If I fell〜恋に落ちたら〜

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大学の図書館に勤務していて良かったと思うのは、8月になると自由の利く時間が増えることだ。
夏休みに入るとキャンパスは学生の姿が減り、そのせいで開館時間も短縮される。
お盆の頃には数日閉館になるので、職員もこの期間は夏休みのようなもの。
もちろん、大学生時代から比べたらその日数は、あまりにもわずかなでしかないけれど。
「逆に、お休みを大切に使おうって思うようになりましたね」
彼女はいつも、前向きな考えを持っている。
以前より劣る結果であっても、そこから生まれる逆転の発想を楽しむ感がある。
「長い休みもたまにだから、良いんですよ。有り難いな〜って思うし」
「そういうものかねえ。私は単純に、長い休暇の方が有り難いが」
ボトルの口から、細かい気泡と共にグラスに注がれて行くプロセッコ。
最近リピートしているのは新しいワイナリーのものだが、リーズナブルでありながら風味は最高級と言っても良い。
比較的辛口でも飲みやすいため、店で薦めたところオーダーする客も増え始めた。
とはいえ、甘党の彼女にはいささかハード。
カシスシロップをプラスして、キールロワイヤル風にアレンジしてみる。

「で、秋の予定はどんな感じだい?」
あかねが一口味わったのを見計らって、友雅は本題を切り出した。
「うーん。夏みたいにまとまったお休みはないですけど、連休はありますね」
13日〜15日の3日間。
有休を入れれば21日〜23日も3日間の連休が可能かも。
「じゃあ、そのどちらかにしよう。こちらは都合をつけられるからね」
友雅の本題は、旅行の予定を立てることだった。
せいぜい数日しか休みがないので場所は国内に限定されるが、それもまた気楽で良いもの。
ただひとつ残念なことは、二人きりの旅行ではないことくらいか。
「だって、今回はお仕事も兼ねての旅行でしょう?」
「それさえなければねえ…」
予定はほぼフリーだけれど、ひとつだけ会食の約束が入っている。
相手は在日イタリア大使館の元料理長夫妻と、元在伊日本大使館員夫妻。
「私みたいな一般人が同席したら、場違いなんじゃないですか?」
「それを言ったら、私もただの一般人だよ」
「でも、友雅さんはオーナーじゃないですかー」
会食の目的は『giada』----彼が始めたばかりのトラットリアに関すること。
元大使館員夫妻というのは、言わずもがな鷹通の両親。
現地と強靭なパイプラインがある彼らの紹介で、今後の経営に協力してもらうための顔合わせみたいなものだ。

「『JADE』とは違って、こだわりを持った方針だからね」
友雅は笑いながら、グラスを口元へと近付ける。
ワイン、食材、インテリアに食器、隅から隅までイタリア製を追求した結果、トラットリアというより星付きのリストランテ並み、という声も聞こえたり。
「ホントに、何を食べても美味しいですもんね!」
「姫君からお誉めの言葉を頂けて光栄だ」
『JADE』『giada』営業形態は異なっても、来店する相手を満足させるのが客商売の基本。
多くの顧客から賞賛をもらえた時が、経営として成功したと言えるのだろう。
だが、不特定多数の声より一人の満足した声を耳にした時の方が、成功を実感出来ることもある。
それはあくまで個人的な感情でしかないけれど、心を奮い立たせてくれる力は重要なものなのだ---と思う。


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今回はランチでの会食だから、ドレスコードは気にしなくても良いと予め言われていた。
それでもカジュアル過ぎるのは気が引けたので、無難そうなワンピースを彼に選んでもらった。
もちろん、新調ではなくクローゼットの中にあるものから。
まだ夏の緑が残る、高原のリゾートホテル。
広々とした青い芝生が広がるガーテンテラスに、鷹通の両親とイタリア人の男女が待っていた。
「こちら、ディオジニご夫妻。お二人の帰国と私たちの渡伊が丁度同じでね、向こうでも親しくしてもらっていたの」
イタリア語はさっぱりなあかねのために、鷹通の母が通訳を兼ねて着いてくれる。
紹介された夫妻は、鷹通の両親より少し上だろうか。
少し白髪の混じった髪に、黒のセルフレームの眼鏡を掛けて、身長は友雅とあまり変わらない男性。
女性の方は綺麗な栗色の髪をしていて、外巻きのボブがとても洒落ている。
やっぱりイタリアの人って、センス良いなあ。
派手な格好じゃないのに様になっていて、俳優やモデルと言っても通りそう。
彼らはまず、友雅と挨拶の握手を交わした。
…友雅さんだって負けてないよね。
などと考えているうちに、あかねの番がやってきた。
「Piacere」
笑顔で男性が手を差し出して来て、慌ててこちらも手を伸ばす。
「あ、Piacere……」
"はじめましてはPiacereと言うんだった"と思い出して、あかねはあちらの言葉を繰り返そうとした。
その時、耳元で鷹通の母がひと言。
「最後にmioって付けるのよ」
「あっ…Piacere mio!」
もう一度言い直すと、相手は笑顔で手を握り返してくれた。
同じように女性とも挨拶を交わし、ホッとしたのもつかの間。二人はあかねをちらっと見てから、友雅と談笑している。

「あのっ、ワタシ何か失礼なことしちゃいました!?」
ほんの一瞬に過ぎなかったが、無意識にマナー違反なことをしてしまったとか?
笑っているから機嫌を損ねてはいないだろうけれど、彼の印象を損ねたりしてたら大変だ。
だが、そんなあかねの心配をよそに、鷹通の母もまた笑いながら肩を叩いた。
「大丈夫よ。二人ともあかねさんのこと、気に入ったようよ」
「は?」
「可愛らしいパートナーですねって、彼にそう言ってるわ」
パートナーという単語は多方面で使われるものだが、ここで言う"パートナー"というのは…つまり。
「でも、みんなご夫婦じゃないですか!」
「向こうではね、こういう席に一人でやって来る人は少ないの。相手がいないのならともかく、そういう人がいるならね」
例え結婚していなくても、恋人がいるなら堂々と公の場に同伴させる。
恋愛にオープンなお国柄は日本とは正反対。
自分はこんなに素晴らしい恋愛をしているのだよ、と自己主張感情もあるのかもしれない。
「それにあかねさんたちは、まだ夫婦じゃないっていうだけのことでしょ」
「……」
まだ、夫婦になっていないだけのことで。
その時がやって来ていないだけのことで。
やがてタイミングが整えば、完成された関係に変わる可能性があることは、薬指のリングが証明している。
残暑の日差しに照らされ、木漏れ日のようにきらきら輝く宝石たち。
小さなその一粒一粒に、彼の想いが込められている。

「そろそろ、ランチのセッティングが整ったようだよ」
給仕らしきスーツの男性が、メニューのファイルを手に入口で待っている。
差し出された友雅の手を取ると、イタリア人の女性がこちらを見て微笑んだ。
ここは思い切って、恥ずかしがらずに堂々としてみようか。
変にもじもじしていたら、自分たちの関係まで微妙に思われてしまうかもだし。
イタリア人みたいには行かないけれど、私たちだって本気で恋愛している。
彼のパートナーとして、ぴったり隣に寄り添って歩く権利があるのだから。



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Megumi,Ka

suga