Private Angel

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整形外科の病棟に、一人の男性患者が入院してきた。
これと言って複雑な骨折ではないのだが、独り暮らしで自炊生活の彼を考慮した会社側が、落ち着くまで入院して安静にと言ったのだった。
「はあ…最近は病院でも、男の夢が遠ざかる一方なのね…」
森村の前で、がっくりと呆れぎみのため息をこぼす彼。
現在、警備会社に勤めている彼と森村とは、高校時代からフットサル仲間である。
今でも予定が合うときは、試合や練習に参加してボールを追いかけたりと、長い交流が続いている。
なので、研修医として森村が勤めるこの病院に、彼は世話になることを決めたのだった。

「○○さーん、そろそろリハビリに行きましょうねー」
女性看護師が車椅子を押して、病室に入って来た。
すぐに森村も患者に手を貸しに行き、椅子に乗せるとまた部屋を出て行く。
「機能的は分かるけどもさ、男としてはちょっとなあ」
「おまえね、いちいちそーいうこと言うなっての」
「だってさあ、どんだけスカート率下がってんのよ、この病院…」
患者とは言えど、彼も十分にそっちの好奇心が旺盛な世代。
同い年である森村もまた、その気持ちは分からないでもない。

と、この二人が何の話をしているかというと……。
「入院したら、白衣の天使が優しくしてくれると思ったのにー」
「生憎とな、今はそういうご時世じゃないんだなあ、これが」
問題に掲げられたテーマは、看護師の制服について。
もちろん男が言う話であるから、男性看護師の制服はどうでもいいわけで、ようは女性看護師の制服がどうのということである。
「白いワンピースでさあ、白いストッキングでさあ、ナースキャップで優しくしてくれるとかさあ…男の夢だったのに…」
「残念ながらそーいうのは、病院じゃなくどっかの店に行かんと」
院内に勤めるスタッフの制服も、インターン、看護師、医師、事務員…随分と様変わりした。
誰もが真っ先に描く看護師の制服のイメージは、この現代には希少価値である。
「でも、うちはまだ良い方だぜ。パンツとワンピースを選んで着られるからな」
「その肝心のワンピースのナースさん、ここに一度も来たことないけどな」
まあ、ワンピースを着ている看護師の数は、実際問題ここでも少ない。
何せ男女問わず、看護師の仕事は重労働だ。
患者を抱えたり起こしたり、数人で持ち上げて運んだり…と、かなりの肉体労働とも言えるものが多い。
そんな作業にスカートなんて、邪魔だし機能的ではないから動きにくい、というわけで敬遠されるのだ。
「はあ…一度お目に掛かりたいわぁ。天真、誰か思い当たる看護師さんを連れて来てくれよ」
「バカ言ってんじゃねーわ★」
さすがに森村も、その場にあった雑誌を丸めて、彼の頭をポカッと叩いた。


気がつけば、もう時間は昼休みに入っている。
一旦医局に戻ってから、暇そうなスタッフを見つけて一緒に社食にでも行くか。
研修医の収入では、館内のカフェやレストランなんて滅多に利用出来ない。
安くてボリュームのある社食か、コンビニで買い食いが適当なところだ。
「今日のA定は、何だったっけなあ〜」
そんなことを考えながら、光の差し込む明るい階段を下りて行く。
やがてエレベーターホールに来ると、一気に人の波が多くなった。
医師や薬剤師、患者の姿もある。そして、看護師の姿も。
ワンピースにしろパンツにしろ、今更看護師の制服がどうのという感情は、森村にはない。
開業医の息子だから、毎日看護師たちとは顔を合わせていたし、すっかり制服なんて見慣れてしまった。
年頃の女性看護師も何人かいたが、だからと言って男特有の気持ちが芽生えることもなかった。慣れ、というものはそういうものである。
「まあ…全然関係ないヤツは、妄想ネタにするんだろうなあ」
さらっとそう思ってしまう自分が、ちょっと空しい気もした。

「あ、天真くん…これからお昼?」
ナースステーションの前にやって来た森村を見つけ、あかねが声を掛けた。
隣には…あ、やっぱり。
彼がランチを誘いに来ないはずはないか…。当然のように、友雅がそこにいる。
「そ。社食混んでっかなあ」
混雑していても、まあ並んでいればすぐに席は空くだろう。
社食利用者は男性スタッフが多いし、女性と違って食べたらすぐ退席するので、座席の回転率は意外と早いのだ。
そうは言っても、あまりもたもたしてもいられない。
定食は限定数しか用意されていない。早めに行かねば、売り切れてしまう。
友雅に軽く頭を下げて、さあ医局に戻らねば…と一歩踏み出したとき、また背後から森村を呼び止める声がした。

「森村くん、どうせなら一緒にランチに行かないかい?」
「…は?」
振り返り、その声の主を確かめる。
間違いなく…友雅だ。彼が、自分を昼食に誘っているのだが、そりゃまた何故だ。
昼休みになると、いつも二人で食事に出掛けて行く彼が、どうして自分を誘う理由があるのか。
明らかにお邪魔虫の存在になるに決まっているのに。
……ってまさか、ラブラブっぷりを他人に見せびらかすつもりとか!
おいおい、それだけは勘弁してくれ。
ただでさえ普段から、シラフでも十分見せびらかされているというのに。
「い、いやお二人のお邪魔は出来ませんしー!ははは!」
何とかその拷問から逃げようと、森村はややひきつった笑顔で返事をする。
しかし、意外なことに予想とは全く違う理由で、友雅は森村を誘ったのだった。

「生憎と今日は、天使様に振られてしまったんだよ」
「振られたって…そういう人聞きの悪いこと、言わないで下さいっ!」
軽く友雅の背中を、ぱん!とあかねが叩く。
何のことはない。去年寿退社した彼女の先輩看護師が、久しぶりに帰省しているので遊びに来たのだそうだ。
せっかくなのでみんな揃って、昼食でも一緒に摂ろうと急遽決まったらしい。
「友雅さん、一人だと適当なものばっかり食べちゃうんだもの…。だから、天真くん一緒にお昼してくれない?」
「お、おまえなあ…」
何て役目を押し付けるんだ、こっちに。
しかもまあ、あかねの言い分を聞いていると、友雅の見張りをお願いされているようなものじゃないか。
他のドクターに比べれば、見栄えが飛び抜けて良いこと意外は、割とさばさばしていて堅苦しい人ではない。
幼なじみの旦那なので、それなりにコミュニケーションの取れる相手ではある。
が、それにしてもな…。

「社食は混んでるだろうから、新館にあるビュッフェの方に行こうか。あそこなら、食欲旺盛な君らにぴったりだろう」
「はあ、ビュッフェですか…」
「付き合ってもらうのだし、私が奢るよ」
新館にある、もうひとつの社員食堂。
そちらはビュッフェスタイルになっていて、つまりメニューが食べ放題という有り難い食堂である。
しかし、それだけに一食分の料金は少々高く設定されている。
あまり森村たちには、縁のないところである。
「お願い、天真くん!」
両手を合わせて、あかねが懸命に頼み込む。

はあ…何だか妙なことになっちまったなあ。
でも、まあタダ飯で食べ放題なんて滅多にないよな…うん。
しかもあっちのビュッフェ、美味いし種類も豊富だし、ドリンクも飲み放題だし。
「付き合ってもらえるかな?」
「あ、俺なんかで良ければ…有り難くごちそうになります!」
給料日前の寒々しい懐具合の中、突きつけられた好条件にはとても敵わなかった。



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Megumi,Ka

suga