バレンタインは2月14日。
それより前の2月10日------土曜日。
外来診療が休みなので平日ほどの忙しさはないが、院内診療やら会議やらで慌ただしさは常にある。
「森村くん、ランチ一緒にどうだい?」
何の前触れもなく、友雅から昼食の誘いを受けた。
"奢るから"という魅力的な言葉に引き寄せられ、院内のレストランに連れて行かれた。
「働き盛り食べ盛りは、しっかり栄養摂ってもらわないとね」
「遠慮なくいただきまっす!」
ビュッフェから持って来た山盛りのプレートを前に、さっそく森村は消費に取りかかる。
唐揚げやステーキを昼間からよく食べられるなと関心しつつ、それもまた元気の証拠だと友雅は微笑ましく思った。

「で、食事中に申し訳ないんだが-----」
フロア内をさっと見渡して、内ポケットに手を入れる。
ライスをかっ込む森村の前に、彼は赤い箱をすっと差し出した。窓際に向けて、周囲から出来るだけ死角になるように。
「あかねからの貢ぎ物だよ。義理だけどね」
やけに"義理"の部分を強調したような気が。
「義理チョコは禁止されたらしいから、これは周りに秘密だよ。彼女曰く、義理じゃなくて労いチョコだそうだ」
名称なんか、どうでも良い。
バレンタインにチョコがゼロじゃなかった。それだけが森村にとって重要だった。
「ありがとうございますうううう!あかねにくれぐれも礼言っといてください!!」
森村はチョコを両手で丁寧に扱い、上着から隠れるパンツのポケットにしまい込んだ。
お手頃価格のチョコレートが、こんなに後生大事に扱われるとは。
企業の商売に乗せられているだけのイベントかと思っていたが、これで機嫌が良くなる人がいるならまあ乗せられても良いだろう。
「どうせなら本命チョコの方が欲しいだろうに。出会いの場に行ったりしないのかい?」
合コンやら婚活パーティーやら、チャンスはあちこちにある。
職業が医師となれば、引く手数多だと聞いたことはあるが。
「ああいうのって、医者=高収入って思われがちなんですよ。そういうの期待されると困るじゃないっすか」
言われるとおり、医師の収入はピンからキリまでと幅が広すぎる。
こちらにも色々と事情があるので、イメージだけで高収入と決めつけられるのは辛い。
「若いし仕事も熱心だし見た目も良いのに、まだ一人だなんて勿体ないね」
「はあ」
何を言っているんだ、この人は…という反応を森村はした。
医者という肩書きとはかけ離れたビジュアルの友雅に、外見を褒められたところで微妙な気持ちにしかならない。

と、若い女性が三人そろってテーブルに近付いて来た。
彼女たちは…外来レセプトのスタッフだったっけ?
「あのー、バレンタインのチョコ受け取ってもらえませんかっ!?」
手にしていた赤い紙バッグを、友雅の目の前に差し出す。
中身は間違いなくチョコレートで、見た感じ1個や2個ではなさそうだ。
院内全体が義理チョコ禁止というわけではないので、堂々とこんな風に持って来る人もまだいるということか。
「ありがとう。天使様からの頂きものを楽しんだあとに、味わわせてもらうね」
「はーい、わかってます!ご一緒に召し上がってどうぞ!」
チョコを贈る彼女たちも、友雅の状況はしっかりと把握している。
まあ、この院内で知らない人はおそらくいないだろう。スタッフのみならず、入院患者や外来患者さえも。
患者や家族から品物を受け取るのは一切禁止だが、もし許可されていたら両手に抱えきれないほどチョコを貰うんだろうな、と友雅を見て森村は思う。

そんな彼に、まさかのサプライズがやって来た。
「それと…これ、森村先生に!」
水色のラッピングペーパー、イエローのリボン。
もしかして、(義理)チョコレート!?
「良かったね。さすが森村くん」
どこが"さすが"なのか分からないが、そんなことどうでも良い。
ゼロだと思っていたものが、1どころか2になるなんて誰が予想していたことか!
「大事に食べさせて頂きますっっ!」
「いえ、トリュフチョコなので出来るだけ早めに食べた方がいいですよ」
彼女たちのアドバイスの甲斐もなく、ひとつずつ丁寧に噛み締めながら味わう彼の姿が目に浮かんだ。


+++++


適度に暖まった室内で、適度に冷やした赤ワインのボトル。
音を立ててコルク栓が外され、小さめのグラスにまずは三分の一くらいを注ぐ。
「なんだぁ、それなら私が用意しなくても良かったですね」
森村の話を伝えると、笑いながらあかねが言った。
大きめの皿をテーブルに二枚。
ひとつめはカマンベールや生ハムを並べて、バスケットにクラッカーも添えて。
そして今夜のメインディッシュは、もう一枚の皿の上。
宝石みたいな一粒チョコは、褐色だったりミルク色だったりとカラフル。グリーンは抹茶かピスタチオ?
「こうして見ると、意外にチョコは表情が豊かなのだね」
「そうですよー。見た目や製法だけじゃなく、豆の生産地で味も違うって言いますし」
味や風味が変化する条件は、数えきれないほど存在する。
突き詰めていくほど、チョコレートというものは奥深い。
あかねに勧められたビターショコラをひとかじりして、グラスの赤ワインを少し口へ。
「なるほど、結構良いね」
雑誌やネットで、ワインに合うタイプのチョコを調べたらしい。
ちなみにあかねは、デカフェのブラックコーヒーをお伴にチョコを手にする。

「しかし、冷蔵庫に空きスペースが出来るのはいつになるだろうね?」
彼女が買って来たチョコレートたちは、冷蔵庫内の一部を占拠している。
友雅から見れば半年〜一年分くらいに思えるが、実際はもっと早く消費されるのだと思う。
「私の買った分だけじゃなく、友雅さんがもらった分も加わったから多く見えるんですよ」
義理チョコ禁止令も空しく、彼は紙袋いっぱいのチョコレートを手に帰って来た。
妻帯者であってもおかまい無し。
患者からも申し出があったと噂だが、そこは規則なので拒否するしかない。
「スタッフからの分も、私は断っても良かったんだが…天使様が慈愛に満ち溢れたことを言うものだから」
「せっかくのご好意を無下にしちゃ、ばちがあたります」
好意というものが果たしてどれほどなのか、それは送り主だけが知り得ること。
だが、友雅のためにチョコを選んでくれた行為を、ぞんざいに扱うのはやはり失礼だから受け取るように、とあかねは言う。
チョコレートは有名メーカーの、ポピュラーなギフトがほとんど。
わざと女性らしいパッケージが多いのは、友雅と一緒に味わう人のことも考慮したのかも。
「可愛いですねー。やっぱりバレンタインって、女の子向けのイベントですよね」
店に並ぶチョコのデザインや、ラッピングを見てもあきらかに女性が好みそうなもの。
同性で贈り合う友チョコ、自分のご褒美としての自分チョコにぴったりの華やかさが目を惹き付ける。
「海外では男女問わず贈り合うからね。物もチョコに限らないし」
「平等で良いですよね、その方が」
そう言ってひとかじりしたチョコをあかねが差し出すと、友雅はそれを口で受け取る。
とろりとしたカシスジュレが、甘酸っぱさとカカオの苦みと混じり風味豊かだ。

「あれ?」
部屋の中にインターホンの音が響く。
赤いボタンが点滅しているのは、1階フロントのコンシェルジュからの連絡ということ。
『失礼致します。宅配便の方がお荷物を届けにいらっしゃっておりますが』
宅配便…?何か頼んでいたっけ?と記憶を巡らせていると、背後から友雅がスピーカーに向けて言った。
「送り先を教えてくれるかな」
コンシェルジュは伝票を確認し、送り主の会社名を告げる。
「分かった。今から受け取りに下りるから待ってもらって」
「友雅さん、何か買い物したんですか?」
あかねの問いに"ちょっとしたものをね"と答えた友雅は、印鑑を受け取り出掛けて行った。







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