午後5時。インターチェンジに立寄り、あかねにメールを入れた。
今日の予定は無事終了。今いる場所と何時くらいに帰宅出来るかを伝えた。
渋滞はそれほどでもないし、多分遅くても7時前には家に着ける。
後部座席には仕事用のバッグと、黒い紙袋が置いてある。中身はチョコレートだ。
義理チョコという存在が廃れて来ているとはいえ、社内でチョコを配る習慣は完全に終わってはいない。
わざわざ遠くからヘルプに来てくれたお礼も兼ねて、ということで病院名義で手土産として渡された。
お返しは必要ないですから、と言っていたが…さてどうするか。
あかねは多分、お礼状だけでも出した方が良いと言うだろう。

バレンタインのチョコレート。
本命なのか義理なのか分からないが、これまでに随分と貰った記憶だけはある。
しかし印象に残っているものは殆どない。パッと見で高級そうな気がしても、友雅にとっては単なるチョコという菓子に過ぎなかった。
そんな中で、今もはっきりと覚えているものは------
初めてくれたのは確か、オレンジの手作りチョコだったな。
輪切りにしたオレンジのシロップ煮に、ビターチョコを絡めたもの。オレンジとチョコのほろ苦さが、不思議と後引く味だった。
しばらくして同じようなチョコを町で見かけ、オランジェットと呼ばれるものだと知った。
その頃ようやくお互いを特別に思っていることを自覚し、改めて二人の距離が狭まったような気がする。
いつから彼女を特別に感じていたのか、そこまではまったく分からないけれど…。
でも、意外とそんなものかもしれない。
知らず知らずのうちに相手の心の中に住み着いて、気付いたときには後戻りも出来ないほど重傷で。
恋の病は医者でも治せないというフレーズもあるし、それなら私もお手上げだね、と友雅はくすっと笑った。


『あと20分くらいで着くよ』
届いたケータリングの料理を盛り付けていると、スマホに友雅からのメッセージ。
時刻は6時半近い。となるとやっぱり7時くらいかな、とあかねはグラスを二つ取り出した。
寒いから暖かいものも欲しいだろうと、簡単なポタージュスープは作っておいた。
それ以外は外部にお任せしたので、手間はまったく掛かっていない。
「あれ?」
続けてもうひとつ、メッセージの着信音が。
『ケータリングとは別に届け物があると思うから、受け取っておいてね』
届け物って何だろう。出先からのお土産?
いや、出張は車で出掛けているから、よほどの大きさでなければ積んで帰れるだろう。
そこまで考えて、あかねの脳裏に浮かんだこと。まさか、プレゼントとか買ったんじゃ…!?
今年はいらないですからねって何度も念を押したのに、もう忘れてしまってる?
贈り物されるのは嬉しいけれど、そう度々お金を使わせたくないのに。
モヤモヤしながらスープをかき混ぜていると、インターホンにフロントからのメッセージが入った。
『橘様、生花店の方がお品物をお届けにいらしております』
「は、生花店ですか?」
聞き返して、さっきスマホに届いた友雅のメールを思い出す。届け物って、この花のことか?
数分後、改めて生花店の店員が部屋のインターホンを鳴らした。
「こんばんわー。お花をお届けに伺いました」
店員は光沢のある真っ白な箱を、あかねに確実に手渡した。
透明な小窓から覗いた中身は、カサブランカを使った小ぶりのアレンジメントだった。
荘厳な雰囲気があるカサブランカだが、涼しげなブルーの花と明るいグリーンでまとめられていて愛らしいイメージ。
どうしたんだろう、これ。私にプレゼントのつもりなのかな…。
とにかく、彼が帰ったら理由をしっかり聞き出すべきだろう。

それから15分ほど過ぎただろうか。インターホンが鳴り、ようやく家人が帰宅した。
「ただいま。隣町とはいえ、やっぱり出張は疲れるね」
「おかえりなさい。ディナーの支度は完璧に仕上がっていますよ」
出迎えはいつも通りに、笑顔で。
コートとマフラーを玄関のクローゼットにしまい、リビングに行くとテーブルの上はオードブルが所狭しと並んでいた。
シルバーのワインクーラーに、天使のボトル。グラスはカジュアルにタンブラー型を。
メインディッシュのチョコレートは、ひんやりした大理石のプレートに鎮座している。
そして…カウンターの上に箱のまま置かれているカサブランカ。
「ああ、届いたのだね」
彼が箱から取り出すと、甘い香りが部屋の中にこぼれ出す。さすが"ユリの女王"と呼ばれるに相応しい優雅な風貌と香り。
「友雅さん、私言いましたよね?今年はプレゼントはいらないって」
「そういう約束だったね」
「じゃあ、このお花はどういう意味があるんですか?」
約束を覚えているのなら、プレゼントを選ぶ必要もない。
それでいて何故、彼はこの花を購入したのか。理由を教えてもらいたい。
「これは演出用の小道具のつもりで頼んだんだよ」
「小道具〜?」
演出とか小道具とかって、まさか舞台に上がって演劇でも始めるのか?
ぽかんとしているあかねを尻目に、友雅はその花をテーブルの中央に移動させた。
「バレンタインディナーだろう。花があれば華やかになると思ってね」
有名店のオードブル、リッチなチョコレート、冷えたワイン、とこれだけで十分だけれど、更に目を楽しませるとしたら花だ。
溢れるほどの花をあしらったゴージャスなものでなく、添える程度の大きさで。でも存在感を表せるものを選んだ結果がこれだった。
「じゃあ、私へのプレゼントって訳じゃないんですね?」
「違う違う。今年は何も買わないって」
約束だからね、とにっこり友雅は微笑む。
うーん、少し引っかかるところもあるけれど、まあそう言うのなら今回はスルーにしよう。
彼が言う通り、テーブルに花が置かれたとたんに華やいだのは間違いないから。

「それじゃ、早くディナー始めましょ。外は寒かったから、最初は暖かいスープで…」
コトコト弱火にかけていたポタージュを、カップに注ごうとキッチン側に回ろうと背を向けたあかねの肩を、友雅が軽く指でつついた。
「理由があればプレゼントは構わないんだったよね?」
振り向いた瞬間、目の前にあったのは一輪の赤いバラ。
ベルベットのようになめらかな花弁のバラを、たった一本だけ透明のセロファンでくるみリボンを結んだだけ。
「バレンタインの風習は色々あるのだね。フラワーバレンタインっていうのかな?男から花を贈るのだそうだ」
商魂逞しい業界は、理由を見つけ出してはイベントに絡めてくる。
女性から男性にチョコを贈る習慣も、元は菓子業界が仕掛けたものだったと聞くし、フラワーバレンタインというのも聞いたことはある。
「約束は破っていないよね?」
友雅は自信を持って笑みを浮かべた。

本当ならば抱えきれないくらいの、たくさんのバラの花束でも構わなかった。
でも、気持ちそのものを伝えるには、本数は何本あろうと関係ない。
だから敢えてこの一輪に、彼女に伝えたい言葉を詰め込んで贈ろうと思った。


  
私にはあなたしかいない。
  あなただけを愛しています。


あかねの足元に跪き、一輪のバラに込めたその言葉を告げた。
「どうか私の気持ちを受け取って頂けませんか?」
彼女を見上げ、両手を添えて花を差し出した。







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2月の薔薇 page03