Between the Night

 001

エアコンを止めて、バルコニーに続く窓を少し開ける。
潮風を含んだ夜風が部屋に流れ込み、レースのカーテンをふわりと揺らした。

少しのんびりとリラックスしたくて、今夜は白ワインからビールに切り替える。
しっかりと冷やしたイタリアンビールは、飲みやすい味わいで、身体に程良く溶け込んでゆく。

日曜日の夜は、こんな風にちょっと気を緩ませて過ごす。
そして、キッチンを歩き回る彼女の姿を眺めてみる。


「あーあ。さっきのが最後の一本だったのかあ…。」
冷蔵庫の中を覗いていたあかねが、はあ、と溜息を付いてドアを閉めた。
「何か買い忘れがあったのかい?」
「うん…。牛乳を使い切っちゃって。」
昨日の時点で、もうそろそろ残りが少ないな、とは気付いていた。
明日は郊外に買い出しに行くから、その時に買えばいいやと思っていたのだが。

「バーゲンに気を取られすぎちゃったかなぁ」
二人で出掛けたショッピングセンターは、生憎というかナイスタイミングと言うか、夏物のクリアランスセール開催中。
しかも、あかねが気に入っていたブランド服の店が、なんと50%〜80%OFFという破格の内容。
ここぞとばかりに飛び込んでみたのだが、安いからと言っても、何でもかんでも買えるほど予算はない。
財布の中身と相談しつつ、店内にある気に入ったものを長時間掛けて探し出し、更に選別にも時間を掛けてしまった。
「予算が足りなければ、買ってあげたのに。」
「イヤですよ。理由もないのに、お強請りするなんて。」
あたりまえでしょ、と言うような口調で、きっぱりとあかねはそう返事する。

「相変わらず頑固だね。」
飲みかけのビールをそのままに、友雅はソファから立ち上がった。
そしてゆっくりとキッチンに向かうと、彼女を後ろから抱きすくめる。
「あかねのお強請りに答えるのも、私の楽しみなんだけどねえ。」
「自分で使うものは、ちゃんと自分で買う主義です!…日用品とか、パーティーに着て行くものは…別ですけど。」
友雅が招待されたパーティーに同行するときは、それなりの格好をしなくちゃいけない。
だけど、あくまで一般人の…しかも単なる女子大生のあかねには、そんな服など持っているはずがなく。
仕方が無いけれど、そういうものは全て彼に任せてしまう。
おかげでクローゼットの中には、ドレスやバッグやアクセサリーなどが、一式揃って山ほど並んでいる。
「そーいうの買ってもらってるから、普通の服は自分で買います!」
つれない姫君だな、と笑いながらあかねの顎を掴み、そっと後ろへ傾けさせた。

鼻をくすぐる深い香りは、すっかり覚えてしまった彼のコロン。
柔らかい髪の毛が頬に触れて、唇から伝わるのはさっきのビールの味。
抱きしめるぬくもりは、彼の腕。

-------ポーン。
単なるBGMでしかない付けっぱなしのテレビが、時報の音を鳴らした。
ただいまの時間は、午後8時。
「まだ8時なんですねえ」
「そうだね。今夜は夕飯が早かったから。」
マンションに戻って来たのは、午後5時頃。
それから夕飯の支度をしたのだが、さっぱりした夏のディナーメニューは、時間短縮で出来上がってしまうものが多い。

「友雅さん、ちょっと出掛けて来ていいですか?」
腕の中に取り込んだあかねが、こちらを見上げてそんなことを言い出した。
「マンションの近くに、ミルクの自販機があったでしょ。まだ時間も早いし、ちょっと買って来ようかなと思って。」
自販機に並んでいたのは、500mlくらいのパックのみ。
1リットルサイズは、日を改めて買いに行くとして…取り合えずその場しのぎには、それくらいの量があれば十分。
「いくら早くても、外は暗いよ。牛乳なんて、一日くらいなくても平気だろう?」
「うーん。でも、スープの下ごしらえしちゃってるんでー…」
あかねが指差した真っ赤なル・クルーゼには、蒸かされたオレンジのかぼちゃと、良い色合いに炒められたタマネギ。
カウンターにはコンソメブイヨンに、ブーケガルニ。材料は99%揃っていると言って良い。

「分かったよ。じゃあ私も一緒に行くよ。」
「え?大丈夫ですよ!だって、ホントにすぐ近くじゃないですか。」
「駄目。夏は夜遅くまで出歩く輩も多いし、何かあってからじゃ遅い。」
マンションの駐車場を、ぐるっと一周したところにある自販機。
歩いても走っても、せいぜい2〜3分しかない距離なのだが。

「心配性ですねえ…。一人で大丈夫ですってばー」
彼女を抱きしめていた腕を解いて、友雅はリビングに戻り窓を閉める。
そんな彼の背後で、あかねが少し呆れ気味につぶやくと、振り向きざまに友雅は彼女の鼻の先を、つん、と突く。
「駅から店への道程で、泣きついてきたり困ってたりしたの、何回あると思ってる?それが心配で、ここに引っ越して来たんだよ?」
にっこり微笑んで、友雅は言う。
…それを言われると、ツライ。

最寄りの駅から『JADE』までは、それほど距離は離れていない。
けれども、やはり夜になると喧噪は激しくなって、そこを流れる人を呼び込もうとする熱気も溢れて来る。
一度めは、道すがらの新しいホストクラブ。
嫌だって言うのに、半ば無理矢理連れ込まれて、散々つまんない話やカクテルまで飲まされて。
やっとトイレに抜け出して、すぐに彼に迎えに来てくれるように頼んだ。
「店で待っていたのに、全然連絡来ないし。心配していたら、"助けて"とか、物騒な電話を掛けてくるし。」
「うー…それは、確かにそうでしたけどー…」
気まずそうな顔をして、あかねは過去を思い出す。

もう一つは、スカウトマンに声を掛けられたこと。
ただし、同じ日に同じ道沿いで、3度も別の男に捕まってしまったというのは、ちょっと当たりが良すぎる。
しかも最後の一人は、待ち合わせのカフェ店内で声を掛けられた。
文句はどれも似たようなもの。『モデルやってみませんか?』とか、そんな類い。
もちろん"スカウト"なんて言っても、内容はろくなもんじゃない。
ああいうところで声を掛けるスカウトマンなんて、大概は男を相手にする店の従業員か、怪しいビデオやグラビアのモデルのスカウトマンだ。

「店内でもまとわりつかれるんだから、あかねのフェロモンは凄いものだよ」
「フェ、フェロモンってっ!そんなのあるわけないじゃないですかっ!!!」
ぐっと顔を近付けられ、あかねは顔を真っ赤に染める。
「そういう言葉はっ…私じゃなくって、友雅さんにある言葉ですっ!」
「生憎、私は自分の事には疎くてね。そう言われても、よく分からないんだよ。」

でも-----と言いかけて、彼の手が背中に回る。
そのまま、まるでお姫様のように抱っこされる格好になって。
「あかねのフェロモンなら、誰よりもよく分かるんだよ。」
彼女の前髪をかき上げ、額に軽くキスをひとつ。
もうひとつは、右の頬に。

「さ、出掛けるなら早く行って来よう。時間が遅くなればなるほど、心配が増えそうだしね。」
「は…はぁい…」
腕から下ろされたあかねは、額と頬を軽くこすった。
何だかちょっと、くすぐったい気がして。



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Megumi,Ka

suga