Stand By Me

 09

その日、友雅は自分の車で店に来た。
以前はこうして自らハンドルを握り、店に通っていたものだったが、最近はその頻度が少し減った。
理由は、昼間の用事が増えたからだ。
そういう時は決まって鷹通が、運転手を兼ねて目的地へ送迎してくれるのだ。
暗証番号で関係者入口のドアを開け、地下にある事務所に入る。
諸々の雑用を済ませてから出勤するとのことで、鷹通の姿は見えなかった。

「珍しく、一番乗りか」
笑いながら独り言をつぶやき、出勤表に『ON』のバッジを張り付ける。
人の気配のない事務所。
夜の商売とは思えないほど、整理整頓されたデスク周り。
ここだけ見ていれば、普通の会社のオフィスと言っても通用するだろう。
使用する人間の性格が、一目で分かる。

鷹通は金融機関に立ち寄ってから、出勤してくると連絡があった。
従業員たちがやって来るのは、もっと後のこと。
しばらくは、一人でのんびり時間を潰すことにするか。
自宅と同じタイプのエスプレッソマシンに、ダークグリーンのカプセルをひとつ。
手軽だし、味も十分だと思うけれど、それはあくまで個人として楽しむ場合。
機会に頼らず、自分の手で上手いエスプレッソを入れるコツは、本職のバリスタに伝授してもらうしかない。
「あとで、腕前を味見させてもらおうかな」
出来上がったエスプレッソをすすりながら、友雅はデスク横にある書類棚の扉に手を伸ばした。

この店を始めた時からの書類や帳簿が、紙とデータとで保存されている。
こんなに長く続くとは思っていなかったのに、随分と上手く気流に乗れたものだ。
絶えるどころか増えるばかりの顧客数。
不況だというのに、営業成績は水準以上を常にキープ。
従業員への給与額も、オーナーである友雅の取り分も、生活にゆとりを持てるだけの収入。
もしこれが海外だったら、"アメリカンドリーム"と称されるかもしれない。

真ん中の書類ケースの引き出しを開けると、いくつかの契約書に紛れて、白い封筒が入っている。
金色の文字でブランド名が刻まれたそれを手に取り、中にある二枚の小さな紙を広げてみる。
細やかに明記された、鑑定書と鑑別書。
彼女に贈った指輪の正体が、ここに記されている。
真実を知る者は、ほんのわずか。
彼女は……知らない。
でも、いつかしらは本当のことを伝えなくてはならない。
そのつもりで選んだ指輪だ。彼女のために、想いを詰め込んで選んだ指輪だ。

だから出来るだけ早く、自らの改革が必要だと思った。
彼女のために、変わらなければと。
指輪に秘められた真実を紐解いてやるために、時間を掛けて足場を踏み整えて。
「けど、もうそんなにゆっくりしていられない…か」


廊下から足音が近付いて来て、丁寧に事務所のドアが開いた。
「今日は随分とお早い出勤ですね」
「一人でぶらぶらしていても、暇なだけなのでね」
鷹通がロッカーに向かっている間、エスプレッソのカプセルをひとつセットする。
濃いめの味より、オーソドックスな味が彼の好みだった。
「契約についての書類は、今日で全て完了しました。これからは、作業に集中出来ますね」
「そうか。だが、本番はこれからだね」
店内のディスプレイは、まだ工事中。
着実に完成には近付いているが、隅々まで妥協せずこだわりをちりばめて。
新しいからこそ、印象に残る何かを感じてもらわねば、リピーターになってもらえない。
「オープン前のレセプションに、招待するお客様もそろそろチョイスしなくては」
本来ならば、常連客全員をもてなしたいのだが、そこまでキャパの広さはない。
招待出来ない客については、オープンのおしらせにサービスチケットを添えて贈ってはどうか。
「ええ、それは良いアイデアですね。それでしたら、皆さんお顔を見せに来て下さるかと思います」
そんな会話をしながら、鷹通はパソコンの前に座った。
デスクの上にある引き出しが、少しだけ開いている。
いつもは一番下に忍ばせてある封筒が、無造作に上に置かれていた。

「あかねさんは…ご招待されないのですか?」
鷹通は、常々気になっていたことを尋ねた。
まず、第一にあかねのことを考える友雅が、彼女を新しい店に招待しないのも考えられない。
今のような夜の商売ならともかく、今回の店は一般的な客層をターゲットに作られている。
ならば、彼女を店に招いても問題はないだろうに。
「もちろん、いずれは…と思ってはいるんだけどねえ…」
書類の間に隠した鑑定書。
その存在も、新しく生まれる店のことも、まだ彼女には知らせていない。
まず、それを伝えるところが、彼にとっての難関か。


「ですが、あかねさんが気付かれるのも、時間の問題ではないでしょうか…」
モニタに映し出されたメーラーをチェックしながら、ソファでくつろぐ友雅に鷹通は言う。
「最近は臨時休業が多いですし。そうすれば他店はあれこれ詮索するでしょう。少なからず、噂も立つでしょうし。」
業界ではそこそこの老舗で、この界隈に限らず有名店である『JADE』の動向は、誰もが注目して見ている。
噂が広まれば、いずれは彼女の耳にも届くかもしれない。
あかねの友人や知人を辿れば、ここらの店に通う女性がいる可能性だってある。
それに、思い掛けない偶然のハプニングもある。
「先日の森村くんのようなことも、もうないとは限りませんからね。」
その度に誤摩化しても、回を重ねれば彼女だって疑問を抱くだろう。
「もし、あかねさんが他からこの事を知ったら、複雑なお気持ちだと思いますよ」
「………」
カチカチ、とキーボードを叩く音が響く。
エスプレッソの苦い香りが、カップから立ち上る。

「あかねさんは、橘さんのお仕事を大切に思ってらっしゃいますから」
パソコンを見つめながら、鷹通は話を続ける。
「母も言っていました。『あかねさんは橘さんのお仕事を尊重されている』と。」
彼の仕事を邪魔する事は、絶対にしない。
例え二人の時間に急な仕事が舞い込んで来ても、そちらを優先するようにと逆に彼をただす。
「あの方は、ご自身の域をしっかりと理解されています。自分を押し出す事をしない方でしょう」
「そうだね。わがままを言うことは殆どないな。少しは強引になってくれても、私は構わないんだが」
「それを、なさらないのがあかねさんでしょう。今の若い女性には珍しい、良妻賢母の素質がある方だと母が言っておりました」
または、大和撫子…とも言えるだろうか。
見た目は愛らしくても、芯の強さを持っている。
そして、彼を癒す空気を作り出す。

「いやまあ、私のプリンセスをそこまで賛辞してくれるとは、嬉しいね」
「だからですよ。橘さんには、あかねさんがお似合いだと思うんですよ」
-----------お似合い?
空っぽのカップをテーブルに戻し、友雅はソファから起き上がった。

「それに、お二人は第三者の目から見ても、既に普通の恋人関係より一歩進んでいるように思えます」
「友達以上、恋人未満のような?」
「いえ、恋人以上、夫婦未満、といったところでしょうか」
恋人ではあるけれども、一般的な関係よりも深く強く。
かといって、夫婦という絆があるわけでもない。
しかし、限りなくそれは夫婦に似た雰囲気に思える。

「未満でなくなるかは、橘さんのご意志次第なのでしょうが」
「ふう…やっぱり親子だねえ。そういうところ、母上にそっくりだよ」
「私にとっても、完全に他人事というわけではありませんから」
プライベートな話題で、こんなにも鷹通が饒舌なのは珍しい。
何より、お互いにここまで親密な内容を話し合ったのも、今までなかったのではないか。



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Megumi,Ka

suga