★★★薔薇の名前★★★
物置から出して来たテーブルと椅子を組み立てて、デッキの上に設置する。
日差しはさほど強くもないので、パラソルは必要なさそうだ。
「それにしても、相変わらず父ちゃんたちは仲良いなあ」
椅子に腰を下ろしたイノリは、さっきの様子を思い出しながら言った。
お茶の用意に戻るあかねにサポートを申し出て着いて行くまでの仕草。
他人の目を気にしての行動ならわざとらしさを感じるものだが、そういうところがみじんもないというのは日常的なことなのだろう。
「父さまは母さまのこと、とっても好きなの」
「そうなの、大好きなの。私たちとは違う大好きなんですって」
あけすけにまゆきと千歳は言う。
大好きの意味。愛情の意味。
父親としての愛情と、妻に対する愛情は似ているようで違い、違うようで似ている。
普段はそんなこと考えたこともないが、ここに来るとそんなことに気付く。
暖かな空気に溢れたこの家は、いつ来ても居心地が良い。

すると、まゆきが小さな身体を乗り出してイノリに近付いた。
「あのねイノリ殿、相談したいことがあるのー」
「ん?どうした」
天使たちから突然のお願い。まずは耳を傾けてみよう。
「ここの庭、僕らのバラを植えてくれてるでしょう。でも、父上のバラがないんだ」
そういえば…なるほど。あかねと、そしてこの子たちと。
友雅はそこに自分を加えるということは、まったく頭の中になかったようだ。
「せっかくだもの、父様のバラも植えれば良いのにって思ったの」
「そーか。で、俺に良さそうなのを見繕って欲しいって?」
「たくさん綺麗なバラ、選んでほしいの」
この庭に加えるもうひとつのバラか…。
白いバラに淡いピンクとオレンジのバラ。そうなるとやはり淡い色合いが似合うか。
でも、華やかな印象の色の方が友雅には似合いそうだが…。
「さあ、ガーデンパーティーの用意が出来たよ」
友雅がティーセットを、あかねがお菓子を持って庭に現れた。
手作りのチョコチップクッキーと、チーズとレモンのクラッカー。
紅茶はカップの他にグラスと氷も添えて、ホットとアイスをお好みでどうぞ。
「楽しそうだったけれど、みんなで何のお話をしていたのだい?」
「父様のバラのことで相談してたの」
「ああ、あのことか…」
"あのことか”と彼が言うのなら、これは秘密の相談ではないらしい。
「私は気にしていなかったのだけど、みんなが植えたいというのでね。それなら本職の人に聞いてみては、と言ったのだよ」

事の発端は、あかねと一緒にバラの手入れをしていた時。
どうして父さまのバラはないの?とまゆきが気付いたことから始まる。
あかねのためにアイスバーグを植え、そこから家族のバラが増えて行ったのに肝心の友雅だけがそこにない。
「確かに不自然ですよねって私も思って。だから、もう一株この庭に植えようかって」
妻と子どもたちにそこまで言われたら、友雅もスルー出来る訳がない。
「今回もいくつか見繕ってくれるかい。私は花に関しては詳しくないから」
「わっかりました。でもー…一応希望とか聞かせてもらいますんで」
イノリはリュックの中からメモ帳を取り出し、ボールペンの頭をカチッと押した。
「何色が良いっすか?」
「別に希望はないけれど、他のバラを打ち消さない色が良いね」
-----やはり淡い色か。
「花の大きさはどれくらいで?」
「主張しすぎては困るから、せいぜいあかねのバラくらいの大きさかな」
-----中輪程度の花、だな。
「花の形ってどんなのが良いっすか」
オーソドックスな剣弁高芯咲き、丸みをおびたカップ咲き、花弁の多いロゼット咲きに一重咲き…等、種類は豊富。
「説明されてもねえ…。みんなが決めてくれないかい?」
「だめよ、父様のバラなのよ。父様が気に入ったものじゃないと意味がないわ」
やれやれ大変なことを引き受けてしまった。
自分が彼女たちのためにバラを選んだときは、悩んだりするのも楽しかったものだけれど。
「そんなに困らせちゃ気の毒だって」
すかさずイノリが助け舟を出した。
「ちょっと情報は少ないっすけど、帰って良さげな品種調べてメールしますよ」
メールなら写真や情報も一度に確認出来るし、誰が見ても分かりやすい。
あとは、契約している育種家や農家に在庫があるか、の確認。これは品種が決まってから。
「植えられるのはいつになりそう?」
「そうだなあ、遅くても6月の頭がギリギリかなー。梅雨に入るとカビとか病気が心配だし」
となると、決める時間はそう長く残っていない。
早いうちに品種を決め、発注して、そして植えて…と忙しくなりそうだ。
「じゃ、俺は急いで帰るわ。早ければ今日中に何とかメールするんで!」
「よろしくね、いつもありがとう」
クッキーを小袋に入れて手土産に持たせ、あかねたちはイノリを玄関まで出て見送った。


------その日の夜。
「うわ、イノリくん仕事早いなー!」
ベッドの上に寝転がり、タブレットでメールをチェックしたあかねが声を上げた。
子どもたちにはとても見せられない、ちょっと気を抜いた格好。
一日の仕事をすべて終え、寝る前のひとときだけはリラックスタイム。すこしくだけたスタイルも、彼の前だけでは許してくれる。
「10種類くらい選んでくれてますよ、ほら」
タブレットの画面を見せるあかねに寄り添うように、友雅もベッドの上に寝転がった。
「いや、すごいね。色も形も今は無限にあるのだね」
ピックアップしてくれたのは、改めて数えてみると約15品種。
適当な友雅の注文にも関わらず、美しいバラをイノリは見繕ってくれた。
それぞれの名前の下には、簡単な説明も記されている。
「目移りしますねー。どれが良いですか?」
「どれと言われても難しいな。皆美しくて逆に決めにくいよ」
彼が言うのも尤も。あかねだって、ここからひとつ選ぶのには時間が掛かる。
おそらく子どもたちも、すぐに決めることは出来ないだろう。
「強いて言うなら、白雪姫に寄り添うに相応しいものが良い」
「どっちの白雪姫ですか?」
「誘導するのが上手いね。教えてさしあげるしかないか」
タブレットに添えられた指先をなぞり、吐息を感じるまで顔と顔の距離を狭めて。
モニタに映るバラの写真からは、甘く華やかな香りが漂ってきそう。
だけど、どんなに素晴らしい芳香よりも、重なる唇から溢れる甘美な香りには絶対敵わない。





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