんだって、オーナーさんに許可を取らなきゃダメなんだから、勝手には決められないじゃない?
そんなこと頼んだら、友雅さんに迷惑がかかっちゃうんじゃない?
「昨日開店前の掃除をしていた時、テレビをつけたままでいたんだけど、あかね、ちょっとだけ映ってたよ。」
「えっ?」
びっくりして顔を上げると、足を緩く組んで友雅はこちらを見ていた。
「記者会見のニュースで、ちらっと映ってたらしい。うちのオーナーが見つけたんだけどね。」
そういえば、確かあの会見は、テレビのニュースでも生放送すると言っていた。
「まだまだ確実な手掛かりは、掴めていないみたいだね」
「はあ…。警察だけじゃなくて、捜査局も動いているのに…なかなか。」
もしかしたら、極秘で何かしら当局は掴んでいるのかもしれない。
さすがに、国家からある程度のサポートを受けて動ける組織は、ちょっとした無茶も可能だろう。
だから、彼らよりも先にスクープを狙うには…"あらゆるコネを有効に使え"と、ボスのお言葉がよみがえる。
コーヒーが出来上がったみたいだ。
友雅はポットを取り、あかねと自分のカップに半分ずつ注ぎ入れる。
「そういえば、夕べもうちの店に彼が来てね」
「えっ…彼ってまさか、ア、アクラム…?」
「そう。相変わらず高いボトルと豪勢なオードブルを嗜んで、お偉い方の客と談笑していたよ。」
まあ、談笑と言っても笑っていたのは、アクラムに群がっていた方だが。
「お偉いさんって、結構な著名人ですか?」
「うん、そうだね。誰でも一度は顔を見たことがあるような…そんな人種だよ。同じ仲間同士、何か引き寄せるんじゃないかな」
確かに…アクラムは数社の経営を担う実業家だから、それは理解出来る。
でも、何故近付くのだろうか。
それにはきっと、何らかの利益が生じる理由があるはずだ。
「他にもアクラムに話し掛ける人とか、たくさんいるんですか?」
「ああ、いろいろね。」
興味本位の女性たちや、成金富豪。
彼の気を引くことが出来るかは分からないが、取り巻く者たちは多方面から集まって来る。
「何を話してるんでしょうか?」
「さあ?」
「もしやアクラムと何らかパイプラインを持ってて、それに関した話とか?」
「それはお客様のプライベートだから、私も耳を峙てることは出来ないし。何も答えられないよ。」
ぱっと手を翳されたあかねは、はっと我に返った。
さっきまでは、どう切り出そうかと悩んでいたのに、情報が飛び込んで来たら…いつのまにか身を乗り出していた。
恋人と二人でいる空間で…何やってんの私。
仕事と恋愛、比重のバランスがめちゃくちゃだ…。
「でも、彼らの近くにいるお客様が、自然に聞こえてきてしまったら…それは別に問題はないと思うけどね。」
友雅の手が戻り、カップを掴む。
「店の中で、張り込んでみたら?」
「えっ…!?」
「例えば…あかねがお客の振りをして、彼の席の近くに座ってみるとかね」
予想もしなかった、彼の発言。
もしかしてこれは…今まで悩んで来たことと同じ…意味のこと?
「店の外より、中の方がディープな情報が溢れていると思う。スクープを狙いたいなら、私がフォローしてあげるけど?」
「…ホ、ホントにっ?」
まさか…彼の方からチャンスを与えてくれるなんて。
悩んでもやもやしていたのが嘘みたい。
目の前が眩しい朝日で、ぱあっと明るく照らされたような気分。
「それでスクープが取れれば、少しゆっくり生活出来るんだろう?だったら、いくらでも協力するよ。」
ポットに残ったコーヒーを、半分ずつカップに注ぐ。
あかねのカップには、なみなみとコーヒーが残っているのに、きっちりと最後の一滴まで半分に。
彼のカップの方は、既にからっぽと言えるのに。
「だから、それに合わせて仕事の予定を組み直しておいで。こっちで無理はさせないから。」
そう言ってコーヒーを飲み干し、友雅は空のカップをシンクへと運んだ。
「……ん?どうしたの?」
蛇口から弾ける冷たい飛沫が、手のひらに当たるのとは正反対に…背中から通じるのは暖かい感触。
小さい頃と変わりない白い手が、友雅の胸に絡んだ。
「ありがと…友雅さん…。ずっと悩んでたの、私…」
「悩んでた?どういうことで?」
吹っ切れたのか、あかねはやっと言葉が紡げるようになった。
同僚の天真やボスから、コネを使って店に張り込んでこいと言われたこと。
それを、どうして今まで言えなかったのか…その気持ちも、全部言葉にした。
「そんなこと気にしないで、いくらでも頼んでくれれば良かったのに。」
「だ、だって嫌だったんだもの…利用するみたいで」
やっと一対一で見つめ合う関係になれたのに、こんなことしたらまた、目線がズレてしまいそうだったから。
くすっ…と小さな笑い声が聞こえた。
そのあとで、友雅の手があかねの顎に伸びて、顔が頬に近付く。
「利用してくれて良いんだよ。それであかねの元気な顔が見られるなら、利用される価値がある。」
そう話す彼の顔は、昔と面影そのままの笑顔で。
いつの頃からか惹かれていた表情を残し、自分を愛しげに見つめてくれている。
窓の外で、クラクションが響き渡った。
流れて行くヘッドライトは、明けたばかりの薄暗い朝の空気の中、騒々しく流れて行く。
下ろされたままの、古いブラインドに遮光されたダイニング。
二人のシルエットは-------ひとつに重なる。
「そろそろ、帰らないと。」
長い長いキスを終えて、友雅は唇を離した。
今日も出勤なんだろうし、忙しい朝に束縛してしまっては可哀想だ。
…と言いつつも、なかなか背中から手を離せないところが、自分の芯の弱いところだな、と友雅は自覚する。
だが、それはあかねの方も同じで。
回した手を組み解かず、胸に顔をうずめている。
「嫌。帰らないで…」
そう言って、強くなる手の力。
「会社とは、もう話がついてるの。だから別に、連絡さえしておけば……」
お店に潜入できる、とだけ伝えれば、今夜からでも特別勤務に入れる。
「ああ良かった。今朝は、追い出されなくて済むんだね」
苦笑したあとで、再び近付く彼の唇を待ちながら、あかねはそっと目を閉じた。