バレンタインデーが近付いているせいで、町中は甘いチョコの香りが漂っている。
毎年色鮮やかなパッテージと品揃えが並ぶ百貨店や洋菓子店。しかしここ数年は若干流れが変わって来ていた。
今年もナースステーションに貼り出されている『義理チョコ終了しました』の紙。
義理チョコという習慣が世間的にも薄れ、女性がカゴいっぱいのチョコレートを買い込む姿は減った。
しかし、だからと言って女性客が少なくなったわけではなく、むしろ増えたという声も多く聞かれる。
つまりはバレンタインチョコの購入理由が変わったということ。
自分へのご褒美と称してリッチなチョコを買ってみたり、友達同士でチョコスイーツを楽しんだり。
現代のバレンタインとは、女性自身が楽しむためのイベントに変わりつつある。
「今回は結構予算が集まったので、何とマルコリーニを選んできましたー!」
「きゃー!すごいすごい!」
「更に!エルメのマカロンセットもありまーす!」
「マジで!サイコー!」
休憩時間のナースステーションに、賑やかな声が響き渡る。
テーブルに並ぶ洒落たパッケージの箱は、有名ショコラティエの高級チョコばかり。
毎年みんなで資金を出し合って、バレンタインにはとっておきのチョコを買って来るのが彼女たちの習わし。
普段は滅多に味わえないブランドチョコも、この時期はお得な詰め合わせが多いのが良い。
しばらくの間は美味しいチョコが、彼女たちの仕事の疲れを癒してくれるだろう。

-------と、その一方で男性陣はというと。
「まあ見方を変えれば、こちらとしても好都合だよ」
およそ90%が男性で占められている医局でも、この時期はバレンタインの話題が多い。
ただしナースステーションとは違い、"もらう側”としての見解が殆どだ。
男性医師の既婚者率は60%ほど。40%に入る者も過半数は相手がいる(らしい、多分)。
「義理とは言ったって、もらったらお返ししないとって思うじゃん。そういうの面倒だし、なくなってくれた方が楽だよ」
「そうそう。気のないプレゼントなんて価値もないしさ」
お中元やお歳暮のように日頃の感謝を込めた意味があるならまだしも、ただ配るだけのチョコなど必要性がない。
2倍返しだ5倍返しだと、むやみにホワイトデーを期待されるのも困る。
ここまでは、相手がいる男性のコメント。
「でも本命っつーか、告られた上でのチョコなら嬉しいもんっしょ?」
「そりゃそうだけども、彼女いる手前上もらえないから断るしかないし」
「うちは娘が何かくれるみたいだから、それでいいや」
正真正銘のシングル男子が同意を求めても、返って来る言葉はこざっぱりしたものばかり。
どれも正論には間違いないが、告白される可能性がない男のバレンタインは寒々しい。
「だったら、そろそろ相手見つけろって」
「簡単に言うなや…」
合コンなどに誘われることも多いが、新人ドクターの肩書きがまだ取れない身分の森村。
プライベートの時間を増やす余裕は皆無。参加しても次に発展しそうな出会いはない。
同級生の既婚率が過半数を超える前には、自分もせめてなんとか…と考えてはいるのだが。

「結婚しちゃったらそれはそれで、味気ないもんよ」
再び場所は変わって、整形外科ナースステーション。
午後1時半。休憩室で持参した昼食を囲みながら、ナースやドクターたちは疲労を和らげる。
「新婚1年目までよ、そんなバレンタインで浮かれてたのは」
彼女の発言にうなづく既婚者ナース。
ここでもバレンタインの甘い雰囲気を感じさせる話は出そうにない。
結婚して間もない頃は恋人気分が維持出来ていたが、しばらくすると日常生活という現実が見えてくる。
やがて気持ちは徐々に冷静さを保つようになり、シビアな目が養われていく。
「でも、結婚して数年経つのにイチャついてるヤツもいるじゃないっすか!」
「ああ…」
名前を出さなくても全員が同じ顔を頭に描く。
丁度昼食を買いに行っているナースと、昨日から出張中の整形外科医。
「あの二人は普通じゃないから」
バレンタインは毎年ちょっと良いチョコを二人で選び、一緒に味わうのが恒例。
ひと月後のホワイトデーも同じで、その日はあかねが好きなケーキを買って食べるらしい。
とか言いながら、去年は友雅からブーツをプレゼントされたとの話も。
「どんだけマメなんスか先生」
こんな調子だから、今年も何か考えているんじゃないかと思う。
とにかくあかねを驚かせること…からの喜ばせることにぬかりがない人だから。

「期待を裏切るようで申し訳ないですが、今年は何もないですよ」
雑談に花が咲いている休憩室に、コンビニの買い物袋を手にしたあかねが入って来た。
「出張に行く前に念を押しておいたので、去年みたいなことはないと思います」
「何でよー。せっかくお強請り出来るチャンスじゃない」
「だって…」
誕生日やクリスマスならプレゼントをもらう理由があるけれど、日本のバレンタインは『女→男』が基本ルール。
だから自分が贈り物をもらう理由はないし、お強請りなんてもってのほか。
共働きなのだから、欲しいものは自らの収入で買えば良いこと。
「もったいないなー。先生なら何でも買ってくれるでしょうに」
「ダメです。経済観念はしっかりしないと」
これといった趣味も物欲もなく、それでいて十分な収入を得ているためか、彼の金銭感覚は世間一般の常識とかなりズレがある。
普通なら躊躇する金額の品物も気軽に買ってしまうので、こちらが時々歯止めをしてあげなければ、とあかねは主張する。
「おまえ、意外とかかあ天下なのな…」
「あんまりケチケチするのもだけど、締める所は締めるようにしなきゃでしょ」
勤務姿勢もさることならが、プライベートも彼女は超真面目。
楽天的な友雅とはまるで正反対で、よくよく不思議なカップルだなと思う。
いや、正反対だから逆に合うのだろうか。
森村はかかあ天下と言ったが恐妻ではないし、友雅は誰も異論がない(極度の)愛妻家だし。
「そういうわけで、バレンタインにもらうプレゼントはないですよー」
ソファに座り、マイボトルのほうじ茶で喉を潤してから、一階のベーカリーで買って来たサンドイッチをほおばる。
そしてテーブルの上に置かれたチョコを1個つまみ、口の中に入れた。
「あ、美味しいですねこれ」
「でしょ。新作アソートだって」
甘さ控えめなビターチョコに、ハーブのような香りと柑橘系のコンポートがマッチする。
女性はもちろん、男性にも喜ばれそうな味だ。
「出張から帰ったら一緒にチョコ買いに行く予定なんですけど、うちもこれにしようかな」
ふとした会話の中に二人の関係が見えて来る。
何のかんの言っても相変わらず。仲良くて結構なことで。
「でも、今月は先生忙しいでしょ。出張が多くて」
泊まりがけの仕事は滅多にないのだが、今月は系列病院で手術予定が相次いだ為ヘルプの要請があった。
昨日から隣県の病院へ。来週は九州での手術予定が入っている。
マスコミに登場することはなくとも彼の技術は業界で有名で、直接指名してくることも多い。
以前は引き抜きの話もあったようだ。給与や待遇だけではない好条件のオプションを提示されたりもした。
「今のままが気楽で良いし、出世欲はないからって断ったんですって」
「あ、そう…」
彼は出世にこだわる性格ではないので、そういう誘いを払い除けることは納得出来る。
しかし"今のまま"が良いという理由は…。
この病院から移りたくないと言う彼の理由の大半は…。

------きっとあかねがここにいるから、なんだろうなあ。

愛妻家、ここに極まれり。







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