バレンタインが数日後に迫った週末。
ショッピングセンターのテナントは、どこもかしこもチョコレートなどが並んでいる。
「良かったね、売り切れていなくて」
「ホント、ギリギリ間に合った〜!」
会計を済ませて戻って来たあかねは、お目当てのチョコが入った紙袋を大事に抱えていた。
仕事場で食べたあのチョコは人気商品で、既に在庫も残り少なくなかったが無事に手に入れることが出来た。
「美味しかったんですよ、これ。友雅さんも気に入ると思います」
「天使様が口移しで食べさせてくれるのなら、更に美味しくなるだろうね」
他人の様子まで目に入らないほど混雑しているからって、耳元でそんなこと言われたら暖房がキツくなくても顔が赤くなる。
軽く肘をつついてチョコレート売り場を出たら、食料品店で来週分の買い出し。
特にバレンタインは何もしないと言ったけれども、美味しいチョコを味わうには美味しい料理やワインもあった方が良い。
出張が多い彼に栄養をつけてもらいたいし、少し良い肉でステーキなんか焼いてみようか。
「14日は平日だろう。あかねもその日は仕事なのだから手抜きしなさい」
マンションのフロントサービスを使えば、ホテルやレストランのオーダーが出来る。
帰宅してから手の込んだ料理を作るとなると、疲れた身体を休める時間も取れない。
「普段家事をしている分、そういう時こそ楽をして良いんだよ」
「はい、そうします」
あかねは素直にうなづいて、友雅の腕に手を絡ませた。
彼のこんな気遣いが嬉しい。自分が当たり前のようにやっていることも、しっかり見ていてくれるのが分かる。
だから、甘えても良いときは遠慮なく甘えさせてもらう。
無理に頑張りすぎなくても、彼はちゃんと評価してくれるから。
「ワインは友雅さんの好きなもの、買って良いですよ」
「それは嬉しいな。では、あかねが悪酔いしない程度のものから探そう」
度数はあまり高くなく、フルーティーで軽めの口当たりのフルボトル。
好きなものを選んで良いと言ったのに、友雅はまずあかねの好みを基準に考える。
二人で乾杯する飲むワインは、二人の口に合うものでなければならないと。本当は辛口が好みなのに。

食料品と一緒に、天使の名が付いた輸入ワインを購入した。
特にネーミングが気に入ったと、彼は即決だった。
コーヒースタンドでドリンクをオーダーしている時、友雅のスマホが着信音を鳴らした。
ディスプレイに表示された番号と名前は、整形外科長。
何となく気が進まなかったが無視するわけにも行かず、渋々向こうの声に耳を傾ける。
エスプレッソとキャラメルラテを受け取り、あかねが友雅の元にやって来た。
「やれやれ…来週の九州遠征の前に、もうひとつ手術のヘルプが入ってしまったよ」
「え、急にですか!?」
しかも14日。バレンタインデー当日とはツイていない。
ただ、隣町の病院なので日帰り出来るのが不幸中の幸いだろうか。
どこの地域も医師不足で手が足りない。簡単な手術でもヘルプが必要なところは数多い。
「日帰りって言っても16日から九州でしょう。大丈夫なんですか?」
「代わりに15日は休みをもらった。1日休んで、16日は病院に寄らないで直接空港に行くよ」
「なら良いですけど…あまり無理しないで下さいね」
これまでと違い九州は移動時間も長いので、その分の疲労も蓄積しないか心配ではある。
3月にまとまった休みを取れる約束になっているが、それまでの間少しでもリラックスした時間を作ってあげたい。
「14日は、帰宅したあとを楽しみに頑張るよ」
友雅はそう言って、あかねの肩を抱き店を出た。


+++++


「しかし気が利かないわよねえ科長も」
2月14日のランチタイム。同僚と久しぶりに食堂での昼食。
急に出張要請が下った友雅の話を聞いて、彼女たちも同情しかなかった。
恋人同士(厳密には夫婦だが)のバレンタインデーは特別な日なのに、よりによって出張をさせるなんて空気が読めないったら。
「アンタたちが甘々だから僻んでるのよきっと」
「いや、申し訳ないって何度も謝ってくれたから…」
友雅だけじゃなくあかねにまで、土下座する勢いで謝罪された。
次の日に休みを取って構わないと科長が言ったので、罪悪感を抱いているようだった。
11時頃メールが届き、隣町の病院に到着したとのこと。
午後2時から執刀で、予定では1時間くらいで終了できる内容らしい。
「手術が終わって病院を出たら、また連絡くれるみたい」
「はあ、相変わらずマメねえ先生」
ディナー用のケータリングが届く時間もあるし、到着時間が読めないと何かと不便なのだ。
ワインとチョコレートを冷やしておいたり、それくらいは自分でやらなければならないし。

「腹へったー!」
およそバレンタインとは縁遠そうな声が、食堂に響くと共に森村が姿を現した。
「お疲れさま。橘先生いないから大変でしょ」
「こういう時に限って外来さん多いんだよなあ、何故か」
重篤な患者がいないだけマシだが、友雅と比べたら経験値が浅い分神経も使う。
「じゃ、頑張ってくれてる天真くんにご褒美」
唐突にあかねから差し出された、赤くて小さな紙袋。
もしかするともしかして、これは2月14日に男たちが意識する例のもの?
「今月は出張多くて色々迷惑かけちゃってるし、友雅さんからのお詫びも兼ねてね」
正確には、あかねと友雅からのプレゼント。
これくらいのことしか出来ないが、せめて甘いもので疲れを取ってくれとメッセージ付きで。
「サンキュー。先生にもお礼言っといて」
それから…とあかねは続けて、今度はブルーの紙袋を差し出した。
「こっちは医局のみんなにって。天真くんだけは特別なんだよ?義理だけど」
わざわざ言わなくても分かる。でもまあ、特別扱いされてると思うと悪い気はしない。

あかねのスマホが、軽やかな音を立てた。
「打ち合わせが終わったって。予定通りみたい」
「そう、良かったじゃない。今夜はどこか食事にでも行くの?」
「ううん、レストランのケータリング頼んで楽をします」
丁度バレンタイン限定オードブルなんてものがあったので、それをいくつかオーダーした。
サラダやマリネの盛り合わせに、国産和牛ローストビーフ。オマール海老のビスクに、小さめのマルゲリータとデザートピザ。
メインは料理ではなく、先週買ったあのチョコレート。そして、天使の名前のフルーティーなワイン。
仕事を終えた日の夜は食事に出掛けるより、気を使わずに済む我が家で羽を伸ばすのが一番。
美味しいものを取り揃えて、大切な人と二人で過ごすバレンタインデー・ナイト。
「なので今日はきっちり定時で帰りますから!」
「分かってるって。引き止めたりしたら、後で先生に怒られちゃう」
口にはしないけれど、こう見えて実はみんな今夜の予定は決まっている。
大切な人がいるならば、こんな日は誰だって一緒に過ごしたい。
チョコレートよりも甘い時間を思い描きつつ、終業時間までもうひと頑張りだ。







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2月の薔薇 page02