Midsummer,Midnight

 後編---03

「ごめんなさいね。あかねさんを混乱させるつもりはないのよ」
ぱたりと言葉を止めて、しばしうつむいて考え込んでしまったあかねを、鷹通の母がそっと覗き込んで肩を叩いた。
「ただね、あかねさんがどんな目で、彼を見ているか知りたかったの」
「…はあ」
気の抜けた返事しか出て来ないのは、どこかふらふらと浮き足立っているから。
けれども流れゆく涼風とは反対に、ずしりと何かがあかねの胸に伸しかかる。
しかし、鷹通の母はというと、また打って変わって表情はやけに明るい。
そしてまたあかねの背を撫でると、次にこんなことを口にした。

「だってね、彼の方は割とその気になっていそうだから…」
………?
彼って、友雅のことか?彼がその気にって、どういう意味だ?
更に頭の中が混乱してくる。
というか、どうも思考回路が上手く動かない。
そんなあかねの右手を、彼女がそっと手に取った。
「私はねえ、この指輪にそれなりの想いが込められているんじゃないかな、って思うのよねー」
「…は?」
ぽかんとしていると、にっこり彼女が顔を近付けて微笑む。
「ねえ、もしも…彼がこの指輪、プロポーズの意味で渡したとしたら…あかねさん、どうする?」



「ええええっ!?」
勢いよく立ち上がったせいで、ガタン!とチェアがひっくり返った。
既に困惑していたあかねだったが、今の鷹通の母が告げた言葉で、更に目がぐるぐると回り出した。
「ほらほら、落ち着いて。別に決まったわけじゃないし、彼から聞いたわけじゃないのよ」
動揺してじたばたするあかねを、宥めるように引き寄せる。
転がっているチェアを再び直して、もう一度そこへ腰を下ろさせた。

「あのね、別にそうと決まったわけじゃないの。根拠も特にないのだけど…ただ、彼の貴女への接し方を見ているとね。今までとは全然違うから、もしかしたらって思ったのよ」
息子の鷹通が彼と一緒に仕事していることもあり、これまでの友雅の様子はある程度伝わって来ていた。
それ以前にもそこそこ長い付き合いがあるし、少なくとも誉められた恋愛をしていたとは言えない。
ああいう男だから、途切れなく女性はそばにいた。
けれど相手を真っ直ぐ見ることなんて、殆どないというか。
率先して絆を深めようという、踏み込みは一切なかったと思う。

「でもね、あかねさんのことはホントにね…大切にしてるっていうのが、よく分かるのよ」
年齢差があるから、護ってやりたいという気持ちがあるのかもしれない。
だが、それとは別に、女性として彼女を真正面から見つめているし。
そんな彼女に、彼もまた男性として接している。
対等にいながらも、溺愛にも似た甘い眼差しで、いつも彼はあかねを見ている。
「だから、まんざらじゃないと思うのよねえ…」
あかねの指輪をつんつんと突きながら、鷹通の母はそんな風に話した。

「ねえ、もしも彼がその気だとしたら…彼に対しての見方は変わる?」
「えっ?ど、どういう意味ですかっ?」
「ふふ…例えば彼が、あなたに結婚願望を持っていたら、あなたも彼のことをそんな存在に見られる?」
結婚願望!?
友雅が自分に対して!?
「それともいずれ彼と別れて、他の男性を見つける?」
「それは…」

どうなんだろう。
でも、彼とは別れたくない。
だって…一目で恋に落ちて、遠くから眺めていたくて、あんなに店に通い詰めて。
それがどこでどうなったのか…気付いたら彼に寄り添える距離にいる。
今だって、あの時の気持ちはまだまだ健在だ。
毎晩隣に横たわる寝顔を見ては、ぼうっと見とれることがあるくらい…今も恋をしている。
あの頃から比べたら、今の自分は夢のようだ。
だけど、例えこれが夢であったとしても、このまま目覚めたくない。

「あまり深刻に考えないで。まだまだあかねさんは、若いんだから」
ぽんぽんと軽やかに、鷹通の母が背中を叩く。
「あの…この指輪…」
「ああ、それも気にしないで。全部、単なる私の推測だから」
からっと明るく微笑んで、先に彼女はテラスの先へと歩き出した。
どうも腑に落ちない気持ちを抱えたまま、あかねはその後を着いて行く。
すると、ほんの少し進んだところで、再び彼女が立ち止まって振り返った。

「でもね、あの人のことだから、あかねさんがその気になって問い詰めたら------」
ふわっと夏風に靡く、水色のワンピース。
白いサンダルのつま先で、コン、とテラスに音を響かせて。
「本当のこと、打ち明けるかもよ?」
「ほ、本当のことって…何ですか!?」
「ふふっ…もしかしたら、プロポーズしてくれるかもしれないわね?期待しても良いんじゃない?」
ぴたりと、あかねの身動きが止まった。
完全に硬直してしまい、呆然とその場に立ち尽くしている。
鷹通の母が、くすくすと笑う声も気付かないみたいだ。

「ま、時期を見てそれとなく、詮索してみると良いわよ。彼、あかねさんには絶対に敵わないから」
仕方が無いので、あかねの手を取った。
そのまま手をつないで、ゆっくりとテラスを歩いて行く。

そう。絶対に友雅は、あかねには敵うはずがない。
彼が初めて、自ら手を取って心の奥に引き入れた女性だ。
例え表面的には彼がリードをしようと、心だけはおそらく主導権を握れない。
「がんばってね?私、結果を楽しみにしてるから」
「ど、どういうことですかー!それーっ!」
パニック状態のあかねをどこか楽しげに見ながら、その手を引いたまま彼女は歩き続けた。


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新しいドレスに身を包み、メイクをきちんと整えて。
揃いで買ってもらったアクセサリーと、バッグに必要最低限のものを入れる。
「やっぱり、このドレスが一番あかねに似合うね」
再び盛装したあかねの姿を見て、満足げに友雅は後ろから腕を絡めてきた。
コットンキャンディのようなパステルピンクと、シックなダークブラウンと、そしてこのラベンダーピンク。
最後までこの3着で迷ったが、結局友雅が決めてくれた。
「可愛いのに、どこか艶やかでね。ホントに、あかねそっくりの色だよ」
「ひゃ…んっ…。もう、そんなとこにキスしないでくださいよっ…」
背後から肩に顎を乗せて、首筋に軽く音を立てて唇が触れる。
ドレッサーのミラーに、抱きすくめられるあかねの姿が映る。

「もうそろそろ…行きましょ!時間ですよ」
ゆっくりと立ち上がり、ドレスの裾を直す。
皺がないかチェックして友雅の方を振り返ると、彼があかねの右手を取った。
「な、何ですか?」
「ちょっとごめんね。手直しさせてもらうよ」
そう言うと友雅は、彼女の指にはめられたリングを引き抜いて、それをもう片方の薬指へとはめ直した。
「大勢の前に出る時は、こっちに付けて方が良い。そうすれば少しは、近寄る男が少なくなるだろうからね」
艶やかに微笑んで、彼はピンクの石にキスをする。

こんな仕草、あまり珍しくないはずなのに……何だか今日は、妙にドキドキした。



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Megumi,Ka

suga