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 Part.4(4/2)

食事を終えたあと、鷹通の母は部屋の前まであかねを送ってくれた。
中でお茶でもと誘ったのだが、結構時間も遅くなっていたので気持ちだけ、と答えて立ち去った。
静まり返った広い部屋の中。賑やかだったお店の雰囲気とは正反対。
普段は顔を洗って着替えるのが先だけど、今日はまずパソコンを起動するのが先。
メールソフトが立ち上がると、ぞろぞろと未読の件数が並んで行く。
その中からひとつだけ、大切なものだけを表示した。

件名『退屈な一人旅の空から』

『目的地はまだまだ先。姫君のぬくもりが恋しいよ。』

たったこれだけの簡単なメール。彼らしいというか。
文字より言葉で形にする人だから、本来は電話で直に話した方が良い。
でも、半日以上時差のある日本とイタリアとでは生活時間が違いすぎる。
こちらが昼間ならあちらは夜。お互いの邪魔をしないようにするには、メールで報告するのが適しているのだ。
「そうだ。もらった宿泊券のこと、返事に書いて送ろう」
あかねはそう思い、改めて封筒の中身を取り出してみた。
温暖な気候で有名な地域にあるリゾートホテル。
全室コテージでプライベート空間が保証されていて、当然どの部屋もプレミアムスイート。
「えー、全室にジャグジーとプール!?」
ホテルの中の施設ではなく、部屋ごとにプールが付いている。しかもこの写真を見る限り、水遊びレベルではなくちゃんと泳げそうな広さ。
国内でこんなホテルがあるなんて。パンフレットのページをめくるたび、期待ばかりが膨らんで来る。
「わー、ご飯も美味しそう」
宝石のように輝いている新鮮な山の幸と海の幸。
当然食事も部屋に用意してくれるから、他人の目を気にせず二人きりでずっと過ごせる。
「『…気をつけてお仕事がんばってください。帰国したら疲れを癒しに行きましょう。』こんな感じでいいかな」
送信ボタンを押して、彼へのメールは終了。たったこれだけの作業で、メールは日本とイタリアをつないでしまう。
人間も一緒に送ってくれたら良いのにな。
そんな夢みたいなことを考えつつ、あかねはパソコンを閉じて洗面所へ向かった。


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アズーリブルーの空が窓から見える。
ヴェネツィアやアマルフィなら空と海の青を同時に楽しめるが、今回のようにミラノやフィレンツェ周辺では無理だ。
まあ、一人旅だし観光なんて不要。ホテルの展望も適当で構わない。
あかねが喜びそうな土産を買える店が近くにあれば良い、くらいな注文で十分。
ルームサービスでエスプレッソとクロワッサンだけの朝食を頼み、テーブルの上でメールソフトを開く。
おそらく返事が来ているのでは、という友雅の推測は当たった。
「へえ…」
一通りメールの内容に目を通す。ありきたりのフォントなのに、彼女の文章を写すと特別なメールに見えてくる。
脳内で声が聞こえてくるような、言葉を話す表情が見えてくるような。
イタリアは日本より8時間マイナス。こちらが朝ならば向こうは午後。
メールの返事をすぐに送信し、続けてスマホの電話帳から一人の名前を探す。
7時間の時差を超えて、日本に発信音が鳴り響く。
『どうしたの。そちらはおはようの時間なんじゃない?』
「すぐにイタリア時間を把握できるとは。さすがだね」
日本は午後3時を過ぎたところ。『giada』が昼休憩に入っている時間だと気づき、鷹通の母に電話を掛けた。
「一言私の方からも、お礼の電話をしなくてはと思ってね」
『ふふ、あのこと?別にあなただけの為に用意したんじゃないのに』
「分かってるよ。あかねを喜ばせてくれたという意味での礼だよ」
同行できない寂しさを浮かべた表情が、今でも脳裏に焼き付いている。
実は彼も仕事を終えて帰国したら、彼女を連れて二人でどこか出掛けようと考えていた。その矢先に、これだ。
『お楽しみが待っているから、ちゃんとお仕事して帰国してちょうだい』
「おかげで私もやる気が出たよ。今日はこれから------------」
エスプレッソを一口含み、この後はビジネスの会話。
今日訪問する予定のワイナリーと、昨日初めて訪問したワイナリーのこと。
その他、周辺で評判を耳にした地ワインの銘柄について簡単に。
「ってことなので、帰国したら相談に乗ってくれるかい」
「一応先にリストだけ送って。心当たりがありそうだったら連絡つけてみるから」
収穫が天候に左右されるのは日本もイタリアも同じ。こればかりはどうしようもない。自然に対して人間は太刀打ちできない。
期待できない品種のワインに固執するよりも、出来の良さそうなワイナリーを新規開拓した方が良さそうだ。
「では、本日も仕事に勤しんで参りますよ」
『はいはい。あかねさんのことは任せて頑張ってらっしゃい』
彼女から言われた方がやりがいがあるのだけどね、と彼が笑いながら言うと、分かってるわよ、と笑いながら返す。
日本との回線を断ち、エスプレッソを飲み干して立ち上がる。
差し込んでくる強い朝日が、今日も眩しい一日になりそうだと告げていた。


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日本では午後4時。
夜の営業に向けての準備もピークに差し掛かる時刻。5時になれば『営業中』の札が掲げられる。
「帰国後にあかねさんとの旅行が待ってると知ったら、彼も少しは覇気が出て来たみたいよ」
「まあ、それで仕事に集中してくださるなら構わないでしょう」
母から友雅の様子を聞きながら、鷹通はテーブルセッティングを続ける。
ベネチアンガラスのキャンドルスタンドと、モンテファルコのクロスを予約席に。
気軽に立ち寄れる雰囲気を重視して、予約は1日3組までと決めている。
「取り敢えず、彼が戻るまでは何とか私たちでやりくりしましょ」
各テーブルにメニューを置き、入口のブラックボードにアラカルトを書き終えれば準備はほぼ終了。
厨房の中も下ごしらえが済んで、今夜の客を招き入れる用意はすべて整った。
6時を過ぎた頃から客足はどんどん増えてゆき、7時以降は満席になることもある。
特に木曜と金曜はその傾向が高く、これは『JADE』でも同じ。一週間の仕事疲れを発散するために、店を活用する人々が多いからだ。
それ故に、どちらの店に週末の比重を置くかが悩みの種。
『JADE』は今のところ女性客ONLYで、ウイークデーは仕事を抱えている客が大半。スタッフと過ごす時間を楽しみに来ているため、店の顔ぶれを変えるわけにはいかない。

「やっぱりいずれはこっちの店で、フロアスタッフを募集するしかないかもねえ」
最初の頃は『JADE』から流れて来た客層も、今は新規客の方が上回っている。スタッフを売りにしなくてもやっていけるようになった。
結果的に見れば嬉しい状況だが、両店をこれまで通り順調に経営していくためには改善の余地はある。
---------それにしても。

商才って遺伝するものなのかしらね。

声に出さない独り言をつぶやく。
遠い遠い、記憶にもない昔のことに思いを馳せながら。



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Megumi,Ka

suga