インターホンが鳴り響いたのは、それから1時間ほど過ぎた頃だったか。
慌てて母が玄関へと向かうと、賑やかな話し声がリビングにまで聞こえて来た。
声の雰囲気では、母と同年代くらいの女性らしい。
やけに親しい口調であるが、この声はあかねも何となく聞き覚えがある。
誰の声だったかな?近所のおばさんだったっけ?
そうこうしているうちに、母が客人を連れて戻って来た。
「あかねちゃん、お久しぶり〜」
顔を見て、すぐに分かった。彼女は母方の叔母であった。
「御年始の挨拶に来たのよ。あかねちゃん、こっちに帰って来てるって聞いたから、顔を見たいと思って」
良かった、気兼ねする必要のない客人で。
改まった相手だったら、こんな普段着のまま新年の挨拶なんて出来なかった。
お茶と一緒におせち料理を小皿に移して、二人はあかねを交えながら話を始める。
元旦だからって、話す内容は普段と変わらない雑談。
夫の仕事がどうだとか、息子の進学がどうのとか、そんな話ばかりだ。
「ところで、あかねちゃんはいつまでこっちにいるの?」
唐突に、話題がこちらに飛んで来る時がある。
「えーと、明後日の午後には帰りますよ。4日から仕事なんで」
「なあに!そんなに早く帰っちゃうの?だったら急がなきゃ!」
何故だか慌てる叔母の様子に、首を傾げながらあかねは茶を啜る。
すると叔母はバッグの中から手帳を取り出し、ページを確認し始めた。
「ねえ、明日の午後は用事ある?」
「…別にないですけど」
初売りにでも行ってみようかと思ったが、こちらで荷物を増やしても仕方がないし、向こうの方が店も多い。
買うなら戻ってからの方が良さそうだと、出掛けるのを諦めていたところだ。
「じゃあ、明日の午後!叔母さんたちと一緒にね、駅前のホテルのカフェでランチしない?」
どうしたんだ、急にそんなこと。
そんなもの、二人して行けば良いのに…と思っていた矢先、叔母の口からとんでもない言葉が発せられた。
「実はねえ…あかねちゃんに紹介したいヒトがいるのよ!」
------------嫌な予感がする、この展開。以前も経験したことがあったような…。
それはデジャヴュではなくて、現実。
あれは高校を卒業したばかりの、18の夏。
「あちらは27才でね、薬品会社で開発研究とかしてる人でね、真面目でしっかりした人なのよ」
そう、親元を離れて大学へ通い、夏休みに帰省したときもこんな感じで。
せっかく帰省してるんだから、お食事会をしようと妙なプランで言いくるめられ、連れて行かれた料理屋で待っていたのは…少し年上の神経質そうな男性。
いくら法律的には可能だと言えど、まさかこんなに早く見合いをさせられるとは思ってなくて、呆気にとられていたのを思い出す。
…もちろん、即時お断りしたが。
「そろそろあかねちゃんも、将来を考えたお付き合いがしたいでしょ?彼、良いと思うわよ〜」
「叔母さんっ!私、結婚なんて全然考えてないですってば!」
「別に、すぐ決めろってわけじゃないわよ。そーいうことを考えて、長〜い目でおつきあいをするきっかけを作るのも、そろそろ良いんじゃないかってことで……」
これだから、帰省するのは気が進まなかったのだ。
結婚なんてもの、本人がその気にならなきゃどうしようもないのに、周りの者たちはお節介を焼きたがる。
本当に幸せにしたくて、結婚を勧めてくるのか。
それとも、仲人としての自分に満足したいから、男女をくっつけたがるのか。
親戚だから悪くは言いたくないが、そんな穿った目で見てしまう。
「ねえ、一度会ってごらんなさいよ。もしかしたら、案外いい感じに……」
バタン!
勢い良くテーブルが音を立てて揺れると、あかねはその場から立ち上がった。
「行きませんっ!!!」
たった一言、まるで捨て台詞のように残して、二人に背を向けたままリビングを出て行く。
もういやだ。さっさと向こうに帰ろう。
こんなところにいたら、またしつこく話をされる可能性もある。
お節介焼き達は、そう簡単に引き下がってくれないから。
あかねはすぐに二階へ上がり、自分の部屋のドアを開けた。
ベッドの横に置いたままの、着替えだけが詰まったトラベルバッグ。
元旦に実家から帰るなんて…普通とはまるで逆だけど、ここにはいたくなかった。
向こうに戻ったら---------。
でも、彼はまだイタリアから戻っていない。
彼のマンションへ行っても、そこには誰もいない空間が広がっているだけ。
どのみち、自分のアパートに戻っても同じこと。
一人暮らしの部屋には、自分が戻らなければ誰もいない。
あちらもこちらも、同じ無人の部屋。
どっちに…戻る?
コンコン、とドアをノックする音がした。
こちらが返事をする前に、すっとドアが開かれる。
「何よアンタ、さっきの態度は。叔母さんに失礼じゃないのよ」
母は睨むように言うが、あかねとしてはそんなもの承知の上の行動だった。
あれくらいキツく示さなければ、どんどんゴリ押しされるのは目に見えている。
「どうして叔母さんって、見合い見合いって五月蝿いの!?私、まだ社会人になって一年も経ってないんだよ!?」
「だから、すぐに決めろって言ってないでしょうに…って、あんた、荷物まとめたりして、まさかこれから帰るの?」
「そう!向こうにいた方がずっと気楽!!」
ムキになって突っかかるあかねを、母は呆れながら眺める。
けど、もう引くに引けない。
気持ちは…早くここから立ち去りたい。
「会ってみたら、気が変わるかもしれないわよ?」
背を向けて荷物をまとめていたあかねを、しばらく母はじっと眺めているだけだったが、やがてため息混じりに口を開いた。
「その時は無関心かもしれないけど、付き合って行くうちに、そういう風になれる人かもしれないのに」
「ならないもの!」
「そんなの、分からないじゃないのよ。今のうちにいろんな人に会っておけば、その中から結婚したい人が…」
「絶対にいない!いるはずない!」
「どうして、そうムキになるのよー」
バサバサっと服を無造作に丸めて、バッグの中に押し込んで。
化粧道具やらのポーチも突っ込んで…。
洗濯した下着とか着替えは、まあ家に置きっぱなしで良いや。
そんなもの、向こうにいくらでもあるし。
荷物をまとめ終えたあかねは、携帯を取り出して時刻表をチェックし始めた。
元旦だから、ダイヤは休日運転になっているはず。
これから駅に向かったら…丁度良い時間の電車があるだろうか。
「…ねえ。あんた、付き合ってる人がいるんじゃないの?」
携帯のボタンを押すあかねの指が、ぴたりとその瞬間に止まった。
返事をしなきゃ怪しまれるのに、声が出ない。
頭の中に答えが浮かばなくて、母の問いを返せない。
「誰?もしかして、森村さんとこの天真くん?」
「天真くん?!ち、違うよそんな!!」
「じゃあ誰よ。そこまで否定するってことは、誰かいるんでしょう?」
…痛いところを突かれた。
反論しすぎたのは、かえって逆効果だったらしい。