★★★風の調べ★★★
「こんな店が近くにあったなんて知らなかったよ」
「コンシェルジュさんに聞いて調べて貰ったんです。結構穴場らしいですよ」
オープンしてまだ一年くらいの新しい店で、あまり知られてはいないが食通の間ではかなり人気があるらしく、所謂一見さんが気軽に入れる店ではないようだ。
幸い今回はコンシェルジュを介したので予約が取れたが、個人では受け付けてもらえなかっただろう。そう思わせる雰囲気とホスピタリティ。
和風創作料理というジャンルの知識が疎いので、今回はパートナーの誕生日ディナーと伝えただけで、全ておまかせのコースにした。

「じゃ、友雅さんお誕生日おめでとうございます!」
シャンパンの代わりにスパークリングの日本酒で。
繊細で煌びやかな江戸切子のぐい呑みに、透き通った酒を注ぎ入れる。
カチンと涼しげな音を響かせたあと、互いに口へと運ぶ。
甘めで軽い度数の発泡酒。小さなボトルを2人で1本。平日の夜はこれくらいがちょうど良い。
新鮮な魚介や野菜を使った料理たちは、全て産地と生産者の名前が記載されて配膳される。個室の窓からは中庭が望め、微かに小川のせせらぎが
聞こえる。
「良いね、雰囲気も料理も落ち着いていて」
「気に入ってくれて良かったです。歩いても来られる距離って言うのもポイントですよね」
酒を飲むたびに、その都度ぐい呑みを少し眺める友雅。
「綺麗ですよね切子ガラス」
「そういえば父が昔、こんな酒器を使っていたのを思い出したよ」
「お父様、お酒好きだったんですか?」
「どうかな。いつも帰りが遅かったから、家で食事している姿をあまり
見たことなかったね」
友雅の父は国内外でも著名な外科医だった。看護師のあかねでも名前を聞いたことがあるくらいの名医で、現場以外にも名誉教授という肩書で講演会や論文などに明け暮れた人生だった。
「医師としては凄い人だとは思うよ。でも父親としての記憶は殆どないね」
代々医師の家系だったから、何となく自分も同じ道に進んで今に至る。同業者として実績が勝ってしまって、身内なのに他人のような気がする。

「でも、私にとっては大切なお義父様ですからね」
酒を注ぎ足しながら、あかねが言った。
「ご両親がいらっしゃったから友雅さんがここにいるんですから。そう考えたら感謝しかありませんよ」
彼にとって両親と過ごした時間は、団欒という言葉には相応しくなかったのかもしれない。
それでも、彼を育んでくれたことは何よりも変えがたい。
「これからは、2人で一緒に家庭的な空気を楽しんでいきましょうよ」
彼が味わえなかったこと。
縁遠かったこと。
それらはもう覆せない過去だけど、2人にはまだまだ未来がある。
「ただいま」と言えば「おかえり」が返ってくる。
当たり前のことだと見過ごしてしまいがちなそんなやり取りが、積み重なるうちに深く強い想いに変わる。

「…そうだね」
短く友雅は答えた。
柔らかな笑みを浮かべて。



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