over the rain

 02

大学側からお許しが出たので、中庭の紫陽花をカットしてカウンターに飾った。
古い書籍に囲まれた館内は重厚感を漂わせるが、花が飾られているだけで趣がぐっと柔らかくなる。
「バラみたいに香りがないのが、ちょっと物足りないけどねー」
司書たちはそう言いつつも、ふんわりとした紫陽花の姿に表情を緩ませる。
6月になると気の早い生徒たちが、期末試験の勉強に図書館へとやって来る。
だが、まだ今はそれほど人数は多くない。これが来月になると図書館だけではなく、カフェテラスにも試験勉強する生徒の姿が多くなる。
そんな大学生の行動には、あかねも身に覚えがあった。
自宅や彼の部屋では、到底勉強に集中なんか出来なかったので。

「ねー、ところで元宮さんは今年の夏休みって、もう予定立ててあるの?」
「夏休みって…もうそんな話ですか?」
期末試験が終了して、大学が夏休みに入るのは8月の頭。
しかし図書館が夏期休暇に入るのは、お盆を挟んだ一週間くらい。
なのであかねたちの夏休みは、まだ2ヶ月ほど時間があるのだが。
「確かに話をするには早いけど、旅行とか申し込みするには今から動いておかないとねー」
そういえば生協ではこの時期、夏休みに合わせた国内外の旅行プランが多く貼り出される。
当然普通の旅行会社より安いので、帰省に合わせた新幹線や空路を含めてこれらは早い者勝ちである。
「海外行くなら一週間じゃ足りないし。こういう時こそ有休入れなきゃならないから、予定は早めに決めておかないと大変よー」
利用者の少ない夏休み時期でも、職員の数が足りなくなってはいけない。
有休を取るつもりなら、他のスタッフと折り合いをつけておかねば。
「私はね、この辺りを狙ってるのよね」
そう言って彼女が取り出したのは、数冊の海外旅行パンフレット。
南の島のリゾート、ヨーロッパクルーズ…など様々。
「元宮さんは海外経験ある?」
「えーと、高校の時に修学旅行でロサンゼルスに」
姉妹校への交換留学みたいなものだったので、旅行気分は殆どなかったが。
「他には…えーと、ベネツィアとスイスに行きました」
「わー、良いなあ!やっぱりヨーロッパってロマンチックだよねえ」
その二カ所は、友雅に連れて行ってもらった。
買い付けに同行したので、ベネツィアでは殆ど別行動だった。
でも、そのかわりスイスは完全にプライベートな時間を貰ったけれど。
友雅さんたちがお仕事に行っている間、付き合ってくれたのが鷹通さんのお母さんだったんだよねえ…。
向こうで暮らしていた彼女に、観光だけじゃなく日常生活も教えてもらって。
友雅と一緒にいられないのは残念だったが、十分彼女のおかげで楽しいひとときを味わえた。
「今年は行かないの?」
「まだちょっと分からないですねえ…」
「彼氏と話し合ってからってことね」
あかねの相手が誰なのか、どんな人なのか知っている人は数少ない。
大学の同級生たちは、もうここにはいないし。

夏休みの旅行かぁ。
もう新人じゃないから休みも自由が利くし、そこそこ貯金も余裕が出て来たし。
どこか行きたいな。国内でも海外でも良いな。
帰ったら、友雅さんに聞いてみようかな。
……あ、でも…もしかしたら夏って、レストランの方が忙しかったりするのかな。
『JADE』はお盆の時期に定休していたけれど、『giada』はそうは行かないかもしれない。
新しいお店だし、夏のドルチェが…とか言っていたし。
旅行に出掛ける暇なんか、ないかなあ…。
たまには違う空気の流れる場所で、二人でのんびり過ごせたら良いだろうなとは思うけど、やはり今は難しいだろうか。




「驚かせてしまいまして、申し訳ありませんでした」
「いやいや…。しかしまさかこういう話が持ち上がるとは、こちらも予想してませんでしたし」
会議が終わったあとで、組合の幹部陣が苦笑いをする。
町の再開発には頭を悩ませていたが、友雅たちからこんな提案が出されるとは思わなかったので。
かなりそれは革新的であり、成功すれば町のイメージががらりと変わる。
ここで店を営む者すべてが対応出来るかは難しいが、可能な店舗が実現できれば客の顔ぶれも変わって新風が舞い込む。
夜の帳がなければ華がないこの町に、違った一面を印象づけるための改革。
「もうしばらく話し合って、前向きに考えて行きましょうよ」
「そう言ってもらえると有り難い。うちもそれを踏まえて行くつもりだから」
今日の会議は、あくまでも最初の打ち合わせ。
こちらの企画に皆がどう反応するか気がかりだったが、一瞬戸惑ってみせつつも納得はしてもらえたようだ。
これも鷹通のスピーチ力によるものだろう。
段取りをきちんと踏まえて、理路整然とした説明をこなせる彼の手腕が活きた。

「『JADE』を辞める話がありましたけど、結局どうなんです?」
「それについては、少々プランを練り直しているところです。お辞めになるわけではありませんよね、橘さん」
「気の変わる出来事がありましてね」
二人が出会った思い出の店だから、とあかねに言われたら立ち止まるしかない。
『giada』と同じようには無茶なので、どういった形で両立していくか考慮中。
「では、次の会議は来月ということで」
これからは今までよりも、会議の回数が増えて行きそうだ。
『JADE』と『giada』を行ったり来たりしながら、夏のスケジュール調整も立てておかなくては。
「今年は上手く夏休みが合うと良いのだけどねえ」
「気が早いですね、もうお休みのことですか」
「楽しみなことが待っていれば、少しはやる気が出てくるものだろう?」
「橘さんのやる気を上げて下さることでしたら、私は歓迎いたしますよ」
"あかねさんによろしくお伝え下さい"と鷹通は会話を締めて、ビルの裏口から地下へと下りる。
本日のメインステージは『JADE』。
落ち着いた店内で極上のワインを傾け、最上級の夜をおもてなしする--------今も昔も変わらない『JADE』のスタイル。
勿論今宵の予約も、閉店時間まで空き無しだ。


友雅から電話が入ったのは、駅前のロータリーでバスの列に並んでいた時。
今夜は常連客が多いので、数組相手をしてから帰宅するらしい。
ということは、帰りはおそらく10時を過ぎてしまうはず。
8時より遅くなる時は、先に夕食を摂って構わないというのが決まりごと。
一人なら簡単なもので良いかな。
あかねはバスの列から外れて、駅ビルのスーパーマーケットに向かった。
適当にぐるっと店内を見てまわり、適当に品物を見極めてカートの中へ。
これからの時期は湿気も多く、気温もどんどん高くなる。食材の保存も長く持たないことを年頭において、毎日献立を考える。
ああ、そうだ。今度図書館でレシピ本を借りて帰ろう。
ネットでいくらでも探すことは出来るけど、たまには本を開いてレシピを試したい時もある。

レジに並ぶと、ひとつ前の女性のカートから商品が精算されていく。
ヨーグルト、コーヒー牛乳、レトルトのミートボールにチキンナゲット…。
おそらく子どものお弁当のおかずになるのかな、と想像してみたり。
選ぶ商品を見ていると、何となくその人の生活が見えて来る。
ベーコン、サーモン、豆腐にセロリ…等。
私のカートの中身からは、どんな生活が想像されるんだろう?
恋人と同棲中?既に結婚して二人暮らし?
ふふ、どっちでも良いな。
誰かのことを考えながら、料理をしていることは変わりないから。



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Megumi,Ka

suga