「もしもし…友雅さん?」
『あかね?少し時差ボケが酷いのかな。もう3が日が過ぎてしまったかい?』
「ううん、こっちは元旦です。あけましておめでとうございます。そっちは寒いですか?」
『ああ、結構冷え込んではいるけれども……』
それよりも、何故この部屋にいるのだ?と尋ねたいに違いない。
けれど、友雅は何も言わなかった。
何かしら彼女に理由があって、家から戻って来たのだろうと察したからだ。
その理由に、こちらから触れても良いものか…。その隙間があるかどうかを、あかねの口調から探っている。
「ごめんなさい。帰って来ちゃったんです、今日」
『それは構わないけれど、予定より長くあかねが一人でそこにいるのが、私は少し心配だよ』
詳しいことは、あとで鷹通に尋ねてみるとして。
加えて、正月休み中の彼には申し訳ないが、あかねに不自由がないようサポートしてもらわねば。
『だけど、こっちにいてくれて良かった。アパートに戻られていたら、更に心配だったよ』
あかねのアパートは、学生時代から借りている部屋であるせいか、周りに住むのは大学生が多い。
この時期彼らは大体帰省してしまうため、留守がちの部屋が大半となる。
だがこちらは警備員が常駐している分、何か困りごとが起こっても安心だ。
『あちらに戻らないで、そこにいるんだよ?』
「…はい、ここにいます。だって……」
だって?
彼女の口から続く言葉を、期待しながら耳を澄ます。
「だって、ここには友雅さんの匂いがあるから…心細くないし」
あかねに携帯を手渡したあと、鷹通はそっとリビングから廊下へと移動した。
恋人同士が愛を語り合うのなら、第三者の存在は少々邪魔だろう。
電話が終わるまでは彼らだけにしておこうと、気を利かせたつもりだった。
しばらくすると、あかねが携帯を手にドアを開けた。
「鷹通さん、友雅さんが電話…代わって下さいって…」
「そうですか。では、もう一度お部屋に移動させて頂きますね」
どんな会話をしていたか知らないが、二人とも声を聞いただけで気分は和らいだだろう。
「もしもし、お電話済みましたか」
再び話し相手が代わったとたん、向こうから聞こえて来たのは、鷹通が想像もしなかった言葉だった。
『鷹通、今すぐ明日のフライトを手配する。明日のうちに、こちらを発って帰路につくよ』
「えっ?お待ち下さい…ご予定では10日過ぎまでと…」
今日は元旦だし、まだ一週間以上もあるじゃないか。
こちらを発ったのが去年の29日。ほんの数日じゃ用件だって片付くとは思えない。
それで帰国するというのなら、一体何のために向こうに行ったのか分からないじゃないか。
だが、友雅は鷹通のそんな困惑を、既に察していたようで。
『取引と会合は、カウントダウンを兼ねて済ませたよ。あとはメールかFAXで、国内にいてもどうにかなる』
スピーディーな仕事の進め方に、信じられないと言った鷹通のリアクション。
しかし間違いなく、約束していた相手との会合は終了していたのだ。
そこら辺は、年末年始のカウントダウンで盛り上がるお国柄のおかげ。ホテルのラウンジを貸し切って、同じ業者たちの集まるパーティーに参加したため、一度に最低限の用件が解消出来たのである。
『最初から少し早めに帰国しようと、フライト時間の変更を考えていたんだ。あかねが一人でそこにいるなら、最速の時間を手配するよ』
明日以降は、彼女への土産でも物色しようかとか、そんな予定しかなかった。
でも、こんな状態ならば、すぐに帰国して彼女を抱きしめる方がずっと良い。
『チケットが取れたら、また連絡をするよ。それまではあかねのことを、よろしく頼むよ』
「…了解致しました。ではお気をつけて」
もう一度あかねに代わろうか、と尋ねたが、友雅はNOと答えて電話を切った。
おそらくすぐに、空路のチケットを手配するのだろう。
「橘さん、お仕事を早めに終えてお戻りになるそうです」
「えっ…?」
びっくりした顔で、あかねはこちらを見上げた。
そりゃそうだ。鷹通もさっきは、同じような顔をしていたはずだ。
「早ければ3日の夕方頃には、帰国されるのではないでしょうか」
にっこりと優しい笑顔で、鷹通は答える。
だがあかねの方は、驚きの顔から戸惑いの顔へと変化した。
「もしかして私、友雅さんに心配かけちゃいましたか…?」
一人でいることを気にかけていた彼だから、早く帰らねばと思ったのかも。
「それもあるでしょうが、お仕事は済んだようですので。元から早く帰るつもりだったようですよ」
気にかけなくても良い、と彼は肩を軽く叩いて励ましてくれる。
彼が予定よりも早く帰国してくれる。
ここに、また戻って来てくれる。
ベッドに染み付いた彼の残り香に包まれるだけじゃなく、本物のぬくもりに抱かれて眠る日が、また戻って来る。
仕事の邪魔をしてしまったのでは、と心苦しい気持ちがあるのに、早く彼に会いたいという気持ちが勝りつつある現実。
どうしてこんなに、恋しいんだろう。
ずっとずっと好きだったのに、今もずっと好きなのに…心が不思議なほどに逸る。
+++++
新年が明けて、早くも3日が過ぎていた。
『JADE』は5日から営業開始であるが、オーナーの彼がいなくとも、マネージャーの鷹通がきっちりと営業スケジュールをまとめている。
だが、オーナーの彼が今日の夕方帰国することになった。
「しばらくはご自宅で、あちらとの取引作業をして頂きますか…」
店はこちらに任せてもらい、残った仕事は本人にこなしてもらおう。
国内にいても出来ると言ったのは彼だ。
それはすべて責任を取ってもらうとして。
「そろそろ出掛ける時間ですね…」
時計の表示時刻を確認して、鷹通はファイルをぱたんと閉じた。
これからあかねを迎えに行き、空港へ友雅を出迎えに行くのである。
ついでに、空港近くのホテルを予約しておくように、と言われていた。
もちろんそれは、彼が長時間のフライト疲れを癒すための部屋としてだが、ダブルルームの予約ということであるから、一人で宿泊するわけではない。
-----------------だから、彼女が同行しているのだ。
明日からあかねは仕事始めだというのに、のんびりとホテルで過ごすなんて大丈夫だろうか。
余計な心配をしながら着替えを始めた鷹通の携帯が、またも鳴り響いた。
彼だろうか?
急いで液晶モニタを確認したが、それは意外な相手からの電話だった。
『もしもし、あー…明けましておめでとうございまっす、藤原さん』
「ええ、こちらこそ、明けましておめでとうございます、森村くん。どうなされました?」
電話の相手は、『JADE』フロアスタッフの一人、天真だった。
『えーとですね、ちょっと…まあたいしたことじゃないんですけども、話したいことがありましてー…』
普段からっとした性格の天真にしては、珍しく奥歯に物が挟まったような口調。
「これから出掛ける用事があるので、あまりお時間は取れませんが…宜しければお話をお聞き致しますよ?」
どんな些細な内容であっても、スタッフの相談や話に耳を傾けるのは、マネージャーの仕事の基本。
鷹通は一旦ソファに腰を下ろし、天真の声に耳を集中させた。