Stand By Me

 04

鷹通にも承諾は得ているので、普段より早めに友雅は店を上がることになった。
正確には、鷹通の方からあかねを連れて帰ってくれ。と言われた。
「一人で帰らせるのは、私も心配だろうからってね。鷹通はオーナーをよく理解してくれている、有能なマネージャーだよ」
私服に着替えて、部屋の戸締まりをしながら友雅が言う。
あかねは彼を待ちながら、何となくその部屋をぐるりと眺めてみた。
…数回しか来たことはないけれど、かと言って変化があるようなものでもない。
壁の出勤表には、今日のスタッフの名前が記されていある。
でも、当日の分しか書かれていないので、昨日や一昨日がどんなタイムテーブルだったか、は分からない。
もしかしたら、定休だったかもしれないけれど…確かめるものは何もなかった。

「しかし、本当にいきなりだったね。どうして店が懐かしくなったの」
肩を抱きながら駐車場に向かい、あかねを助手席に乗せてから友雅が聞いた。
エンジン音が静かに響き、裏道を抜けて大通りへとシトロエンが滑り出す。
「…ええと…」
何て答えようか。正直に、『JADE』の噂を聞いた方が良いだろうか。
だけど、何となく口に出しにくいというか、そう簡単な問題じゃない気もするし。
もし本当に『JADE』が閉店しても、それはオーナーの友雅が決めたことだから、自分が口を出す権利はない。
彼にとって自分は部外者で、鷹通のように経営に関わることでもない。
だから、どうあっても仕方ないことではあるが…。

「理由はなくても、私は構わないけどね。仕事しながらあかねの顔が見られるなら、ラストまで店に出ていても良いかな」
「また、そういうことを…。じゃ、ラストまで予約入れちゃいますよ」
「喜んで。VIPのお客様でしたら、いつでも最高級の宝石のような夜を、提供致しますよ」
くすっ、と二人の間に笑いが浮かんだ。
良かった。何となく話題がスルーしてくれたみたいだ。

……気付いたら、店の近くまでやって来ていたのだ。
今日は店が開いているのだろうか。
本当に、店を休んでいたりするんだろうか。
それを確かめたくて来てしまったのだが、今夜そこにあったのは、あかねがよく知る『JADE』の姿だった。



部屋に帰ってから夕飯の支度は面倒だろうと、途中で彼はレストランに立ち寄ってくれた。
イタリアンだったが重いものは少なく、野菜が中心のヘルシーなメニューが殆どで、夜に食べても胃に優しい気がした。
結局戻ったのは10時過ぎで、彼がいつも帰宅するような時間。
「さて、食事の用意も必要ないから、シャワーを浴びてしまおうかな」
そう言って彼は、あかねの手を引いてバスルームに向かった。

外の雨のおかげで気温が少し低いため、湯の温度をいつもより高めにしてみる。
身体に降り注ぐシャワーの温度と、それとは別の熱で肌が紅を帯びて行く。
友雅はあかねを抱き上げて、たっぷりと湯を張ったバスタブの中にゆっくり腰を下ろした。
「夜の雨は、身体を冷やすからね。しっかり暖まらないといけないよ」
湯が二人を同時に包み込むみたいに、同じ温度で身体を温める。
抱きしめあう肌のぬくもりも、更に熱を上昇させる。
「でも、何だかのぼせてしまいそうだね…。心も、身体も一緒に」
さらりとしたあかねの髪も、バスルームの湿気で軽やかには動かない。
その分、首筋や頬に毛先が乱れるように張り付き、妙に艶やかさを醸し出す。

時間に余裕があるから、それらを有効に使おうと考える。
どうするのが一番だろうかと思ったら、答えはひとつしかない。
強まる互いの腕は、互いを締め付けるように抱き合う。
口づけは事務所の時よりも、ずっと濃厚でクリーミーな味に変わる。


「…友雅…さん」
途中であかねが、名前を呼んだ。
それと同時に、彼女の手の力もふっと緩む。
「ねえ、友雅さ…ん?」
「一時停止は好ましくないよ」
「ん、違う…。その、友雅さんの携帯が…光ってるから…」
顔を上げてミラーを見ると、小物置きに使っているミニテーブルの上で、彼の携帯のランプが点滅しているのが映っていた。
「大丈夫、メール着信だよ。あとでこちらから連絡する」
「でも…お仕事の話だったら、困りますよ」
友雅がその気になってくれないので、わざとあかねが動いた。
腕の中からすり抜けて、携帯に手を伸ばして彼に渡す。
「本当に真面目な姫君だねえ…君は」
仕方ないと思いながらも、嫌な顔などせずに友雅は携帯を受け取る。
そして、彼女の前で中身を確認すると、またすぐにそれをミニテーブルに戻した。

「お仕事のことでしたか?」
「うーん、まあ、そう言われればそうだけどね。鷹通の母上からだったよ」
鷹通の母。ヴェネツィアに住む彼女は、あかねをやたらと気に入っていて、何かと構いたがる。
同時にこちらにも構ってくるので、時々困ることもあるけれど。
「来月に、また日本に来るらしいよ」
「ホントですか?お仕事って…『JADE』で出すワインのこととか、ですか?」
「ああ、それもあるよ。でも、意外にあかねと遊びたいから、というのが大きいかもしれないね」
息子しかいないから、娘のような年頃のあかねがとにかくお気に入りで。
帰国するときはこんな風に、まっさきにこちらに連絡をして来る。
そして、あかねを連れ出しては買い物したり食事に行ったりと、娘の母親気分を毎回満喫しているようだ。
「またその時は、付き合ってあげておくれ」
「はい!私も鷹通さんのお母さん、大好きですから」
実の母より若くて綺麗で、センスもよくて、会話も弾む。
恋愛のこと…友雅についてのことも、彼女になら本心を打ち明けられる、あかねにとって良き理解者である。

「今回は長居をするらしいから、夏休みも楽しくなりそうだね」
社会人はお盆休みのわずかな休暇しかないので、遠出の旅行はとても無理だけど、国内でもきっと彼女と一緒なら楽しそうだ。
「友雅さんは…今年は渡欧はしないんですか?」
「今年は、今のところはないな。私も国内で、ゆっくりする方が良い」
もちろん…あかねと一緒が条件だけどね。
耳朶に唇を寄せて、彼はそんな囁きを吹きかける。
魔法のようにその囁きは、あっという間に二人の空気を甘く変えた。


「あっ…お弁当忘れてたあっ!!!」
じっくり時間を掛けたバスタイムを終えて、リビングに戻ったあかねははっと気付いた。
バッグの中に置きっぱなしだった、手つかずの今日のお弁当。
せめて冷蔵庫に入れておかなければ、すぐにダメになっちゃうところだったが…何とか保冷剤のおかげでセーフだった。
「食べなかったのかい?」
「今日は大学の同級生の女の子が、遊びに来てくれて一緒にご飯食べたんです」
弁当箱を冷蔵庫に入れて、代わりに冷たいシードルのボトルを取り出した。
大きめのを、一本。それをゆっくりと、二人で味わいながら眠るのだ。
「で、その子は今度海外転勤になるんですよ」
「海外かい?随分と出世が早い子だねえ」
「凄いですよね!シカゴのSCに支店が出るらしくて-----------」
今日の話を、あかねは友雅に聞かせようといろいろ話した。

あ、でも……。
「どうしたの?」
「あ、ううん…何でもないです。で、その子って大学の頃は……」
思い出しかけて、一旦それを押し止めた。
マンションの契約の話、どうしよう…。

こんなにも、ここで暮らすことが当たり前になっているのに、別の部屋を借りる必要ってあるんだろうか。
いくら賃貸料が安くても、それらが必要なければ生活費が潤うし。
滅多に帰ることのない部屋なんて、無駄なだけじゃないかな。

だけど…この部屋は……。
ここは、私の部屋ではないから…やっぱり別の居場所を作っておくべきなのか。


しとしと、雨はやむことを知らない。
その日の夜、この地区にも梅雨入り宣言が発令された。



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Megumi,Ka

suga