If I fell〜恋に落ちたら〜

 02

6人用のテーブルに、3人ずつ向かい合って着席。
あかねは敢えて真ん中の席を勧められ、友雅たちが両脇を固める形となった。
会話のたびに鷹通の母が上手く通訳してくれ、時折こちらに向けられたりする会話の時も、雰囲気を壊さずスムースに事なきを得た。

ランチが終わると、夫妻を連れて鷹通の父はレストランを後にした。二人を案内する場所があったからだが、もうしばらくゆっくりしたいという鷹通の母だけ、後から合流することになった。
「そうなの。あちらで農場を家族経営していてね」
彼らが退席した後で、改めて夫妻について説明を始めた。
大使館の料理長を辞めたあとは故郷に戻り、小さなレストランを兼ねた農場を経営しており、国内多数の料理店に出荷している。
その他にも息子たちは、気候と地質に合わせて栽培できるよう品種改良した、イタリア野菜の種や苗の販売も行っている。
「『giada』が契約している農家さんも、彼らのところから輸入した種で育てているのよ」
「そっか…だから、珍しい名前の食材がメニューに多いんですね」
店に招いてもらったときのこと。
渡されたメニューには、使用されている食材名が記されていた。
チコリやズッキーニなどは日本でも馴染みがあるが、聞き覚えのない名前のものも少なくなくて、度々友雅に尋ねていたことを思い出した。
「日本にある海外の料理店は、大概日本人に合わせてアレンジしているのだけれど、それが過ぎては面白みがないと思ってね」
「食べやすい味にするのは大切だけど、それが本場とかけ離れてしまっては意味がないでしょう?」
だったら、日本人の舌に合うようなイタリア料理を厳選して提供するのが良い。
ネイティブなイタリア人が口にしても違和感を持たず、それでいて日本人も美味しいと思えるものを。

「向こうでは、しょっちゅうホームパーティー開いていたから。そうしているうちに何となく、誰もが集中する味って分かってくるのよね」
両国の嗜好を把握した彼女は、『giada』のいわばブレーンのような存在だ。
いっそ共同経営者として名を連ねてみては?と打診したことはあるのだが、裏方で良いとあっさり引き下がられた。
「だってねえ、私の名前が前に出てはお邪魔でしょ?」
あかねのグラスの縁を、爪の先で軽く叩いて笑顔を見せる。
「お手柄は彼の名前だけにしておいた方が、後々好印象に繋がるんじゃない?」
気がつけば、二人の視線が自分に集中している。
すべての理由があかねにあるということを、この空気が明らかに物語っている。
「愛しのお姫様を頂くために、初めて本腰を入れたんですものね〜」
「そりゃあもう、一世一代の勝負ですから」
「ね、これじゃ全面協力しないわけにいかないでしょ?」
「…は、はぁ」
事実を受け止める立場としては、嬉しいやら恥ずかしいやら。
すべてを打ち明けられたずっと以前から、彼がそんな意志を持って動いていたのを知るたびに、左の薬指がじわりと熱くなるような気がする。


食後のトークはまだまだ終わりそうになく、二杯目のラズベリーソーダと、ドライジンジャエール。
今日は一泊の予定だから、友雅は敢えてシャンパンを1杯オーダーした。
「それにしても…奥様の話は驚いたわよね」
鷹通の母が振り返ったのは、あちらの奥方から発せられた話題だった。
まさか彼女から、「『JADE』を訪れたことがある」と言われるとは。
「アナタ知らなかったの?予約制なんだから、顧客名簿とか分かるでしょう」
「そういったことは、鷹通に任せていますからね。まあ、月末に一応私も目を通しますが」
リピーターの来店頻度、新規の客数は予め鷹通がデータ化しているので、その書類を月に一度チェックする。
日本人以外の顧客もいるためか、それほど気にしてはいなかったのだが。
取り敢えず、明後日店に行ったら鷹通に尋ねてみよう。
もし、また来店する機会があった時は、VIP扱いのもてなしを考慮せねば。
「だけど、あんなに誉めてくれるなんて嬉しいわね」
ワインやシャンパンなどの品揃えも、軽食として用意されているフードのセンスも素晴らしい。
インテリアも落ち着いていて、エスコートしてくれた男性も紳士的で良い雰囲気のお店だった、と随分褒めちぎってくれた。
「エスコートしてくれたスタッフって、誰なんでしょう?」
「うちのスタッフで外国語が出来るのは、限られているからねえ…」
鷹通は数カ国語OKだが、マネージャーなので客に着くことは殆どない。
そうなると、大体は絞られて来る。
「永泉さん…かなぁ?」
「だと思うよ。彼の接客は評判良いからね」
中性的な外見に違わぬ優しい物腰で、特に初めての来店客には抜群に印象が良い。
給仕の仕草も丁寧だし、アクティブな海外の女性も彼が着くとリラックス出来るようだ。

「でも、どうするの?彼女、『店を閉じるのは勿体ない』って言ってたけど」
正確には『JADE』を閉じるのではなく、営業形態を変えてメインを『giada』に移す考えがある。
しかし未だに『JADE』の客足は途絶えず、十分な売上げを保っているのは事実。
つまり、需要は衰えていないということだ。
「実際のところ、勿体ないとは思うわね、私も」
流行り廃りが著しい世界で、これだけ長く続けている店舗は異質だ。
巷のホストクラブと一線を画する『JADE』が、別のタイプの店になると知ったら落胆する顧客も多いだろう。
「『JADE』のお客様も、『gaida』にお越し頂きたいと思っているんですがね」
「それはそれでいいけど、やっぱりこれまでみたいな空気も楽しみたいって、思う女性は多いんじゃないかしらね」

-------そうは言っても。
経営が安定しているのは喜ばしいことだが、逆にそれが悩みの種にもなる。
不景気と呼ばれて久しい世の中で、こんな悩みは贅沢に等しいことだとは思うのだが、やはりなかなか難しい問題だ。


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あかねたちとゆっくり会話を楽しんだあと、鷹通の母は手配したタクシーに乗り込んでホテルを後にした。
はっきりいって、会食などの付き合いは面倒極まりないが、少しの時間で今後に好影響を及ぼしてくれるなら仕方あるまい。
最初が肝心、とは昔から言われていることだし。
「普段はつまらないものだけれど、今回はあかねが同伴してくれたおかげで退屈ではなかったよ」
ホテルの部屋から続くテラスに下りて、緑の芝生を散策する昼下がり。
フロントで借りたレースの日傘を差しながら、隣を歩く彼女の手を取った。

「だが、色々と問題も出て来たねえ…」
「『JADE』のことですか?」
返事もせず首も振らなかったが、彼がYESと答えたのは雰囲気で分かった。
「思い切って決心したつもりだったんだけどね。なかなか難しいものだな」
徹底した準備で始めただけあって、『giada』は予想以上の高評価を得ている。
これなら早めにメイン業種を変えられるだろうと踏んでいたが、引き止められる声と業績の結果を目の当たりにすると、やはり迷いが生じて来る
経営というものは、こんなに難しいものだったのか、と今になって実感してきた。
今までがあまりにも、上手く行き過ぎていたのだ。
…いや、今まで真剣に取り組んでこなかったから、その難しさを知ることがなかったのだろう。

「続けられないんですか?」
「正直、出来ないこともないよ」
資金繰りは余裕があるし、店舗は自社ビルだからこちらで何とでも自由に出来る。
ただ、『giada』が始まってしまった以上、これまで通りの営業は無理だ。
各地で本格的な研修をさせ、一流のレストランと同等のレベルに仕上げた『JADE』のスタッフというのが、『giada』のウリでもある。
彼らを『JADE』に残すわけにはいかないし、そうしたら今度は『giada』が成り立たない。
「いっそ『JADE』の新しいスタッフを募集するとか…」
「そうなると、顧客も一から降り出しに戻ることになるからね」
そうか…。何故『JADE』があれだけ人気なのか。
こういう店に共通したことだが、スタッフ一人一人に顧客が着くからだ。
自分の気に入ったスタッフを目当てに、顧客は来店する。
そのスタッフが他店に移動したり、独立して店を開いたりすると客が流れてしまうという話はよく耳にする。
つまり、『JADE』のスタッフを入れ替えするということは、これまでの顧客を引き止める努力に加えて、新しいスタッフが新しい顧客を確保する必要があるのだ。



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Megumi,Ka

suga