ホールから戻った頼久を呼び止めて、詩紋へのプレゼントを預けてから車に戻った。
後ろ髪を引かれる想いがない訳ではないが、仕方ないと自ら納得させて千歳は窓からレストランの方を眺めている。
カーステレオから流れる緩やかなクラシック。
街灯やガーデンライトが主張し始めた時間、店内はディナーの客が増えて来ていた。
「詩紋のことだから、受け取ったら連絡してくれるよ」
助手席で友雅が千歳に話しかけた。
-----が、彼女からの返事がない。
ミラーに映った後部座席の彼女は、黙って外をじっと見つめている。
「どうかしたのかい」
千歳が返事をしないなんてあり得ないため、違和感を持った友雅はもう一度声を掛ける。
すると隣にいた文紀が肩を叩き、やっと千歳は我に返った。
「え、何でもないわ」
「父様にはそう見えないけどねえ。忘れ物でもしたかい?」
「違うわ。うん、本当に何でもないのよ父様」
笑いながら答えたけれど、ぎこちない顔をする千歳はどう見てもおかしい。
だが、無理強いで理由を聞き出せるような雰囲気でもなく、その場は彼女の言う通りスルーすることにした。

帰宅途中も自宅に着いても、千歳の表情は冴えなかった。
帰りを待っていたまゆきを抱きしめても、圧倒的に口数がいつもより少ない。
あかねや祥穂も異変に気付き、声を掛けたが笑って"何でもない”と答えるのみ。
「絶対何かおかしいですよ。体調が悪いとか、どういう意味じゃなくて…」
友雅の着替えを手伝っていたあかねが心配そうに話すが、こちらもまったく身に覚えがなくて答えようがない。
「詩紋くんと、何かあったとか?」
「いや、詩紋とは直接会っていないからそれはないよ」
「だったら、何なんでしょうか…」
コンコン、とノックの音が響く。
どうぞと声を掛けると、そっと開いたドアから文紀が顔を出した。
「どうしたの、千歳に何かあった?」
思わず反射的にあかねは尋ねたが、それはまんざら勘違いでもなさそう。
「えっと…千歳のことなんだけど」
「心当たりがあるのかい」
「よくわからないけど、もしかしたらって思ったことがあって…相談したくて」
「願ってもないことだよ、さあお入り。内緒で教えておくれ」
親子三人だけで、秘密のお話。
ほんの数分しかなかったけれど、謎を解く手がかりがようやく見つかった。



「後片付けは私たちがするから、二人とも先に風呂を使って良いよ」
「お仕事で疲れている父様に、そんなことさせられないわ」
「文紀と一緒にやるから平気だよ。上等なブラウニーを焼いてくれたお礼だよ」
まゆきは祥穂と一緒に入るから、母様とゆっくり暖まって来なさい、と友雅は千歳を促す。
あかねも既に着替えを用意して待っていたので、言われる通りに母と浴室へと向かった。
湯気に混じる檜の香り。丁度良い温度の湯船に二人で浸かる。
「千歳と二人だけって久し振りねー」
まゆきが生まれてからは三人一緒なので、こんな入浴は本当に数年ぶりだ。
自分だってまだ子どもなのに、まゆきが赤ちゃんの時からお世話を手伝っていた千歳。
微量な力でも母親のあかねにとっては、とても頼もしい姿だった。
「でも、私がもっと大人だったら、まゆきのお世話もたくさん出来たわ」
「それは仕方ないわよ。年は変えられないもの」
「………早く大人になれたらいいのに」
-------ああ、そうか。やっぱりそうか。
彼女の心に影を落とした原因は、間違いなく文紀が教えてくれたことだと確信した。
レストランからの帰り際、ひとめでも詩紋の姿が見えたらと外を見ていた千歳が見た光景。
彼の目の前には二人の女性が居て、どちらも同世代のようだった。
同じ時間を共有しているだけで、会話はいくらでも成り立つし交流も深まる。
そんな事実を見せられたような気がして、胸の奥に重いものを感じてしまった。

「母様はそんなことなかった?父様と同い年になりたいって思ったりしなかった?」
バスタブに顔を乗せて、千歳は問う。
両親も世間的に見ると年の差がある方で、彼女にとって母は言わば先輩と仰ぎたい立場。
娘からの質問をあかねは反芻し、友雅と交際していた頃を思い返す。
「年の差を縮めることは無理だから諦めてたけど、焦る気持ちは…あったかな」
恋人同士だからこそ思い悩んだ立場の差。
並んで歩くことや共に時間を過ごすことで、彼とは相容れないものが存在すること。
彼は立派な大人の男性で、しかも名家の当主。かたやこちらは中流家庭で育った、極々一般的な女子高生。
こんなに立場の違う人と、どうして恋に落ちてしまったのか不思議だった。
でも、それが恋というものだ。
「父様に呆れられないように、大人っぽくしなきゃって色々頑張ったりもしたわよ」
だけどね、とあかねは続ける。
「やればやるほどダメなの。失敗しちゃうのよ、こういうことって」
結局は無理をしているからボロが出る。せっかく頑張っても逆効果になることもしばしば。
そうやってまた自分に落ち込んで…と悪循環が続いたりもした。
「そういう母様を見て、父様はどう思ったの?」
あかねはちょっとだけ照れくさく笑う。
「父様には全部見破られてたの、無茶してたこと。恥ずかしいったらないわよねー」
だが、分かっていながらも彼は何も言わずにいた。
そしてある時、こうあかねに告げた。
「自然体でいて良いんだからって」
  
  私が好きになったのは素のままの君だから、大人びる必要なんてなにもない。
  元々違う相手と知って恋をしたのだし、無理してどちらかに合わせたりしなくて良い。



そわそわしながらリビングでハーブティーを飲んでいた文紀たちの前に、風呂上がりのあかねと千歳がやって来た。
「今日は寒かったから暖まったようだね」
「ええ暖まりました。少し水分補給しなきゃ」
祥穂はさっそく冷蔵庫から、冷やしておいたほうじ茶のボトルを取り出してグラスに注いだ。
あかねと、千歳の二人分。せっかく暖まった身体を冷やさないように、量は半分程度で。
「それでは、先にまゆき様とお湯を頂いて参ります」
そう言って祥穂は小さなまゆきを連れ、浴室へと向かった。

リビングに四人だけ。あかねと友雅と千歳と文紀。
「すっきりしたみたいだね?」
問いかけると、千歳は笑顔で頷く。
その表情は曇っていた頃とは違って、普段の朗らかさが戻って来ていた。
「見た目だけ大人になろうとしないで、心から大人にならないといけないよ」
ほうじ茶を少しずつ口にする千歳に向けて、友雅は穏やかな口調で話す。
「でも心を成長するには時間が掛かるのだよ。だからといって焦ると、中身はスカスカになってしまう」
人生経験は地層や年輪のように、ゆっくりと作り上げて行くもの。
良い事ばかりではないけれど、そこからいくつものことを学んでいくことで美しい層が出来上がる。
「今の千歳も十分に素敵なお姫様だよ。時間を掛ければもっともっと素敵になって行くから」
そんな友雅の台詞を、あかねと文紀は苦笑しながら目配せをする。
友雅にとって、千歳もまゆきも世界一のプリンセス。
彼女たちはまさに宝石の原石で、いずれ誰もが見とれるハイジュエリーに仕上がることを信じている。







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Bitter Sweet Valentine page02