ぬくもりには敵わない

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今年は残暑が厳しいだろう、と毎年長期予報で聞いているような気がする。
確かに今年も9月末頃までは暑かったし、10月になった今でも日中はたまに汗ばむ陽気になる。
でも、やはり10月だ。
そんな陽気も少しずつ数が減って行き、肌寒いと感じる日が増えて来た。

「そろそろ本格的に、衣替えしないといけないですねー」
寒暖の差が激しいので、まだ半袖の夏物も片付けていない。
さすがにそれだけでは厳しくなったので、重ね着出来る秋冬物も少し出し始めた。
だが、季節物が重複しているせいで、今のクローゼット内は窮屈な感じ。
出来る限り整理を心掛けているが、やはりこの気候の変化ではどうしようもない。
「今度の休みには、私も手伝ってあげるよ」
「ホントですか?じゃ、疲れない程度にお願いしますね」
衣類の入れ替えに、カーテンやラグマット、ベッドカバーやシーツも秋冬の厚手なものに変える。
ついでに季節の変わり目の掃除を済ませ、これからの季節に備えておく。
これから年末に向かうたび、どこもかしこも慌ただしく忙しい。
病院勤務である友雅やあかねも、いつも以上に時間を拘束されるようになってくるので、年末に大掃除を掃除をしなくて済むように、今のうち少しずつ片付けを進めていくのだ。

研究棟5階の窓からは、中庭全体が見渡すことができる。
随分と色を変え始めた木々の間に、スタッフや患者の姿が見えた。
天気が良いからか、昼食を摂ったり休憩したり、散歩をしたりと午後のひとときを楽しんでいる。
「しかし、意外と外は風が吹くからねえ」
さんさんと降り注ぐ日差しは暖かい。
こうして室内なら外気を感じることなく、ガラス窓からその光を受け止めることが出来るが、外気が遮断されているからという理由がある。
「見ていると、おひさまぽかぽかな感じなのに」
「確かめてみるかい?」
友雅はそう言うと、窓のロックを外してサッシを開けてみた。
とたんに、ひゅうっと中に吹き込んで来た風。それは、日差しの暖かさを一瞬で忘れそうな冷たさ。
「うわ、ホント。これじゃ室内の方が良いですね」
言われてみれば、外にいる人々はカーディガンやショールを身につけている。
あれくらい厚着を用意しなくては、外で昼食なんて出来ない季節になっていた。

「私も明日から、ストール持って来よう」
カーディガンは既に使っているけれど、あと一枚防寒用の何かが欲しい。
去年彼が買ってくれたストール、あれくらいがきっと丁度良い。
看護服のピンクに似た色を選んでくれたから、院内で使用していてもあまり目立つことはないし、何よりカシミヤだから薄くて軽いのに暖かい。
「勤務している人間が、風邪引いたら大変ですもんね。気をつけ……きゃっ!」
いきなり、後ろからぎゅっと抱きしめられる腕。
あかねの身体がすっぽり納まってしまうほど、広い胸と腕が背後を包み込む。
「寒いのなら、遠慮なく私を使ってくれて良いんだが?」
肩に掛かる顎の重み、耳元で囁くような声。
窓を閉めたから、もう外気も消えて室内は暖かいのに、でも…伝わるぬくもりの心地良さに気付いてしまう。
「ストールやカーディガンがなくて、寒くなったら私のところにおいで」
「何言ってるんです?約束してるじゃないですか」

"勤務中に、プライベートは持ち込まないこと"
ここにいる間は、自分たちは患者のために存在している。
だから、個人的なことはあとまわし。
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でも。
「やっぱり、あったかいのは嬉しいかなぁ…」
くるりと向きを変え、あかねは友雅の背中に腕を回す。
そして彼の胸に顔をうずめて、身体をそっと預けた。
ストールで寒さを遮るのではなく、寒さをぬくもりで包みこむ。
何よりそのぬくもりは優しくて、心地良さを感じる自分に馴染んだぬくもりだ。
だからこんな風に差し出されると、つい甘えたくなってしまう。
「あかねだけじゃなく、私も暖かくて良いんだけどね」
もう一度改めて、あかねの背中で友雅の両手が組まれる。
逃げないように鍵をかけるようにしっかりと、でもふわりとゆるく身体は抱きしめられて。
プライベートを持ち込まないと心掛けているけれど、今は…昼休み中。
二人きりでいられる今だけは、フリータイムにしても良いかな、と甘えたことを考えてしまうのはお互い様。

「…何ですか」
友雅の指先が、あかねの唇をそっとなぞる。
突くのでもなく、擦るのでもなく、そうっと輪郭を描くようにして何度も。
「何してるんですか…っ」
尋ねても、彼は静かに微笑んでいるだけ。
笑みを浮かべながら、あかねの唇を指先で弄んでいる。
「……もう」
悪戯みないなことをして、ホントは誘っているつもりのくせに。
分かってる。いつも一緒にいるんだもの、彼の考えは伝わってる。
だから、つま先を少し伸ばして。瞳を閉じて。
抱き合あってしまえば、自然に距離は狭まって行くもの。
そうしたら…胸の奥からじわりと熱いものが沸き上がり、身体がもっともっと暖まって行く。


-----------ガラッ。
何の前触れも無く、突然に開いた部屋のドア。
はっとして唇を離した二人が見たものは、廊下の窓から注ぐ陽射しを背に浴びた男性の姿だった。
「おまえたち、こんなところで何をしている」
間違いなく今の光景を見たはずなのに、動揺しているこちらとはまるで逆。安倍は相変わらず無表情。
「いえ、ただ昼食を摂っていただけですよ」
「こんな人気の無い研究室でか。おまえたちの棟とは真逆だろうが。」
友雅たちの勤務場所は、本館の棟でこちらとは逆方向だ。
研究室が多いこちら側は研究棟と呼ばれ、あまり人が頻繁に行き来しないところなのだが。

「…ああ」
その場に立ち尽くしたまま、二人の顔を眺めていた安倍だったが、どうやら自分で真実をはじき出したらしい。
かと言って、彼の表情が変わることは殆どなく…。その反応の薄さに、こちらもどう切り返して良いやら。
「午後からここで講義がある。やることはさっさと済ませて、早めに持ち場に戻ることだ」
「さ、さっさと済ま…っ!?」
タバスコをスプーン一杯頬張ったみたいに、顔の熱が急上昇した。
さっさと済ませて、ってどういうことだ!済ませて…って、何を!?
このクールビューティーと称される安倍の頭の中で、自分たちはどんな風に映っているのか。
安倍は無言のまま何のリアクションもせず、ドアを閉めて姿を消した。
「安倍先生は、物わかりが良くて有り難いねえ」
わたわたしているあかねの顎を、友雅はくいっと持ち上げる。
そうして彼女の身体を再び抱き寄せると、さっきと同じように唇を重ねた。
「昼休みは、まだ残ってる。安倍先生も察してくれたから、こちらに人をよこさないだろう」
だから安心して、二人の時間を作れる。
邪魔の入らないふたりっきりの…甘い昼下がり。



研究棟のエントランスに下りると、若い研修医たちが数人集まっていた。
ワゴンに乗せた資料や、抱えているファイルを見たところでは、午後の講義に参加する者たちだろう。
「あ、安倍先生」
資料入り段ボール箱を抱えた森村が、安倍の姿を見て名前を呼んだ。
「講義の準備か」
「そうッス。研究室に運んでおけって、教授から頼まれたんで」
彼は箱を抱え、エレベーターのボタンを押そうとした。
が、安倍の声がそれを阻止する。
「もうしばらく様子見しておけ。今、研究室は取り込み中だ」
「は?取り込み中って…どーいうことですか」
「昼休みが終わるまでは、あの二人が占拠中だ。近寄らぬ方が身のためだ」
思わず手の力が抜けて、バサッ!と森村の足下に落ちた段ボール箱。
そんな彼に気を止めることもなく、安倍はすたすたと研究棟を後にした。



-----THE END-----




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2012.10.12

Megumi,Ka

suga