If I fell〜恋に落ちたら〜

 03

「あかねは、どうしたら良いと思う?」
「えっ!?」
急に意見を問われて、あかねはその場に立ち止まった。
「どうしたら良いかって…私は全然経営とか分かんないし…」
経営学部や商学部出身でもないのに、そんなこと尋ねられても適切な答えなんか出せない。
実家は自営業でもない、普通のサラリーマン中流家庭だし。
「そういえば、あかねの意見を聞いたことがなかったなと思ってね。『JADE』を閉めるべきか、それとも続けるべきか…どう思う?」
友雅は立ち止まって、あかねの前に立つ。
少し傾いて来た日差しが彼の影を伸ばし、その中にあかねの影は重なって消えた。
「専門的な意見はいらない。素直にどう思うか、だけ教えてくれれば良いんだよ」
あかねもまた、『JADE』にとって大切な顧客の一人だ。
その顧客の声として、直に彼女の想いを聞きたいと思った。

「…もったいないなあ…って思いますよ、やっぱり」
彼が期待した答えかどうかは分からないが、あかねが本音としてひと言口にするとしたら、やはりこうだった。
客として店に立ち入っていた頃にも、素敵な空間だなと心の底から思ったし。
似たような業種の他店に引きずり込まれたこともあったが、そこで逆に『JADE』が所謂世間一般のホストクラブとは違うのだ、と知らされた。
何から何まで騒がしくて、変にきらびやかな雰囲気を作りあげる店は、居心地が悪いとまで思えた。
そんな店も気がつけば、別の店に変わった。
あかねがあの町を知った頃から比べたら、周囲の店や客層も色々と変化している。
その中で今も中心として存在している『JADE』が、消えてしまうのは勿体ない。

それと…庶民の目から見ての感想だが、彼と日常を共にするようになって分かったこと。
とにかく金銭感覚が桁外れだと思っていたけれど、思いつきで買い物をしたところで彼の懐に負担がかかることはない、ということなのだ。
収入とか貯金とか通帳とか、個人的なものには一切触れない・立ち入らないと決めているから、実際のところ彼の現資産がどのくらいかは不明だ。
でも、一緒にいるだけで分かってくるのだ。
おそらく、あかねが想像している以上の…。
『JADE』の自社ビル、とことんこだわりを追求した『giada』、シトロエンの自家用車、彼の住むマンション、家具、インテリア……。
これだけの稼ぎを生み出せる店を、辞めてしまうなんて勿体ないと誰だって思う。


「あかねがそう思うのなら、予定変更せざるを得ないか」
「ま、待って下さい!私の話はホントに素人の考えでしかないし…」
「お客様全員が経営専門家じゃないよ。あかねと同じ他業種の人が殆どだ」
専門家が相手なら、基礎的な部分から見た話を聞く。
だがそれよりも大切なのは、店に来る客と同じ目線と価値観を持つ者の言葉。
「もう少し、『JADE』を大切に考えよう。私だって、無駄にしたくはないからね」
始まったばかりだから、立ち止まってみることも許される。
将来に向けて、どの選択が最良であるのか。
プランを練り直せるのも、今のうちだ。
「だけど、みんないつまでも若いわけじゃないからねえ。年齢層の高いスタッフでも、お客様に喜んでもらえるかな?」
「最近は落ち着いた年齢のスタッフって、女の子に人気あるって聞きましたよ」
ホストクラブではないが、色々なコンセプトバーやカフェが増えつつある昨今。
若い男性ばかりの店が溢れているからこそ、やや年齢の高い男性スタッフが注目されることも多いんだとか。
「『JADE』はそういうクラブじゃないけれど…。でも、そういうお店がお手本にしたいのが『JADE』なんじゃないかなー」
男性が女性客をエスコートする。
それも、派手派手しさを抑えた紳士的なもてなしで。
顧客が途切れない理由は、そこにあるのではないかと思う。
疑似恋愛の相手みたいな若いスタッフばかりじゃ、いずれ疲れて来てしまうもの。
「今のままで『JADE』は良いんじゃないかなあって思います。常連さんに合わせて年期を重ねていくって、ステキじゃないですか?」
「…なるほどね、良い言葉だ。」
付き合いが長ければ長いほど、店と客の間に強い信頼感が生まれてくる。
この店ならば間違いない、という確信を持って客が足繁く通ってくれる可能性がある。

「『JADE』と『giada』を、同程度で経営していけるのが理想かな」
「うん。『giada』もあんなに本格的なんですもん、これからもっと人気出ると思います!」
微量にも疑わない確信めいた彼女の言葉は、不思議と力強く伝わってくる。
初めて自ら手に取った絵筆で、真っ白なキャンバスに描きはじめた新しい道筋。
彼女の存在がそこに彩りを加えてゆき、鮮やかに未来が浮き上がって見えて来た。
彼女が与えてくれる色は、いつも穏やかで優しい。
そして暖かみのある、心地良い色だ。


「しかし、そこまであかねが『JADE』に執心してくれていたとは知らなかったな」
友雅は笑いながら、木陰に向かって歩き出した。
つま先が日陰に踏み込んだ時、柔らかい感覚が背後から彼の身体を包んだ。
「色々言っちゃったけど…ホントはもっと自分勝手なこと考えてたんです」
「へえ?どんな自分勝手なことか、それこそ聞きたいね」
それは、あまりにも自分本位な想い。
だけど、自分にとっては一番大切にしたい想いでもある。
「『JADE』は友雅さんと初めて会ったところだから…消えちゃうのが嫌だったの」
初めてあの店に行ったその日のうちに、瞳が彼ばかりを追い掛けて。
天真のコネで何度も店に通っては、そっと遠くの席で眺めていた。
それだけで良かったのに-----------今、手を伸ばせば触れられる位置にいる。
片思いから恋の成就まで。
奇跡みたいな想い出ばかりが、あの店に詰まっているのだ。

指先に、指先が触れて、絡み合いながら手と手が握り合う。
音もなくふわりと日傘がこぼれ落ち、彼の胸の中で抱きすくめられたまま、唇同士で吐息の交換がなされる。
「それを聞いたら、ますます壊すわけにいかなくなったな」
「…私の勝手な言い分ですよ」
「それこそ、あかねの勝手な思い込みだ。私だって同じ想いだと言うのに」
あの場所がなかったら、おそらく出会うきっかけはなかった。
あかねは普通の女子大生として過ごしていただろうし、友雅は……多分普通の女子大生と交流のある世界にはいないだろう。
二人が出会わなかった。
お互いが別々の場所で、別々の人生を歩んでいた。
今はもう、そんなこと考えられないくらいなのに。

「色々な想い出があるね」
「そうです…たくさんあります」
甘い想い出、切ない想い出、ちょっと艶やかな想い出もたくさん。
どれもこれも忘れられない。年月が経っても、一緒に思い出せる二人だけの記憶だから。
「ふふ、確かに勿体ない。そこに立っているだけで、当時のあかねのことをいくらでも思い出せるよ」
周囲の顧客層とは違う可愛いお客様。恋に落ちてからの、大人の女性の表情。
愛しくて手放せなくなって、こうして今共に未来を思う。
「ひとつずつ、反芻したくなったな。これまでのことを」
数年を経て築いて来た関係の中で、思い出せるだけの記憶をすべて蘇らせて。
口に出せない照れくさい秘密の想い出も、二人きりの今なら遠慮なく出来る。

「取り敢えず、続きは部屋でゆっくりね」
ルームサービスで、ワインとカクテルでもオーダーして。
時間のある限り二人で記憶を辿りながら、過去の話だけじゃなく未来の話も交えて過ごそう。
「あかねと話をするのは楽しいよ。新しい何かを気付かせてくれる」
「私みたいな素人の意見が役に立ってるなら、嬉しいですよ」


そういう意味じゃなくてね。
私が自覚していない新しい部分を、君が気付かせてくれる。
君に引きずり込まれた恋の泉は、思った以上に深くて溺れそうだけれど…溺れてしまっても良いね、二人なら。







--------THE END




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2014.09.23

Megumi,Ka

suga