ご機嫌ななめの天使様

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夜から朝に掛けてはまだまだ寒さが厳しいが、昼間はぐっと日差しが暖かく感じられるようになってきた。
風が弱い晴天の日は、中庭やテラスを散歩する患者たちの姿も増え始め、植えられている木々にもちらほら彩りが見える。

ポロロン、と軽やかな電子音。
それに続いて、ドアをノックするアナログな音。
インターホンを鳴らしているのだから、ノックなどしなくても良さそうなものだが、何でかそんな習慣が身に付いてしまっているのが人間というもの。
「失礼いたします」
院長室に入って来たのは、グレーのスーツの男性。年は50になるかならないか。
スタッフバッジを胸につけているが、彼はドクターや教授などではない。
「今月のリストがまとまりましたので、ご確認をよろしくお願い致します」
「ああ、分かった」
手渡されたファイルには、所属部署の名前が刻印されている。

"企画広報室"。

多くの著名な医師や専門診療科を持ち、病理研究など様々な方面から注目される大学病院には、あらゆる分野から取材などの申し出が来る。
医学専門誌はもちろんのこと、最近では健康に気を配る人々も多いため、一般雑誌や新聞社から問い合わせも増えている。
医薬品会社出身の彼が室長を務める企画広報室は、名前通りこういったメディアからの依頼に対応する部署だ。
一旦彼らの部署を通し、相手側の内容を見極めた上で院長に連絡をする。
最終的な決定権は院長にあるが、各メディアの情報や取材のアドバイスをするのも仕事である。
「成人病予防の依頼が多いな。あと、今月はダイエットや美容関連も多いかな」
「ええ。丁度新生活が始まる時期ですから、環境の変化から食生活が乱れがちなこともありますし」
成人病と言っても多種多様に渡る。
取材のテーマを見極めて、それに合った専門医に打診しOKを貰った上で、正式にメディア取材に応じる。

「明日、会議があるから何人かに声を掛けてみよう」
「よろしくお願いします。あ、それとですね…もうひとつ取材というかコンタクトが来ているのですが」
「ん〜?どんなことだ?」
彼は院長が開いていたファイルを数ページめくり、問題の書類を表に出した。
「テレビ番組への出演依頼なのですが」
「テレビぃ?」
「最近、医療や健康などを扱う番組が増えていますからね。そういった類いのものです」
医療に従事する者として、そういったテレビ番組もそれなりに見ている。
記載されている番組タイトルも、何度か見たことがある健康バラエティだった。
「骨粗鬆症、関節炎、心筋梗塞、脳血栓に肝臓…と、ホントに何でもありだな」
「どうでしょうか、受理しますか?」
ここのような大学病院の専門医や、個人経営の総合病院のドクター、クリニックドクターに研究者など。
ピックアップされている医師たちは、老若男女問わず。もちろん、技術も経験も確実な"名医"と呼ばれるレベルの顔ぶれ。
テレビ局や番組の垣根を越えて、頻繁に顔見せする者も最近は増えて来ている。
だが、当院ではそういったテレビメディア露出はまだなかった。
「近年、当院は外科手術などの技術やリハビリシステムも最先端のものが整って来ております。そろそろPRも兼ねて、お引き受けしてみてはどうでしょう?」
「う〜ん、そうだなあ」
こういうのも、時代の流れと言えるのだろう。
大学病院という、医療機関としては上層にある施設とはいえど、情報を広く提供して患者が足を運んでもらえるような糸口を考えねば。
多くの医師や研究員たちが、日本の医療技術向上を目指し職務に励む毎日。
その努力を患者の回復や治療に活かせるよう、広報に力を入れるのも重要なのだ。

「よし、前向きに検討しよう。となると…誰に出演依頼をすべきかねえ?」
「依頼内容は多岐に渡っておりますし、どの科でも問題ないと思いますが…ひとつ助言させていただきますと」
助言?
「やはりテレビですので…それなりに見映えの良い方がよろしいのではないかと」
そういえばこの類いの番組には、ベテランの医師もいれば比較的若い医師もいる。
見た目も小綺麗で現代的な雰囲気の医師が多い。そして、華やかな印象の女性ドクターも見受けられる。
色々な番組を掛け持ちするほど、人気のある医師も最近は少なくない。
「その点も考慮して、人選いただけたらと」
「色々大変なのだねえ、テレビ出演というのは」
院長は苦笑いをしながら、ファイルを最初から見直し始めた。


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太陽光を存分に取り入れた、明るく広々とした社員食堂。
中央に置かれた大きなテーブルには、多種に渡るメニューが用意されている。
「まあ、天真くんを見習えとは言いませんけど」
「何ソレ。俺がやたら大食いみたいじゃんかよ」
「お世辞にも、小食とは言えないと思うけれどねえ」
森村の前に置かれたいくつかのプレートは、どれもオードブルや総菜が山盛り。
肉、魚、揚げ物などのボリュームに加え、身体の事も考えて…と、野菜たっぷりサラダも添えられてはいる。
しかし、だ。それにプラスどんぶり盛りの白米に味噌汁とか。
一応フルーツなんかも合わせてみたりとか。
それらが次々と減って行くのだから、見ているこちらも驚かされる。
他の社食と比べて値が張る分、上質なメニューを好きなだけ食べられるこの食堂。
ちなみに、おごりじゃなければ来られるわけがない----ので、森村の懐が冷え込むことはない。

「森村くんはまだ勤務中だから、栄養つけないとね。私はもうおしまいだから少しで十分なんだよ」
「まったくもう…。いっつもそうなんだから」
呆れ気味につぶやき、あかねは椅子から立ち上がった。
すたすたとテーブルの方に向かい、新しいプレートに小さなおにぎりと一口サイズのコロッケを3つほど。
もちろんそのプレートは、友雅の目の前に置かれる。
「はい、これ。食べるまで帰っちゃダメです」
「オマエ、小学生じゃないんダカラ」
給食を残して居残りとか、遥か昔の子ども時代に経験があったような。
というか、好き嫌い一切なしの森村には、給食を残した覚えなんてなく、むしろおかわりしまくったことの方が記憶にある。
「やれやれ…。天使様には逆らえないか」
さっきまで渋っていた友雅も、あかねの実力行使には抗うことはできない。
いや、元々抗うつもりもないんだろうなと思う。
あかねの言葉は、友雅にとってまさに鶴の一声なのだ。

「おや、珍しい」
一通り食事が終わった頃、友雅の視線が入口に向けられた。
昼休みも半ば過ぎ。ドクターが一人で食事にやって来た。
「藤原先生?」
「ああ。ここではあまり見かけないね」
小児科医の藤原は、大概外来病棟の方にある食堂で昼食を摂る。
子どもの急患にすぐ対処出来るよう、診察室から距離を取らないように心掛けているとか。
「呼んでみましょうか?」
あかねがそう言ったのは、藤原の様子が少し気になったからだった。
入って来たとたん、はあ…と大きくひとつ溜息をついて。
トレイを手に取ってみたは良いが、メニューの前でぼんやりしている。
診察時間外でもしっかりした雰囲気の彼にしては、ちょっと今の様子はおかしい。
「藤原先生ー!」
腰を上げて、あかねは彼の名前を呼んだ。
声に気付いて振り返った藤原は、軽く頭を下げて微笑んだけれど…その笑みはいまいち冴えがなかった。



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Megumi,Ka

suga