「あー。ようやく休みだー!」
思わずそんな声が上がるロッカールーム。
今日の声の主は森村だが、最近は毎日のように同様の声が響く。
ここ数ヶ月の間、医療現場は延々と逼迫状態だった。理由は敢えて書かないでおく。
科を問わず皆ギリギリの環境で勤務を続け、シフト表などあってないようなものだった。
ようやく緩和されてきたのが先週くらい。
予定通りに休日を取れるようになって、森村も明日はやっと身体を休めることが出来る。
「休みだからってはしゃぎ過ぎるなよ」
「そんな余裕ないっすよ。HPもMPも限界っす」
明日は気が済むまで寝て、すり減った体力回復に努める。
明後日になれば、また白衣に袖を通さなければならないのだから。
「お疲れさま。受付に寄るの忘れないようにね」
入れ違いになった友雅が、森村の肩を叩いて声を掛ける。
ボランティア団体からテイクアウトチケットが配給されており、各自受け取ってから帰宅するのが最近のルーティン。
店のジャンルもいくつかあるので、毎日飽きずに選べるのが有り難い。
「そういう橘先生は、お休みいつでしたっけ」
尋ねられた友雅は、出勤表のカレンダーに目を向ける。
さすがの彼も多忙を極めていたせいか、曜日感覚がすっかり麻痺していた。
「金曜日だね」
そうだ、同僚と休みを交換したので、代わりに金土と連休を入れてもらったのを思い出した。
「12日ですか。一日早かったら良かったですねえ」
友雅の誕生日が11日であることは、不思議と誰もが何となく知っている。
…不思議というか、以前から女性スタッフがワイワイ話していたりしていたせいもあって。
「元宮さんはどうなんです?」
「彼女は土日。土曜日だけはどうにか合わせられたね」
たった一日であろうと、このご時世で休みを合わせられたのは奇跡。
誕生日の次の日であっても、まったく関係ない日であっても贅沢は言わないし言えない。


お互い疲れがピークに達しているので、最近は手のかからない食事で済ませることにしている。
テイクアウトチケットを活用したり、インスタントや冷凍食品にも遠慮なく頼っている。
「でも今の冷食ってちゃんと栄養バランスも味も良いし、意外と侮れませんよね」
宅配のマルゲリータと冷凍野菜を使った温野菜サラダ。
母の手作り梅干しと大葉を薬味にした冷や奴に、冷やしたノンアルコールワイン。
完全にジャンルバラバラだが、自宅での食事なのだから気にしない。
「そういえば昨日の新聞に、隣駅の公園の記事が載っていたよ」
「あ、そろそろですよね梅の実おとし」
広大な自然公園の一画に、趣のある日本庭園がある。
四季折々の花木が植樹されていて、隣接した梅林では春を告げる花が鮮やかに咲き始め、初夏には瑞々しい青梅が実を付ける。
毎年梅雨入り前に手入れを兼ねた梅の実落としの作業が行われ、採取した実は公園内で一般に販売されている。
発売日には早くから大勢の人が並び、1時間程度で完売してしまうという人気。
自分で並んだことはないが、以前知人が買った1袋をおすそわけしてもらった。
「あれから毎年作るようになったんですよねー、梅シロップ」
青梅と氷砂糖などを交互に入れて、あとは時間が経つのをゆっくり待つだけ。
梅雨明け間近になる頃には、シャンパンのように澄んだシロップが出来上がっている。
水や炭酸水で割って飲んだり、アルコールで梅サワーにしたりと夏の間はかなり重宝するのだ。
「でも今年は販売しないらしい。こういう状態だし」
「あー…確かに。残念だけど仕方ないですね」
当たり前のことが当たり前じゃなくなるのは、今始まったことではないし慣れて来た感はあるけれど、やはり少し気持ちがしぼむ。
それでも頑張らなくてはいけないから、別の方法でテンションを上げて行かないと。

「母は今年も梅干し作るって言ってましたよ」
親戚の家から毎年大量に実をもらい、十年以上続けている母の梅干し作り。
始めたきっかけは何となくだったのに、初めてみたらすっかり習慣になってしまった。
手間は掛かるが、その手間が楽しい。時間をかければかけるほど、出来上がったときの達成感はたまらない。
「私も梅の実、送ってもらおうかなー。シロップ作りたいし」
「あかねのそういうところは、母上譲りだね」
手抜きをしない。妥協をしない。努力を怠らない。
自分とは正反対の、尊敬すべき彼女の長所。優秀な白衣の天使に備わった才能。
だが、時々頑張り過ぎてしまうことがあるから、手を差し伸べて立ち止まることに気付かせる。
それが、自分の役目だと友雅は思っている。

「友雅さーん…」
職場では絶対に出さないような声で、あかねが名前を呼ぶ。
「今年の誕生日、どうしますか。一日遅れになりますけど」
6月11日の友雅の誕生日には、当然特別なことをしようと決めている。
休みが合えば近場に旅行したり、ちょっと良いレストランを予約してディナーを楽しんだり。
しかし今年は自由がきかない。誕生日プレゼントもオンラインで探した。
アクアマリンを施した、シルバーのネクタイピン。スタイリッシュでカッコいい。
「ケーキくらいは用意したいなー。作っちゃおうかな」
「仕事に100%近く力を使っているのに、家で労力を使ってはだめだよ」
「だって誕生日のケーキがないのは冴えないですよ?」
そう話すあかねの手を取って、指先に唇を添える。
「ケーキよりずっと甘くて美味なものが、私の目の前にいつもあるし」
愛しげに、そして艶かしく、あかねの指先に友雅はキスをする。
少し手を引くと、彼女は椅子から立ち上がって彼の元へやって来た。
細い腰に手を回して、身体を膝の上に抱きかかえる。
「疲れない程度のものなら、作ってくれるのはもちろん嬉しいけど」
「じゃあ簡単なレシピの作ります」
「それなら良いよ。私のことであかねが体力消耗しては困る」
「んー…?何かちょっと納得できない言葉ですね」
珍しく意味深。指先のキスに似た雰囲気の、妖艶な彼女の言葉。
二人の間でだけ理解できる信号みたいなものが、どちらからともなく発せられている。
「程々は大切ですけど、友雅さんの疲れを癒せるなら…私、どんなことでもしますよ」
「それはドクターのため?それとも旦那様のため?」
「当然、毎日一生懸命現場で戦ってるドクターのためです」
---------言うと思った、と彼は笑った。
が、あかねが重ねて来た唇には、違う意味もしっかり込められている。
「では私も、優秀な看護師様のためにどんなことでもしよう」

お互いを尊重し、お互いを労り合う。
その手段は二人が編み出すものであり、ビジネスの現場だけでは成り立たない。
だからプライベートの時間は重要。どれほどリフレッシュできたかで、次の日の始まりが変わってしまう。
「今日もお疲れさまでした、橘先生」
「元宮さんもお疲れさま」
の、あとでキスをしてビジネス気分はシャットアウト。
これからは誰にも邪魔されることない、完全なプライベートの二人の時間だ。







 




愛を込めて花束を