Between the Night

 002

ガラン、と転がり落ちて来たパック牛乳を、あかねは自販機の中から取り出した。
それを小さなバッグに入れると、友雅の顔を見上げる。
「…用事、終わっちゃいましたけど。」
「そうだね。結構あっけなかったな。」
マンションから下りて来て、ぐるりと歩いて自販機にコインを入れて、それでミッションは終了。
あまりに簡単に済んでしまったので、思わず二人とも笑いが込み上げた。

「あ、良い風」
さらさらとした夜風が、二人の頬に触れながら流れて行った。
耳を澄ませば波の音が聞こえるが、夜では真っ暗で水平線は全く見えない。
「外の方が涼しくて心地良いね。」
「そうですね。エアコンとかより、全然優しい涼しさですよね。」
冷房なんて、冷え過ぎて身体に悪いし、エコじゃないし。
とは口で言っても、日中の暑さを肌で感じてしまうと、文明の利器に頼ってしまいがちだが。

「せっかくだから、少し辺りを散歩して帰ろうか」
「え?今からですか?」
確かにまだ時間は早いけれど、夏は遅くまで人が出歩いているから危険、と言ったのは彼の方。
ここは閑静な住宅街だし、海は岩場がずっと続いているから、遊びに来る者も殆どいない静かな海辺だけど。
「大丈夫。ちゃんと護衛役が一緒だから、心配ないよ。」
友雅はそう言って、自分の腕をあかねに差し出す。
遠くまで行くわけじゃない。
ただ、ふらりと海沿いをぶらついてみようか、というくらいの距離。
「夕涼みのつもりで、ちょっとお散歩も良いですね」
「景色は闇で遮られているのが、残念だけれど」
彼の腕に手を絡めて、あかねはそっと寄り添って歩き出した。
風が流れる方向へ、ゆっくりとした足取りで。



最近はたまに早起きなどをして、明け方の海を一緒に散歩したりする。
けれど、こうして夜に海沿いを歩くなんてことは、今までなかったかもしれない。
「大抵夜は、遅くまで町中で生活してたからねえ」
午後8時から開店して、閉店は午前1時。
とは言いつつも、オーナーの彼がそこまで遅く店にいることは皆無。
せいぜい開店して1〜2時間ほど、店に来る客に顔見せをしてから、あとはスタッフに任せて帰宅する。
家に着くのは、ほぼ10時を過ぎる頃。
それから出掛けることなどないから、何となく新鮮な気分だ。

「ねえ友雅さん。これから早く帰れたら、こんな風に夜のお散歩行きませんか?」
「うーん…そういう誘いをされると、開店する前に帰宅したくなってしまうな」
波の音に耳を傾けたがら言うと、あかねが足を止めて友雅を覗き込んだ。
「今の言葉、撤回します。そんな風に友雅さんにサボられたら、鷹通さんが可哀想だもの。」
オーナーの特権を利用して、自由奔放に勤務時間を操作するのはお手の物。
それが自分と過ごすためだと思えば、正直悪い気はしないけれども…。
「じゃ、日曜の夜だけにしよう。それなら構わないだろう?」
日曜は定休日だから、夜は完全にフリー。
どこかに出掛けない限りは、家にいるはず。
「それなら許可します」
あかねはそう言って、朗らかに笑った。


砂が残る遊歩道を、とぼとぼと宛ても無く歩いて。
大きな岩場に差し掛かったところで、来た道をUターンした。
「でも、正直なところを言えば…店で堅苦しい格好をしてるより、こうして普段着で散歩する方が気楽ではあるね。」
平日ならこの時間は、スーツ姿で店に出ている頃。
バカラのグラスにカクテルを注いで、女性たちの話に耳を傾けたりしている。

ふと、隣の彼女が小さな笑い声を上げた。
「どうしたんだい?」
「ううん、別におかしいわけじゃないんですけど…お店の友雅さんと比べると、全然違うんだもの」
一緒に過ごすようになって、もう見慣れた姿ではあるけれど、『JADE』にいる彼とは、あまりにも違いすぎる。
素肌の上に洗いざらしのコットンシャツと、少し色の落ちたダメージのデニム。
足なんか、裸足にビルケンシュトック。
Ferreのスーツに身を包んで、シェーカーを振る彼からは想像出来ないだろう。
でも、普段着の彼はいつもこんな感じだ。

「家にいるときまで、スーツなんか着てられないよ。」
笑いながら友雅は言う。
その割には、何を着たってそれなりにハマってしまうのが彼だ。
もとが良いって得だなあ…なんて、あかねは心の中で考えた。

「でも、姫君がご所望ならば、いつでも正装するよ?」
腕に絡めるあかねの手を、そっと取り上げる。
悪戯するように指先にキスをして、片手は背中に回して。
「とっておきのスーツを着て、ヴェネツィアンガラスのランプでライトアップして。そして、最高級のバカラグラスで、カクテルをご馳走するよ。」
たった一人だけの為に、特別なおもてなしを。
店では出来ない、一人のためのエスコート。
「大好きなフローズンパイナップルも、クリームチーズのカナッペも添えて。」
チーズの上から垂らす、はちみつも忘れずに。

「カクテルは何が良い?店でよく飲んでいた、カンパリにしようか。」
いつも彼女がオーダーしているのを、ずっと眺めていたのは昔のことだ。
他の客とは違った雰囲気の、可愛いお客様の様子を伺っていた頃は、お互いに口を聞いたことも無かったのに。
今はこうして、すぐにでも抱きしめられる関係。
大切な、ただ一人の恋人。

「やっぱり、オリジナルにしようか。あかねのための、オリジナルカクテル。」
彼女の口に合うものを集めて、完璧なバランスでブレンドしたそれは、門外不出の特別レシピ。
どんな高貴なお客様でも、どれだけ料金を積まれようと、これだけは誰にも作ってあげない。

"あかねにしか、飲めないものだしね"
甘くて口当たりが柔らかくて、それでいて…少しずつ酔える味。
まるで、彼のキスそのもの。

「何か、友雅さんの話を聞いてたら、カクテル飲みたくなっちゃいましたよ…」
唇を離し、彼にぶら下がるように肩に手を掛けて、あかねが言った。
友雅と一緒じゃなければ、飲めないカクテル。
甘いフルーティーな、身体にそのまま自然に染み込む甘さが恋しくなった。
「じゃ、部屋に帰ったら、姫君に1杯ご馳走して差し上げよう。」
目の前にはマンションが見えて来た。
もうそろそろ、夜の散歩はおしまい。

「あ、でも、別にスーツとかには着替えなくても良いですからね!」
エントランスをくぐって、エレベータの前で立ち止まると、あかねが思い出したようにそんな事を言った。
そして、花のような笑顔を作って、腕に寄り添う。
「今みたいな普通の格好で良いです。どんな格好でも、友雅さんには変わりないですもん。」
服装なんかどうでもいい。そんなもので、惹かれたわけじゃない。
こんなにも惹かれてしまったのは、それが"彼"だったから。
「それに、こーいう友雅さんにカクテル作ってもらうなんて、普通じゃ出来ませんから、こっちの方が貴重です。」
さらりとした髪を夜風に靡かせて、彼の恋人はそう言って微笑んだ。

「それじゃ、今夜はとびきりのカクテルで、ゆっくり甘く酔わせてあげるよ。」
フルーティーな茜色のカクテルに、恋というスパイスを加えて。

恋人と過ごす夏の夜は、酔いつぶれてしまうくらいに、思いっきり甘いくらいの方が良い。




--------THE END




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2009.08.09

Megumi,Ka

suga