Surprise Rehearsal

 001---------
カレンダーの枚数が残り少なくなると、慌ただしくなるのが世の常というものだ。
仕事のサイクルも早回しになり、日付の感覚が麻痺してくるのもこの季節。
そんな時期だからこそ、敢えて息抜きになる時間が必要になる。

「橘先生、お疲れさまです」
オペを終えて医局に戻ると、終業時間が間近に迫っていた。
簡単な手術とはいえ、1日に2つは疲労もそれなりに積もる。
教授連はこの時期、学会だ会合だ医大の講義だとスケジュールが目白押しで、その結果医師たちの仕事がかさんでくる。
そっち側に行けば少しは楽なのかもしれない、と思ったときもあるけれど、行ったら行ったで今以上に人間関係が面倒くさい。
だったらこのまま専門医として、患者の治療に専念していた方が良い------という結論に今は落ち着いている。
幸い、執刀を指名してくれる患者もかなり多いし、最愛の妻も出世については五月蝿く注文しないし。
ま、しばらくはこんな調子で、順調に生きて行けばいいさ。
帰宅の用意をする前に、一杯のコーヒーで喉の渇きを癒しながら、友雅はそんなことを思ったりした。

「あ、そうだ。橘先生は12月の予定って何かありますか?」
机に向かっていた内科医が、振り向き様に友雅に尋ねた。
開かれているのは、スケジュール帳らしき小さめのノート。
「いや、今年の医局の忘年会なんですけどね、僕が幹事なもんで…」
そうそう。年末は仕事の他に、こういう予定も増えるのだ。
医局の忘年会の他にも、私的な関係で誘いがあったりと。
教授らの予定から比べたら少ない方だろうが、それでも5〜6カ所から声は掛かる。
でも、そのうち顔を出すのは1つか2つ程度だ。たいして代わり映えのないことに、忙しい年末の時間を割くつもりはない。
「そろそろ場所も決めないと。どういう店がいいですかねえ?」
「私はどこでも構わないよ。まあ、強いて言えば、自宅からあまり遠くないところが良いかな」
適当に切り上げて、さっさと帰宅出来るように。


帰り支度を済ませた友雅は、通用口とは逆の方へ向かった。
わざと、遠回り。定時で上がれる時には、それが彼の習慣でもある。
行先はもちろん、ナースステーション。立ち止まった彼は、中を覗き込む。
既に日勤と夜勤の交代は済んでいて、ファイルのチェックをしている看護師は、これからが仕事本番だ。
「せんせー。あかねは先に帰りましたよ?」
背後から声がして振り向くと、一人の看護師が立っていた。
「約束してたんですか?」
「いや。そういうわけではないんだけどね、まだいるかなと思って」
「お肉屋さんの特売日だからって、定時きっかりに飛び出して行きましたよ」
"残念でしたねー"と、彼女は笑ってそう言った。
ここでは割と古株に入る彼女は、あかねが新人の頃に世話になった先輩看護師である。友雅にとっても長い付き合いだ。
今年、子どもが小学校に入学したのを機に現場復帰したばかり。それでも夫と有休を調整して、月に一度は夜勤もこなす。

「あー、橘先生!丁度良かった!」
今度はナースステーションの中から、若い看護師が二人乗り出して来た。
「先生、12月に忘年会するんですけど、一緒にどうですか!?」
「どうですかって…整外のだろう?それなら最初から参加になっているはずだが」
「違いますよ。それはあくまでビジネスのでしょう?個人的に別口で、忘年会やろうって話をしてたんです」
どこもかしこも、忘年会といえば仕事の労い会の意。
そこに集まるのは、毎日仕事で顔を会わせている人ばかりで、こんなところでまで上司と一緒かと思ったら、労いどころかストレスが溜まる。
「だから、気の合う仲間だけで集まって、ちょっと飲み会しようって」
「そういう私も、君らが煙たがる上司の一人なんだけどねえ?」
「橘先生は別ですよー」
他の医師みたいにガツガツしていないし、変に上司ぶったり、偉そうな態度は一切ないし。
何より、女子の本能が彼のルックスを無視出来るわけがない。
例え、周囲が引くほど愛妻家で、彼女に少しでも好意を持つ男がいようものなら、誰だろうと敵対視するような性格であっても。



マンションに駐車場には、既に赤のPASSOが停まっていた。
その隣に寄り添うよう自分のBMWを停め、友雅はエレベーターホールへと向かって歩き出す。
夕方にちらつき始めた雨は、時折ウィンドウに雫の模様を描き出したが、雲間からはぼんやり月が顔を見せている。
「おかえりなさいー!」
帰り際、聞きそびれた声が友雅を出迎えた。
片手で閉めたドアにロックを掛け、あかねの背中に手を回しながら中へ。
キッチンから漂う香ばしい肉の焼ける匂いは、多分買い物の戦利品だろう。
「今夜はお肉です。オペ2件なんて大仕事の後ですからね。少し良いお肉にしましたから栄養付けて下さいね」
そうか。そういえば、しっかりした肉料理がテーブルに並ぶのは、オペがあった日の夜に多い。
意識したことはなかったけれど、そんな気遣いをして毎日の献立を考えてくれていたのか。
そんなことに気付くと、ますます彼女への愛しさは増幅していくばかりで。
「まだ料理の最中なんですから、後ろから抱きつかないで下さいよ」
あくまでも優しい口調で、ふざける友雅をあかねは突く。
でも、その声がまた心地良くて、彼女を手放せないし抵抗もしてくれない。

「そういえば帰りに、看護師の子らから忘年会の招待を受けたよ。仲間内だけでやるんだって?」
「うん、その方が気楽でしょ」
テーブルに料理を並べ、彼の前には缶ビールを一缶。
季節は肌寒くなってきたが、冷えたビールは喉越しに爽快感を与えてくれる。
「友雅さんも、参加してくれますよね?」
実は看護師仲間から、彼を誘うように言ってくれと頼まれているのだ。
あかねの頼みを彼が背けるわけはないし、単に目の保養として華が欲しいという理由だから、とせがまれて。
「ま、仕事がらみの宴会より気楽だし、顔を出しても良いかな」
「良かった!じゃ、あとでみんなと場所と日時とか、調節しますね」
整外の関係者を集めると結構な人数になるが、限られた仲間だけならせいぜい2〜30人かそこら。
居酒屋とかはさすがに落ち着かないから、貸し切れる部屋があるところが良いのだけれど。
「どこか、いいお店ないかなあ」
「その忘年会は、あかねが幹事なのかい?」
別にそういうわけではないが、みんなで情報収集するほうが効率的なので。
みんな忘年会の掛け持ちも多いし、一人あたりの予算もリーズナブルに抑えたい。
「小さくてもオシャレなところが良いな。友雅さん、心あたりありませんか?」
「私がそういうのに、詳しいと思うかい?」
彼はビールを飲みながら言うが、いつもデートをエスコートしてくれたのは彼だ。
洒落た雰囲気のレストラン、落ち着いた趣のある料理店。
連れて行かれた場所は、友だちと一緒では縁がないだろう店ばかり。
馴染みのない料理や食材に触れるたび、少し大人の世界に足を踏み入れたような気がしたものだ。

「大人数を想定した店は、探したことなかったな」
グラスにビールを注ぐあかねの手に、しなやかで大きな手がそっと重なる。
同じ形の同じ指輪が、同じ薬指にきらりと輝いて、グラスに触れて軽やかな音を立てる。
「二人きりで過ごせる、逢瀬の空間しか探したことがなかったからねえ」
邪魔の入らない店だけを選んで、ひっそりと他人の目をくぐり抜けながら、ゆっくりと育んで来た二人の時間。
その末に、今こうして二人は一緒にいる。
「でも、私たちもそういう場所も探さねばならないね、そろそろ」
薬指を絡ませながら、彼はあかねの瞳を見つめる。
「ウェディングドレスが映える、とびきりの場所を見つけないと」
そう、この薬指の効力を発揮出来る場所を-----今度は二人で見つけなければ。



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Megumi,Ka

suga