「そっか、橘さんの誕生日って6月だったよな」
毎年この時期になると、鷹通が予約の調整に慌てふためいている。
友雅の誕生日である6月11日に、予約を申し込んでくる客が山ほどいるからだ。
しかし、少人数営業で完全予約制の『JADE』では、予約者全員を当日受け入れるわけにはいかない。
それだけ、彼を気に入っている客が多いということである。
ホールスタッフの天真にとっては、オーナーの絶大な人気には複雑でもあるが。
「なるほどな。誕生日のプレゼント探しかあ。じゃ、橘さんと一緒ってわけにゃあいかないな」
「うん…。だから、今回は見逃して?」
「了解。でも、あんまり遅くならないうちに帰れ」
あかねは両手を合わせて天真に感謝を表すと、早足で駅の方に歩いて行った。
その姿が完全に見えなくなったのを確認してから、彼は携帯を手に近くのバールに飛び込んだ。
山手付近にある、静かな和風料理店。
海外の客を招くときによく利用する店であるが、今日は久しぶりにプライベート。
「たまには日本料理も落ち着きますね」
「普段は洋食ばかりだからね。まあ、一番落ち着くのは手料理に限るけれど」
さりげなく恋人の自慢を取り入れるのが、最近の彼の癖。
以前は私生活の付き合いなど、マネージャーの鷹通にさえ打ち明けたりしなかったのに、今は全くの逆だ。
だが、こういう態度も海外の客には受けが良い。
レディファースト主義、恋愛に対してオープンな彼らには、親しみがあるらしい。
軽めの冷酒を少し、友雅は嗜む。
鷹通は運転するので、あいにく今日はアルコール無しだ。
「今日は、天真たちは研修だったかな。上手くやっているだろうかね」
「ええ。あちらの主任にお話を聞いておりますが、いつも真面目に頑張っているとおっしゃっていましたよ」
「そうか。じゃあ、期待できそうだね」
しばらくの間『JADE』の営業日数を減らし、フロアスタッフには別の店に研修に行かせている。
親しい者同士なあなあにならぬよう、全員を別の支店にバラして通わせているが、天真にしても頼久にしても反応は上々。
「来月からは、裏方の研修だね」
「はい。ソムリエとテーブルマナーの方です。それと、厨房に入って頂く予定の方についてですが…」
「修行の成績は良好かい?」
「問題ありません。まだお若い方ですが、シェフからのお墨付きも頂いておりますので」
「良かった。すべて問題なく進んでいるということだね」
一通りの話を聞かされて、友雅も少しホッとした。
『JADE』の他に、現在いくつかの業務を展開しているが、これから始まるのは全く違う方向のものだ。
数年前から企画を立ち上げ、やっと今年の秋にスタート出来る。
「もうすぐですね。」
「ああ。上手く軌道に乗れるよう、気を引き締めなくてはね」
新しい分野への開拓だから、簡単に行くとは思ってはいない。
でも、出来るだけ順調に、少しでも早く安定したサイクルに乗れるように。
本気を出さないとね。
これからの…私たちのためにも。
塩胡椒だけのシンプルな海鮮焼を、スタッフがテーブルに置いたと同時に、鷹通の携帯がカタカタと震え出した。
点滅しているモニタを見て、発信者の名前を確認する。
「橘さん、森村くんからお電話ですね…」
「天真から?」
この時間だと、研修が終わった頃だろうが、何かあったのか。
とにかく電話に出るようにと友雅は促し、鷹通は通話ボタンを押した。
それから数分後。
「橘さん、ちょっとご相談が必要になりました」
「ん?まさか向こうで、何か失敗でもやらかしたのかい?」
威勢の良さが人気の天真だが、それらを好む女性客を相手しているうちは良い。
しかし一般客を接客する場合は、やはりジェントルな行動を身につけてもらわねば困る。
だが、そんな友雅の心配は的外れで、問題は別のところにあった。
それは、何よりも彼が危惧していた…彼女のことだった。
+++++
PCを開いていると、時が経つのも忘れてしまう。
何か探し物をしていると尚更で、あれもこれもと見ているうちに、気付いたらどんでもない時間になっていたり。
「うーん…シンプルな分、やっぱり質の良いものにしたいよね」
以前プレゼントしたブリーフケースは、鷹通の母に頼んでイタリアで見つけてもらったもの。
日本で買うよりきっと良いものがあるだろうけど、さすがに今回は期日が短すぎて、頼むにも頼めそうにない。
となると、やはり国内で手に入るものを選ぶしかないだろう。
いくつかを品定めして、ショップに出向いて現物を見て決めることにしよう。
そうこうしているちに、インターホンが部屋に鳴り響いた。
「姫君、ドアを開けて下さいませんか?」
スピーカーから声がして、すぐにあかねはロックを外す。
「おかえりなさい、友雅さん」
言葉を掛けるあかねに対し、友雅はキスで応じる。
片手でドアのロックを閉じて、身体を抱き寄せ、そのままリビングへ。
「ご飯とシャワーと、どっち先にします?」
「おや、そういう時にはもうひとつ、選択肢があるものじゃないかい?」
長い彼の指先が、意味ありげにあかねの鼻先を突く。
冗談のようで、本気でもあって。
うっかりすると、流されてしまう甘い台詞。
「でも、今日は少し暑かったからね。先にシャワーを使うことにするよ。」
「あ、はい。じゃあ、テーブルに用意しておきますね」
そう言って、あかねはダイニングキッチンへ。友雅は、バスルームへ。
「あかね、天真から聞いたけど…駅前あたりを歩いていたんだって?」
背中越しに突然投げかけられた声に、びくっとあかねの肩が震えた。
天真くん…私に会ったこと、言っちゃったんだ…。
どうしよう、問いつめられたら何て答えよう?
と、あかねが困惑しているのもつかの間、友雅が背後に近付いていた。
「あまり遅くならないようにね。いくら友達と一緒でも。」
「えっ?」
友達と一緒…って、もしかして天真くん、ごまかしてくれた?
一人で歩いていたんじゃなくて、友達と一緒だったって嘘ついてくれたのかな?
「夜の街は気をつけないとね。可愛い子羊は狙われやすいから」
後ろから伸びる腕が、ぎゅっと身体を締め付ける。
肩にかかる顎の感触と、耳元にかすかに感じる声と吐息。
「子羊を食べても良いのは……私だけだからね?」
「うっ…ひゃ…」
何度聞かされても、この囁きだけは慣れない。
抱きしめられ、耳元でこんなこと言われたら…食べられても良いと思ってしまう。