Take it easy

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「元宮さんいる?」
ナースステーションを訪れた看護師長は、最初にぐるっと中を見渡してから近くのナースに声を掛けた。
「患者さんの誘導に出ています」
整形外科という特性上、リハビリが必要な患者が多い。
自力で移動が可能な場合はその行為自体もリバビリになるのだが、術後経過や症状によっては介助を得なければならない。
リバビリを始めて間もない場合も同じで、慣れるまで看護師が手を貸したりする。
あかねは担当している高齢女性に頼まれて、理学療法士の源が待つリハビリ棟へ彼女を誘導に出ているところだった。
「急用でしたら伝言しておきましょうか」
「そうねえ…。本人に話したいから、私が来たとだけ言っておいて」
看護師長はあっさりと答えその場を後にした。
「何だろうね、直接話さないといけないことかな」
「あの子のことだから、ポカやったりはしてないと思うけど…」
その場にいるナースたちは、硬直していた身体をようやく緩めて会話を始めた。
50代後半になる看護師長は、院内スタッフだけでなく患者からも厳しい人と有名だった。もちろん、ただ厳しいだけではなく筋の通った厳しさで、だからこそ全方面からの信頼も厚い。
古くから掛かり付けの患者の話では、これでも随分穏やかになったという。
40代くらいの頃には彼女に叱咤されて泣いている新人看護師も多く見られたとか。
そんな看護師長が直で話があると聞いたら、他人とは言え心穏やかではない。


週末に行われる手術についてのミーティングが終わり、担当医師たちがぞろぞろと会議室から出てきた。
「良かったよー、橘先生の予定が空いてて」
執刀医はそう言って友雅の手を握った。
患者は術後痕をかなり気にしていたので、その道では評判の高い友雅に縫合を頼みたかったのだった。
幸いというか今週末にオペはなかったため、断る理由もないので彼は了承することにした。まあ、執刀医なら神経もそれなりにすり減るが今回は縫合だけだし、説明を聞いたところ深刻というほどのオペでもない。
毎週末はあかねの買い出しに付き合うが、この程度なら心身に負担もないだろう。
「お礼に今日の昼飯、俺がおごるよ」
「いや、そんな気を使って頂かなくても…」
本音を言えば昼食はあかねを誘いたい。だから、上司に気を回してもらうのは迷惑…と言ってはなんだが。
「あ、良かった橘先生に会えたわ!」
急に背後から女性の声がした。
近付く足音に合わせて振り返ると、看護師長が友雅の所に駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、重要なお話ししてました?」
「いえいえ、ミーティングを終えて医局に戻るところですよ」
「そう。じゃあちょっとお話良いかしら」
彼女は小さく耳打ちをするように、"元宮さんのことで"と付け足した。
「すみません、相談があるらしいのでお昼はご遠慮させて頂けますか」
グッドタイミング、逃げるための良い口実が出来た。
しかし、あかねについての話というのは、少々気がかりではある。



---------午後1時、お昼休み。
待ち合わせ場所に現れたあかねは、浮かない表情をしていた。
「天使様に相応しくない顔をしているね。患者にそんな顔をしてはいけないよ」
「…ちょっと気になることがありまして」
患者の付き添いを終えてナースステーションに戻ってきたあかねは、同僚たちに取り囲まれた。
看護師長が会いにきた。直接話したいことがある、と言い残して去って行ったと。
「全然覚えがないんですよね…私。でも、気付かないうちにとんでもないことしてたんじゃないかって」
どんなことでも慣れてきたときが一番危険。もう大丈夫、と気が緩んで間違いを犯すことは多い。
常に初心忘れるべからずを心がけていたけれど、どこで何をやってしまったのか。
深刻な顔をするあかねに対し、友雅の方は今にも笑いをほころばせそうな表情。
昔から本当に真面目な女性だ。
実習生の時からずっと変わらず、自分への厳しさはこちらが心配してしまうほど。
「大丈夫だよ、あかねに限ってそういうことはあり得ない」
「でもー…」
と言いかける彼女の唇を、友雅は指先で止めた。
「あかねの代わりに、看護師長から話を聞いてあるよ」
「えっ…!?友雅さんに…っ!?」
ますますあかねの顔色が変わった。
自分だけではなく、友雅にまで関わるような問題なのか?
彼にも迷惑かけることなんて、どんなことをやらかしてしまったのか…。
「広報を通じて、君の母校から依頼が来たんだそうだ」
「…依頼?」
「そう。大変優秀な先輩に、母校で講演をお願いしたいとのことで」
---------------------講演会。
「………こーえんかいー!?」
講演会とは。
大勢の前で題目に従った話をすること。
有名人や有識者などを招いて開催するのが殆ど…とあちこちに書かれている。
つまり登壇する者は、聴衆に有益な知識や肩書きを持った者でなければならない。
「何で私に依頼するんですか!」
「そりゃあ、あかねが母校にとって価値のある卒業生だからじゃないか」
「私、ただの卒業生ですよ!?首席でもないし」
「首席の座を得るばかりが優秀な生徒ではないだろう」
あかねの鼻先を、指先で悪戯するように指先で弾く。
「それに、2年度に一度首席取ってるだろう。それ以外は殆ど次席だし、十分称賛に値すると思うが」
「どうしてそれ…!。調べられるんですか、そういうこと」
「私にそれほどの権利はないよ。でも職場を離れれば一応君とは身内だから、少しくらいならね」
彼女が優秀な学生だったと噂には聞いていたが、詳しくは知らなかった。
多くの卒業生の中からあかねに白羽の矢が立ったなら、一目置かれるレベルであったと推測は出来る。
そして、ざっくり教えてもらえた彼女の力は、友雅が想像する以上のものだった。
「私なんかよりずっと優秀じゃないか」
「そんなことないですよ。夢中だっただけです」
「誰にでも出来ることじゃないよ。自慢して良い」
とは言ってもあかねの性格上、それをひけらかすなどしないだろう。
看護師になることだけを目指して、日々の努力と集中力を切れさせなかった結果の証。それ以上の何ものでもない。
「せっかくだから行っておいで」
「でもー…何を話せば」
「テーマを教えてくれるから大丈夫だよ」
講演会の経験はあまり多くないが、一応友雅は経験者でもある。
勝手は違えど、講演内容の構成や助言くらいなら出来るだろうから協力するよ、と彼は優しくあかねの肩を叩いた。


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Megumi,Ka

suga