熱愛イニシアティブ

 003

彼の名を表舞台で初めて聞いたのは、今から5年ほど前だろうか。
この界隈では以前から有名人だったが、警察に目を付けられたことで、彼の存在は世間にも知られるようになった。

ある時期、このあたりのクラブに、若い男が頻繁に顔を出して話題になった。
20代半ばくらいで、週に数度あちこちのクラブに出没しては、高いボトルを平気でキープしてゆく。
自ら運転するフェラーリでやって来ては、1〜2時間ほど滞在するだけ。
更に彼の整った美貌もあり、この辺りに勤める女性たちや客にも、あっという間に評判となった。

そうなれば、自然と彼の身上について噂も広がる。
名前は、アクラム。
祖先はイタリアらしいということくらいで、国籍さえもはっきりと分からない。
イタリアがルーツの家系ということや、年若いのに高級車で高級クラブに出入りするというのを、深読みする者も出て来た。
マフィアの関係者じゃないだろうか?と、幾度も囁かれたりもした。
しかしそれも、噂であって真偽は不透明である。

そんなある日、偽造ダイヤが大量に出回っていることが明るみに出た。
低価格のアクセサリーはもとより、それらは一流ブランドのジュエリーにも発見されたことで、国全体を揺るがす事件に発展した。
警察や捜査局も動き出したが、出所は複数に渡っていて特定できない。
だが、操作が進むうちに、アクラムが経営する宝石商から卸されたダイヤに、かなりの偽造物が見付かっていることで、捜査側は彼をマークすることになった。
事件は未だに、現在進行形。
アクラムも事情聴取やらを度々受けているが、それでも決定的な証拠はない。

そしてここ数日に渡っても、彼を取り巻く事件は続いている。



「あら、今ちょっとテレビに映ったのって、あんたの子猫ちゃんじゃない?」
テレビを見ていたシリンが、モップの先で画面を差しながら言った。
警察当局の記者会見場。
アクラムが経営する直営宝石店で、新たな偽造ダイヤが発見されたとの事件。
今回は、ある卸売業者からの通報があり、アクラムと偽造ダイヤの製造ルートが繋がっているという、有力な情報が世間を賑わせていた。
現在の捜査状況について、警察は情報公開をすることになった。

会場には、大中小企業のメディア記者やカメラマンが集まっている。
そのむさくるしい男たちのギャラリーに、まだ若い女の子が一人混じっていれば、一瞬でも目に止まる。
「何日か、徹夜で泊まり込みだって言ってたわよね。家に帰らないで、会見場に直行してるの?」
「いや、夕べは帰ってきましたよ。遅かったけれど。」
「帰ってきたのを知っているってことは、今朝はお二人で一緒にお目覚め…ってことかい?」
友雅は何も答えなかったが、その静かな笑みに真実は表されている。
「でも、朝になったら追い出されちゃいましたが。」
「ははっ!元気で威勢のいい娘だねえ。あんたを良いように振り回すなんて。」
スタンダップコメディアンに大ウケしたみたいに、綺麗な化粧が崩れるのも気にせず、シリンは大声で笑った。


「子どもの頃からの、付き合いだったっけ?」
「そう。近所で遊び相手は、年の離れた私くらいで。」
友雅とあかねの田舎は、ここから数百マイル離れたのどかな町。
隣の家まで30分はかかるのが普通の土地。
そんな中で、互いの家が窓から見える二人の家は、とても珍しかった。
おかげで幼い頃から、まるで兄妹のように時を過ごした。
年頃になり、同年代の女性と遊んだりしたけれど、気の知れたあかねと過ごす方が楽しかったのは事実。

そのうち、友雅は就職で町を出て。
その間に、あかねはどんどん女性として成長して。
「年頃になったあの子を見たら、惚れちまった、と。」
「まさか、昔からそばにいた彼女に、本気になってしまうなんてねぇ…」
あの頃、既に自分は成人していたけれど、彼女はまだ学生。
さすがに尻込みしてしまい、わざと距離感を置いたりしたけれども。

更に時が過ぎて、彼女も成人してこの町にやって来た。
再会したあかねは、あの頃よりもずっと女性らしくなり、ひとつかふたつの恋も経験し、本当の意味で女性になって。
そうなったら、もう遠慮することはなかった。
ましてや、彼女から一歩踏み出してこられたら、もうどうしようもない。
あっという間に恋に落ちて……今やごらんのとおりの状態。

「あんまり無茶させるんじゃないよ?仕事で疲れてる時くらいは、腕枕で我慢してやりな。」
友雅と張り合うほどに、シリンもまた恋愛経験豊富な女である。
ただし彼と違うのは、それなりに皆本気で付き合っているということ。
それを考えれば、彼女の方がずっと純粋に恋を楽しんでいるのだろう。

……私なんか、ようやくだよ。
しかも、一番近くにいて、一番長く一緒にいた彼女にね。
随分遠回りした恋だな…と、昔を思い出すたび、友雅は思った。


+++++


ところかわって。
会見が終了した会場からは、ぞろぞろと記者たちが退散する支度を始めていた。
「何だよ、結局シッポは掴んでないってことだよな」
2時間も長々と掛かった会見は、ほとんどがこれまでの捜査状況をリプレイしたもので、新しい有力な証拠はなかった。
アクラムへの尋問や、通報者についても確信のある答えがなく、最終的には"現在も操作続行中"という、単なる報告のみに留まった。
「あーあ、散々俺等も張り込みしてたってのに、未だにスクープなしかよ」
豪邸付近から宝石店周辺を狙って、アクラムの行動ルートを着けたりしたのだが、特に変わった情報はない。
時折、捜査員らしき者の姿を見かけたから、何かネタを掴んでいるのかと期待したけれど、それもなさそうだ。

「いっそのこと、おまえブランディ・タウンにコネあるんだったら、店に潜り込んで来いよ。」
「ええっ?何で私にそんなこと頼むのっ!?」
-----夜になると街灯に照らされ、こっくりとしたブランデーカラーに染まる街。
饗宴を楽しむ上流階級の者たちが、夜更けまで行き交う社交場の街。
-----そこがブランディ・タウン。
「未だにアクラムのヤツ、たまに顔を出すんだろ?」
「う、うん…聞いたことはあるけど…」
「じゃ、スクープ狙ってこいよ。ボスを説得してやるから。」
こっそり近くで様子を観察出来れば、何かしらボロが出るかもしれない。
店に集まるのは、それなりの権力を持った者ばかり。
もしかしたら、裏幕に通じる人物の登場も有り得る。

「せっかく自分のオトコが、店の支配人やってんだからさ。ここは良いように、利用しろよ。」
利用…って言われると、何だかちょっとイメージが悪い。
確かに、友雅はブランディ・タウンのクラブで支配人をしている。
事情を話せば、きっと店に入れてくれるのは間違いない。

…でも、こんなことに友雅さんを巻き込みたくないな…。
仕事はあくまでも、仕事。
二人の間に、プライベート以外のものを挟みたくない。
肩肘張って生きているから、一緒の時だけはすべて解き放って…自由に見つめ合いたいと思っている。

と、そこまで考えて、今朝の自分を思い出した。
悪いことしちゃったな…追い返したみたいで…。
疲れてて苛ついてたのだろう。
けど、あんな風に突っぱねることなかったよね、私…。
バッグの中に突っ込んだままの、友雅がくれたエステのチケット。
きっとあれだって、お店のオーナーさんに頼んでくれたんだ…。

「さーて!さっそくこれから仕事場に戻って、ボスにOKもらおうぜ」
あかねが困惑しているにも関わらず、天真は彼女の腕をぐいっと引っ張り、会見場のドアを開けた。



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Megumi,Ka

suga