Stand By Me

 03

「噂の出所は、今年入社した子なんだけどね…」
その子の友達に、とあるホストクラブの常連がいるらしく、たまに店に連れて行ってもらうらしい。
『JADE』にも近いエリアにある店で、やはり彼らからも『JADE』の存在は一目置かれている。
規模は普通の店よりずっと小さいのに、後を絶たない予約客。
開店してから随分経つのに、質も来客数も落ちるどころか昇る一方の老舗である。
黙っていても、『JADE』はその世界では十分の威圧感を持つ店だ。

「で、そのクラブのホストから聞いたんだって。もしかしたら『JADE』は、近々閉店するのかもなあって」
同じエリアに勤めているので、他店の開店前、閉店後の様子も目に入る。
彼曰く、ここのところ昼間からオーナーとマネージャーが店に来たり、すぐにまた出掛けて行ったりと妙な行動が多いという。
そして一番気になるのは、最近定休日が多いのだそうだ。
「『JADE』って月〜土の営業だよね?」
「うん…夜7時から0時まで。変わってないはず…だよ」
「だよね。それがね、最近週に2日くらい休みがあるんだって、日曜以外に」
「えっ……うそ…」
お店が休みだなんて、聞いてない。
だって、家に帰れば既に彼はお店に出ていて、ちゃんと約束の10時で上がって帰って来る。
月曜も火曜も水曜も木曜も金曜も…土曜だって。
たまにあかねが土曜に休みがある時も、彼は夕方鷹通に迎えに来てもらい、お店に出掛けているはず…だ。

「あまりにお休みが多いんで…そういう噂が出たみたい。でも、友雅さんがあかねにそういうの、言わないはずないもんね。じゃ、やっぱりガセだよね」
「…多分」
デザートのライムのムースが、二人の前に届いた。
懐かしい学生時代の味だ、と喜びながらスプーンですくい、口に運ぶ。
爽やかな酸味と香りは、とても心地良いのに…あかねの心にはガラス窓の外と同じような、重い湿度が溜まり始めていた。


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「最近ちょっと、お休みが多くない?ただでさえ予約入れるの大変なのに、困っちゃうわよ」
「色々とこちらも忙しくてねえ。その分、店を開けている時は、きちんと手を抜かないエスコートはさせて頂くよ」
カウンターに座る女性社長に、友雅はオレンジ・ブロッサムのグラスを差し出す。
彼女が好むのは、大概ジンベースのカクテル。
その中でも、このオレンジ・ブロッサムをよくオーダーする。
常連客の定番だけは、ある程度把握しているつもりだ。バリエーションまでは無理だが、よく飲むものくらいは覚えている。

昨日は定休だったので、二日振りの開店だ。
元から予約制の営業であるため、客が来て定休日だったので帰ってしまう、ということはあり得ない。
ただ、店が休みならば予約を入れることは出来ない。
有り難いことに現在も、予約が途切れないので経営状態は十分安定している。
今日も多くの予約客が店を訪れ、宝石のような一夜を楽しんでゆく。


カラン、と軽いドアベルの音がした。
お客様の到着だ、とマネージャーの鷹通がすぐに入口へと向かった。
「いらっしゃいませ。今宵お約束の………っ…!」
ドアを開けて入って来たその客に、思わず鷹通が声を抑えた。
前述のように、『JADE』は完全予約制だ。飛び込みで受け入れる客はいない。
しかし、彼女は……。
「どうなさったのですか、あかねさん…」
「あの、ええと…」
まさかあかねが、店にやってくるとは思わなかった。
もしかして、友雅が特別に呼んだとか、そういう約束があったんだろうか。
全くそんな話は聞いていないが。
「いえ、違います。突然来ちゃっただけで…すいません。何でもないんですよ」
「何でもないとは言われましても…」
外はもう、華やかな夜の賑わいに包まれた世界だ。
そんな場所を歩かせるのは危険だから、という意味で友雅は店の遠くに部屋を借り、彼女が安全に待っていられるようにと環境を整えたのだ。
例え友雅と約束があっても、一人で夜にここまでやって来させるのは、あり得ないはずだ。

「すいません、ホント何でもないんで…帰りますね」
「お、お待ち下さい!裏に回って、事務所の中でお待ち下さい」
黙って夜の繁華街を、彼女一人で帰すわけにはいかないだろう。
そんなことしたら、友雅に何と言われるか分かったもんじゃない。
とにかく、彼に状況を伝えねばなるまい。
鷹通はすぐにフロアに戻り、カウンターで談笑する友雅の元に向かった。

「橘さん。お話のところ…少々急用が」
「ん?」
そっと鷹通は、友雅に耳うちをする。
慌てた様子は表向きに見せないが、その話を聞いて瞳の奥が確実に揺らいだ。
「申し訳ないけれど、また野暮用が出来てしまったようでね。今日は早めに上がらねばならなくなったよ」
「え〜?ホントに最近、付き合いが悪いわねえ」
冗談めいた口調で愚痴を言う客を、宥めるように鷹通が笑顔で応えた。
「本当に申し訳ございません。次回は、サービスをお約束させて頂きますので」
彼がフォローしてくれている間に、友雅は即座に裏へと姿を消した。


まだ慌ただしい厨房を通り抜け、迷路のように細い廊下を奥に向かって進む。
薄暗い通りの先にあるドアを開けると、煌煌と明るい事務所の中。
そこには誰もいないけれど…奥にあるオーナー室に、きっと彼女がいる。

「いけない姫君だね。夜の街は危険だから、出歩かないようにと言っただろう」
そっとドアを開けると、応接用のソファにあかねが座っていた。
朝、出掛けて行った時と格好は変わっていないので、おそらく仕事先からそのままやって来たに違いない。
友雅はあかねの隣に、ゆっくりと腰を下ろした。
そして彼女の手を取って、顔をぐっと近付ける。
「姫君は、ちゃんと送迎してもらわないといけないんだよ。一人で出歩くのは、好ましくないね」
「…ごめんなさい。ちょっと何となく…お店が懐かしくなっちゃって」
「それなら尚更、まず私に連絡しなさい。あかねなら特別に、飛び込みでも受け付けるよ」
ただし、絶対に自分を指名すること。
他の誰にも、エスコートさせないこと。
「それを守ってくれるなら、ご指定の場所までお迎えにも上がりますよ、姫君」
重なるために近付く彼の唇を、あかねは目を閉じてじっと待った。
すぐにぬくもりは重なりあって、背中に包むような彼の手が回った。

口づけを何度も繰り返し、身体を彼の胸の中に預けて、あかねの両手も友雅の背中に回った。
唇を求めているから言葉を発せないけれど、互いの気持ちは仕草で伝わる。
愛しさは時に甘く、そして激しく、そして熱い。
それらの感情はランダムで二人を包み込み、やがて愛し合う者たち特有の感覚が浮き上がる。
「危ないことをしてはいけないよ。私の姫君に、もしものことがあっては困る」
「…ごめんなさい、もうしません」
「いい子だね。じゃあ、帰ったらご褒美をあげよう」
あかねの髪を撫でながら、友雅はそう言ってまた彼女の唇にキスをすると、守るような優しい手つきで、細い身体を抱きしめた。



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Megumi,Ka

suga