本番は2月だが、盛り上がりは既に1月から始まっている。
甘い香りと少しだけほろ苦さを漂わせる、チョコレートが町中に溢れる季節。
バレンタインデーは時代とともに変化を繰り返しながらも、どことなくわくわくしてくるイベントだ。

オーブンから取り出した焼きたてのブラウニーは、とびきり上等な香りがする。
友雅と付き合っていた頃からあかねがバレンタインに焼いて来たものだが、今年は子どもたちと一緒に大量生産に挑戦している。
5回に分けて焼いたブラウニーは、スクエアタイプ5枚分。
スティック状にカットしたあと、それぞれにデコレーションする。これがまた楽しい。
あげる相手を思い描きながら、トッピングを変えたりチョコペンでアイシングしたり。
カラフルなスプレーチョコで彩ったものは、まゆきと千歳が友達にあげる"友チョコ"。
ナッツを飾ったものは頼久に。ドライフルーツバージョンはイノリと鷹通に。
天真にはココアパウダーでビターな風味を。泰明には抹茶チョコのアイシング。永泉にはスミレの花の砂糖漬けを飾った。

「どれもすっごく可愛く出来たわ!」
あまり男性は見た目を気にしないみたいだが、やっぱり綺麗な仕上がりの方が良い。
ちなみに味見はしているので、中身は問題無しだ。
用意したギフトボックスに、丁寧に並べて詰めて行く。
渡す相手を間違えないように、箱の色とリボンはすべて変えている。
詰め終わったものから祥穂がラッピングしてリボンを結び、完成されて行くバレンタインの特製ブラウニー。
最後まで残った三つは、それぞれ一番思いを込めた。
友雅用はあかねが、文紀用はまゆきが、千歳はもちろん…詩紋用。
他の人には申し訳ないけれど、特別な相手への分はどうしても気合いが入る。
「気に入ってくれるかしら」
「喜んで下さいますよ。皆様素敵な殿方ですから」
仕上げのリボンを結びながら、祥穂が千歳の問いに答える。
それぞれ小さな手提げ袋に入れ終えたら、今年のバレンタインミッションは完了。
「どのようにお届け致しますか」
「永泉さんの分は、明後日生け花のお稽古の時に渡します。あとはー…」
来週は庭の手入れの予定があり、隔週で家庭教師がやってくる日がある。
イノリと鷹通の分はその時に渡そう。少し遅れてしまうのは申し訳ないが。
「天真殿と泰明殿は?」
「ミュージアムの作品入れ替えが週末にあるみたいだから、天真くんの分は父様に頼みましょ」
泰明は敢えて病院が休みの日を狙って、母屋である裏の私邸へ渡しに行こう。
患者から物を受け取ったことを周囲に知られると、変な誤解をされてしまっても困るので。
ちなみに、大先生の院長の分も用意してある。結構な年齢なのだが甘いものが好きで、しかも洋菓子というハイカラ嗜好。
前回のバレンタインチョコも気に入っていたようなので、今回も感謝を込めて。
そして、頼久と詩紋の分は---------
「明日の夕方、父様がお店に連れて行ってくださるって言ってたの」
子どもたちにはとことん甘くて、千歳の気持ちを理解している友雅のこと。
下校時刻に合わせて車で迎えに行くから、彼らの勤めるミュージアムレストランに寄ろうと、多分自分から言い出したんだろう。
「じゃ、二人にはよろしく言ってね」
「分かったわ。あ、カードも忘れずに入れておかなきゃ」
楽しそうにチョコレートの香りに包まれていた彼女の表情が、次の日曇り空と変わるとはこの時誰も想像していなかった。



「お父様がお迎えに来られていますよ」
普段は送迎のスクールバスで最寄りの場所まで登下校するが、諸事情がある場合は学校側に事前連絡を入れておくと職員室で待機させてくれる。
迎えに来た人の身元確認をした上で、教員が生徒を指定場所まで案内するというシステム。
子どもを取り巻く環境は哀しいことに悪いことばかりが目立ち、こういった危機管理を常に発動しなければならない。
まめに学校行事に参加する保護者でさえも、その都度身分証明書提示が義務づけられている。
生活指導のシスターに連れられ、裏口の駐車場へやって来た二人を父が出迎える。
「おかえり。今日も楽しい時間は過ごせたかい?」
「私は一日とても楽しかったわ」
「それは何よりだ。文紀はどうだい?」
「僕も今日は、体育で幅跳びの記録が上がって」
「へえ、すごいな。詳しいことは車の中で教えて貰おうかな」
両手に子どもたちを抱え、表情を伺いながら学校生活の様子に耳を傾ける。
自分の声をきちんと聞いてくれているから、彼らはとても饒舌で瞳を輝かせている。
「お世話になりました。明日もまたよろしくお願い致します」
「こちらこそ。どうぞお気をつけて」
短いながらも丁寧に教員と挨拶を交わし、子どもたちがシートベルトを着けているか確認した上で彼は助手席に乗り込む。
ドライバーの運転するレクサスは、自宅と逆の方向へと走り出した。

展示作品の入れ替え期間につき、ミュージアム自体は2月下旬まで閉館している。
しかし併設しているショップやレストランなどは営業中で、ランチからディナーまで相変わらず客足が絶えない。
丁度この時期はバレンタインシーズンでもあるため、スペシャルメニューを用意したりテイクアウトのスイーツも限定品が並ぶ。
普段より混雑しているのは、こういったイベントを意識しているからだ。
友雅たちは店には入らず、勝手口の奥にある来客室でスタッフを待つことにした。
しばらくするとドアをノックする音が。
ゆっくり開かれた扉の向こうから、頼久が姿を現した。
「失礼致します。私をお呼びだとお聞き致しましたが御用でしょうか」
御用も何も、と生真面目な彼の姿勢に苦笑する友雅の隣に居た千歳が、黒と赤の紙袋を手にして立ち上がった。
「はい頼久殿、バレンタインからブラウニーを焼いたの。受け取ってくださる?」
自分の半分にも満たない小さな彼女から、直々に差し出されたバレンタインプレゼント。
受け取らずに断るような選択肢は、彼の頭には一筋もない。
「私には勿体ないほどではありますが、感謝を込めて喜んで受け取らせて頂きます」
「まったく、返事も真面目すぎだよ頼久」
そう言って友雅は笑ったが、頼久の穏やかな表情はホールに居るときより柔らかで、リラックスしているのが明らかだった。
「ただいまお茶をご用意致します。良い茶葉が入荷致しましたので、是非」
ストレートひとつにミルクティーふたつ。
わざわざ聞かずとも、彼らのオーダーはしっかり記憶している。
「頼久、使うようで悪いが…詩紋もこちらに呼んでくれるかな」
あ、と彼は千歳の姿を見て気付いた。
彼女が手渡したいもう一人の存在。彼が居なくては、意味がないこと。
「では詩紋にお茶を用意させますので、少々こちらでお待ち下さい」
頼久は深々と頭を下げると、静かにドアを閉めて部屋を出た。

5分くらい待っている。
だが、まだ彼女のお目当ての彼は姿を見せない。
「お忙しいのかしら」
「かもしれないね。バレンタインだし、チョコレートを買いに来るお客様も多そうだしね」
それまで大人しく待っていた千歳だったが、友雅の言葉を聞いて考えが変わったようだ。
「お店の方に預けて帰った方が良くないかしら」
「良いのかい?直接手渡したいんだろう?」
「そうだけど、お仕事が忙しいのに中断させちゃったら申し訳ないわ」
こういう時、彼女はとても物わかりが良い。
相手に迷惑を掛けることを重要視して、我を抑える術を幼いながら知っている。
おそらく母親に似たのだろう。あかねも昔からそういう女性だった。
ふとした時に見せる母ゆずりの片鱗が、友雅には愛おしくてたまらなかった。
「そうだね、じゃあ頼久にお願いして今日は帰ろう」
友雅は柔らかな千歳の髪を優しく撫でた。







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Bitter Sweet Valentine page01