Just the Way You Are

 001---------
「あれ?まだいたんですか」
医局に戻って来た内科医が、奥のソファでコーヒーを啜っている彼の姿を見てそう言った。
ドクターの基本的な終業時間は、午後5時半となっている。
夜勤や長時間の手術などがある場合には、オーバーワークが必須となってしまうこともあるが、労働時間について厳しくなっている昨今。
この病院でも出来る限り定時終業で、という流れが浸透し始めている。
まあ、それらが100%実現出来ているかといえば…遠く及ばないのだが。
「珍しいですね。橘先生が定時過ぎても、ここでのんびりしているなんて」
今日は手術の予定もなかったし、急患などもなかったはず。
いつもの彼なら定時の時は、迷わず帰路に着いているに決まっているのだ。
「生憎と今日は、急いで帰宅する理由がないのでね」
医学雑誌を広げてはいるが、おそらく熟読しているわけでもなさそう。
傍らのコーヒーも、湯気が立たないほどぬるくなっているように見える。

内科医の彼は紙コップにコーヒーを注ぎ、自分の机に戻って腰を下ろした。
彼のところからだと、丁度応接セットは真向かいの方向になる。
「元宮さん、今日は夜勤じゃなかったですよね?」
友雅が、急いで帰宅する理由がないという意味。
大概それは、待っている人がいないからということで間違いなかった。
しかし、昼間通りかかったナースステーションで彼女の姿を見かけたし、それなら夜勤の予定はないはずで。
「今夜は学生時代の同級生と、女子会なんだそうだよ」
雑誌を閉じて、友雅は背もたれに身体を投げ出す。
医者らしからぬ長く束ねた髪が、肩に掛かって緩やかな波を描く。

「元宮さんは高校の看護科出身でしたっけ」
「そう。だから、ここに入ったばかりの頃は結構戸惑ったらしいよ」
看護師のスタート年齢は、進学方法によってまちまちだ。
高校卒業後に看護大学に進む者や、短大や専門学校に通う者もいるため、現場では同期と言っても年齢差が結構ある。
あかねの場合は5年一貫教育の高校だったので、二十歳で新人看護師としてこの病院に勤務し始めた。
とは言っても、彼女が臨地実習でやって来た頃から、プライベートな関係はスタートしていたのだけれども。
「ま、久しぶりの同窓会みたいなものだし、楽しんでくれば良いとは思ってはいるんだけれど、ねえ」
快く送り出したにしては、微妙な言葉尻。
そんなところから彼の本音が見えて、思わず笑ってしまいそうになった。

「じゃあ、一緒に飯でもどうです?」
お互いに車だから酒は無理だが、ちょっと近くで夕飯でも。
「うちも家内が娘夫婦のところに行ってて、帰っても一人なもんで外で済ませようかと思ってたんです」
「そうだねえ…」
おひらきの時間になったら連絡すると言っていたし、それから家に帰れば彼女よりも先には着くだろう。
一人の時間を持て余すより、仕事仲間と他愛もない話でもしていた方が気晴らしになるか。
と、友雅が考え始めた矢先。
「橘先生ー、それは天使様がお許しにならないと思いまーす!」
威勢良く医局にやってきた森村の声が、室内に響き渡った。
そして彼はこちらに向かって歩いて来て、ポケットの中から一枚の紙切れを取り出した。
「先生の天使様から、メッセージをお預かりしておりまーす」
ぴらっと目の前に差し出されたメモには、間違いなくあかねの手書き文字が記されている。
そこに書いてある内容は…
「読み上げます。『冷蔵庫に夕飯が用意してあります。ちゃんと栄養バランスを考えてあるので、きちんと完食するように念を押してください』だそーです」
更に続けて、
「『一人だから面倒だと言って、ビールとかで済ませようなんて許しません』とのことです」

森村がメモを読み上げ終わったと同時に、笑い声が上がった。
「先生、申し訳ありませんが…これじゃさすがにお誘い出来ませんよ」
「だね。私も天使様に逆らうわけにも行かない」
「というわけで、俺にも責任がありますんで、よろしくお願いしまっす」
例えここにいなくても、その姿が見えなくても、彼女の言葉には背けない。
それが、惚れた弱みというものであり、心地良さを感じるものであるから。


+++++


たった4人のメンバーだけど、親しい間柄だからこそ個室の方が気楽で良い。
ぼんやり灯る間接照明は、ムードがあってデートにも似合いそうだが、そういった使い方はいずれまたの機会に。

「しかしさぁ、私たちの中で一番にゴールインするのが、あかねだとは誰も思ってなかったよねえ」
「ホントホント!あかねは絶対ないと思ってたもん」
「何でそんな断言するのよー!」
だってさ、と友人たちは続ける。
5年間の高校生活を、共に看護師を目指しながら、と同時に寮生活の中で絆を深めて来た。
故に彼女たちとは、プライベートな想い出も共有している。
一番多感な年頃だったから、当然異性の話題にも事欠かなかった時代。
他校の男子生徒とグループデートを企画したり、中にはこっそり彼氏持ちだった生徒も少なくなかった。
そんな中であかねは割と消極的な方で、彼氏作りより試験勉強を最優先していたくらい。
「だって、卒業したらすぐに看護師になりたかったんだもん」
こんなドのつく真面目なあかねが、さっさと結婚することになるなんて信じられなかった。

「でも、そこまで看護師になるの急いだのって…結局橘先生と一緒に仕事したかったから?」
「え…それは、どうだろ…」
「だってさ、当時出掛けたりしてた時の相手って、やっぱり橘先生だったんでしょ?」
そう、あの堅物とも言えたあかねが、しばらくして休日に一人で外出するようになった。
帰りは大概門限ギリギリで、これは間違いなく彼氏が出来たんだ!と皆で問いつめたものだったが、結局卒業するまで相手の名を告げられることはなかった。
もちろん、相手は友雅だった。
後にも先にも、あかねが付き合った男性は彼しかいないのだから。
「一緒の仕事場になっちゃえば、そりゃ展開早くなるよねえ」
「そうでもないって。やっぱり社内恋愛とかはアレかなって…しばらくずっと隠してたし」
「んなこと言って、学生の頃から隠してたくせにっ!」
軽く後ろから、頭をこつんと叩かれる。
こんな親しみのあるふざけ方は、何年経っても気分が良い。
家族とは違う他人同士の深いつながり。そうそう、得られる関係じゃない。

おかわりの烏龍茶と追加オーダーが、次々と運ばれては空っぽになっていく。
話し出したら止まらないのは、今も昔も同じこと。久しぶりに会ったせいで、話のネタは尽きない。
「それにしても、どーしたらGETできるの、あんな大物」
臨地実習の現場でも、みんなの注目の的だったドクター。
整形外科医としての技術と名声はもちろん、あのルックスで独身となっちゃ女の子が放っておかない。
「この二人がまさかねー、くっつくなんてねー!」
友人が持って来た古い記念写真には、実習生だった頃の自分たちが映っている。
その真ん中で、彼女たちに挟まれて立っている彼は、今よりもちょっとだけ若く見え…るかな?
「そうでもないよー。今も昔もあんまり変わってないよ、先生」
「うん、変わんない。相変わらず……」

"医者にしておくのもったいない"
あかねが持参した年末の写真を並べ、口を揃えてそう言った。



***********

Megumi,Ka

suga