Please! Jealousy

 第一話(1)---------
病院が賑わっている…という現実は、あまり好ましくはない。
それだけ病や怪我に苦しんで、通って来る患者が多いということだ。
有名医大の附属病院であるここは、各分野でのエキスパート・ドクターが名を連ねている。
教授連はもちろんこと、研究員や薬剤師などをはじめ、看護士たちの応対にも高評価を得ている医療施設である。
だからこそ、患者たちはここへやって来る。
少しでも早く、完璧に良い治療をしてもらえるようにと、期待しながらここを訪れるのである。


「もー、そういう悪ふざけをするんだから!」
VIPクラスが利用する、高級個室が集まる病棟。
この不況のご時世でも、そんな部屋を使う患者はいることはいるのだが、以前の好景気の頃から比べたらめっきり減った。
おかげでこの棟は、いつも人気が少ない。
だからこそ都合が良いと、喜んでここにやって来る者たちもいる。
彼女たちも、そうだ。
「ほら、そっちくわえて」
「まったく…子どもみたいなことして」
一人の若い女性看護士が、小言を言う相手は少し年上の医師。
ドクターには不釣り合いにも見える、緩いウェーブの長い髪を三つ編みに束ねる彼は、医療従事者とは思えないほど艶やかな面影を持つ。
そんな彼は彼女の口元に向け、スティック状のきゅうりを突きつける。
片方はと言えば、彼がくわえている。

渋々彼女は、かりっときゅうりをくわえた。
シャク、シャク、シャク、シャク…かじる音が左右から聞こえ、その都度二人の顔が近付いて行く。
やがてお互いに半分ずつ食べ終えると----------彼は別のものを軽くかじった。
「んあっ!何するんですかっ!」
かぷり、と彼が開いた口でかじったのは、あかねの唇。
もちろんささやかに歯を立てた程度で、全然痛みなんてものはないけれど。
「こういうのは、かじるもんじゃないでしょうっ」
「ふふ、じゃあ…どうするべき?あかねが見本を見せておくれ」
「あーもうー!」

本当に、仕方の無い人だ。
TPOというものをわきまえず、常に口説きモードで迫って来る。
例えそこが仕事場でも、チャンスを見計らって見逃さない。
隙あらば距離を縮め、一気に押し迫ろうとするなんて、いつものこと。
仕方無い…と、あかねは彼の頬を両手ではさみ、こちらからキスをした。
最初は軽く重ねるだけのキスだが、一度触れてしまえば、すぐにそれはディープな感触に変わる。

人気のない病棟の、屋上に続く踊り場に姿を隠して。
用意した昼食もそこそこに、最低限ルール範囲内の甘い行為が繰り広げられる。
恋人関係から卒業し、フィアンセという関係も卒業した。
未だに式は挙げていない二人だが、籍を入れて同居しているということで、つまり夫婦と言って良い。
あかねは既に友雅の妻で、わざわざ口説く必要も無いというのに、いつも彼はこんな調子。
どうせ同じところへ帰るのだから、自宅に帰るまで我慢すれば良いのに。
夜勤などで勤務時間が変則でない限り、あの部屋は自由に二人きりで過ごす時間があるのだから。

でも、彼は決まってこう答えを返す。
「天使のフェロモンに我慢出来るほど、人間が出来ていないんだ」
とかなんとか。
そんなこと言いながら、勢いつけて攻めの体勢に入る彼を、押さえ込むのはなかなか大変なのである。

…なんて言っても、他人には惚気にしか捕らえてもらえない、が。



突然、ポケットの中のPHSが震え出す。
唇を重ねられたまま、寄せ付けられている身体に響く振動は、彼の白衣から伝わって来る。
「ん…早く出て下さいっ、よ」
「まだ昼休みは終わってない。出る必要ないよ」
「でもっ……」
ブルブルと震えるPHSを無視し、ためらうあかねをやや強引に壁に押し付ける。
そして再び呼吸は塞がれ、身動きも彼の思うがままに。
「リハーサルを怠ってしまうと、今夜に支障が出る。今のうちに、テンションを上げておかないと…ね?」
意味深な囁きが耳朶に触れる。
だが、その間もずっとPHSは振動し続けている。
かれこれ、3分ほどにもなるだろうか。
「…しつこいな」
さすがに煩わしくなったのか、友雅はようやくポケットからそれを取り出した。
人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られてナントヤラ。
相手に愚痴をこぼしたくなるのを抑え、通話ボタンを押して耳へと持って行く。

「はい、橘ですが」
『---------あれ?出たみたいよ。すいませーん!』
あちらから聞こえて来た声は、何故か通話相手の友雅に話しているのではなく、どこかにいる別の者を呼んでいるような感じ。
発信先は、整外のナースステーション。あかねが配属されているところだ。
しばらくざわざわした音だけが聞こえ、やっと相手が出たのは1分後。
『もしもし、橘先生ですか。藤原ですけれど』
「ああ、何だ…。どうしたんだい、随分と長く鳴らしていたけれど」
いつまでたっても、そちらが電話に出ないからですよ、と藤原は切り返した。
昼休みだから、おそらくあかねと一緒だろう。
お邪魔しちゃダメですよ、とナースたちに言われたけれども、言づてを頼まれた者としては、用件をきちんと済ませねば落ち着かない。

『教授からの伝言で、とある患者さんが橘先生をご指名だそうです』
名の知れた腕利きの彼を、直接指名してくる患者も少なくない。
しかも教授を通じてということは、それなりの相手ということだろうか。
『とにかく、昼休みが終わり次第、教授のお部屋に向かって下さい。お待ちしているとおっしゃってましたので』
藤原の電話を面倒くさそうに切って、ポケットに戻し振り返る。
さあ、それではさっきの続きを…と思っていたのに、既に彼女はランチボックスを片付けていた。
「教授がお呼びなんでしょ?早めに切り上げて、お部屋に行った方がいいですよ」
「つれない天使だ。あれでおしまいかい?」
「あれで、って…十分過ぎると思いますけどっ!」
乱れた襟とスカートの裾を整え直し、少しひねたような目で彼を見上げる。

が、そんなことで反省する相手ではない。
「私は全然足りないんだがね。むしろ、火がついてしまって止まらなくなってる」
ぐっと身体を寄せて、壁際に追いつめようとする彼の鼻先を、あかねはつまんで軽くひねる。
「いい加減にしないと…今夜付き合ってあげませんからねっ!」
そうあかねが言い放つと、あっさり彼は後ろに引き下がる。
ただ小言を言うだけでは解決しない。彼には、プラスαが必要なのである。


「明日は久しぶりの休みだし、あかねも夕方からの出勤だし…。今夜はゆっくり出来そうだね」
先に立ち上がった彼は、階段を下りてあかねに手を差し伸べる。
ランチバックを右手に、左手を彼に支えてもらいながら一段ずつ下りて行く。
「どんなお強請りをしようかな?今からいろいろと考えておかねばね」
「…仕事中に注意力散漫だなんて、厳禁ですよ!」
ぴしっと天使からのお叱り。
だが、それも案外悪い気分じゃないのだから…困ったものだ、と彼は自覚しつつ笑った。



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Megumi,Ka

suga