天然恋愛のススメ

 003
「友雅殿………」
顔を上げると、庭の池の畔には友雅が立っていた。そして、彼は何故か何も言わずに、笑みを浮かべながら頼久を手招きしている。人差し指を口に当て、音を立てずに、静かに、と念を押しながら。
妙な感じがしたが、辺りには誰もいないし。頼久は黙って足音を忍ばせながら、友雅の方へと歩いていった。
「どうなされたんですか、友雅殿…何か鬼に動きでもありましたか?」
近寄ったとたんの頼久の一声に、友雅は声を殺すようにして笑った。

「本当に君は……八葉のことで頭がいっぱいなんだねぇ……」
その言葉に、どこか皮肉のようなものも感じたし、反対に何かぎくしゃくした感じが受け取れたのだが、その理由もはっきりしなかったので、頼久は何も言わなかった。
友雅は頼久の様子を伺ってから、彼を門の方へと進ませる。
「まあ、ちょっと場所を移そう。ここでは話し声が、神子殿に聞こえてしまうかもしれないからね。」
あかねには聞かれて困るような内容の話なのだろうか?
鬼の問題か?それとも内裏や京での問題だろうか。
取り敢えず頼久は、友雅に進められるままに門の外へと向かった。


■■■




まださほど道が賑わう時間ではないらしく、門の外はあまり人の気配もなかった。
「元気がないねぇ?いつもならわずかな隙さえもない頼久が、今はどこから鬼達が襲ってきてもおかしくないくらい隙だらけだよ?」
友雅の声がする。川沿いの枝下柳が、地に着きそうなほどに延びている。
「自分の未熟さに…呆れます」
頼久は自分の手のひらで頭を抱えながら、友雅から顔を反らした。
「神子殿のことかい」
そう友雅に尋ねられたが、何も答えなかった。おそらく彼のことであるから、何も言わなくてもきっとこちらの状況を読みとっているに違いない。

「……神子殿も、君のことを心配しているのだよ。もっと気楽に構えなさい」
ぽん、と扇で肩を叩かれた。
「だからこそ、心苦しいのです。いつも神子殿は私のことを考えて下さるというのに、今日も神子殿のお気持ちを害してしまいました。そんな細やかな配慮を気づけない私は……やはり未熟すぎるのではないでしょうか…」
と、頼久が言うと、さっきと同じように友雅は扇で彼の肩を、とんとん、と何度か叩いた。
「困った男だねえ?女性の気持ちも、少しくらい察してあげることだよ。君が未熟なのは、そういうところだ」
牛車の往来が、さっきよりも多くなってきた。時間が昼ごろに達したらしい。
野菜売りの商人たちの行き来も増えた。いささか、立ち話をするのにはふさわしくなくなった。
「何度も悪いね。場所移動しようか。そろそろ屋敷の方へ戻ろう。歩きながら、話そうか」
友雅は往来の人混みをするりと抜けるように歩きながら、頼久よりも先に進んだ。

「神子殿に、直接聞いてみたらどうだい?君が未熟なのは、どんなところなのか。」
土御門の前に来て、友雅が振り返って頼久に言った。
しかし……あんなに機嫌を損ねてしまった手前、あかねに逢うことがなんとなく気まずい。もしもまた、何か手違いを起こしてしまったら、どうすればいい?そう思うと足が進まない。
そんな頼久を、友雅は笑いながら見ていた。
「純粋なのも時にはいいけれど、君は少し過度過ぎる。神子殿が君を見る目の意味も、ちょっと察してごらん。」
「神子殿の…目?」
あの澄んだ瞳。幾つもの星のかけらを集めたような瞳。吸い込まれそうな彼女の瞳。その意味。
「……遠回しに言うのは、君には逆効果かもしれない」
友雅は、作戦を変えることにした。

「単刀直入に聞こう。頼久、君は恋をしたことがないのか?」
「は?」
いきなり、何の脈絡もなく、友雅が出した質問に頼久はあっけに取られた。
「どうなんだい?どこかの姫君と恋に落ちたとか、恋い焦がれたとか、そんなことは今までなかったのかい?」
恋。好きだと思った相手。愛した女性。人を愛すること。他人を愛すること。そんな記憶………。

「まあ、君を見ていれば分かる。たとえあったとしても、そう多くはないだろう。だから、未熟なんだよ」
そう言った友雅の言葉は、やや挑戦的な気もしたが間違いでもないから頼久は言い返せない。
「恋をすると、自然に無意識のうちに、恋した相手には必要以上に固執した考えを持ってしまうものさ。たとえ自分ではそう思わなくてもね。……人一倍、その人のことが心配になるとか、他の誰よりも、その人を守ってやろうとか、そんな風に自然に思うようになるもんだよ。でも、頼久はそれを忠誠心と取り間違えているようだ」
忠誠心と、恋心。その違いとは…一体どんなものなんだろう。頼久は考えたが、心に広がった靄は消えない。

「頼久、神子殿は女性だよ。」

その言葉を聞いたとたんに、頼久はどきり、とした。突然に、心臓が一瞬何かに強く捕まれたような、そんな衝撃が身体に走った。

「そして、君は私と同じ、男性だよ」

友雅が一言一言口にするたびに、ぎゅっと締め付けられるような衝撃。この感触は………。
「君だって、気付いているんじゃないのかい?君が彼女にそこまで誠心誠意で命をかけられる意味が。」
神子は…あかねは、自分の主である。そして、京を救う龍神の神子であり…全てにおいてかけがえのない存在であって…………。
「時には忠誠心よりも、恋や愛の方が強い力になることだってあるものだよ?」
かけがえのない存在---------。
失いたくはないから。何故?彼女が龍神の神子であるから?
なら、神子ではなければ、主でなかったら…失ってもいいのか?消えてしまってもいいのか?
目の前で苦しんでいたとしたら、それを見過ごすことが出来るか?

答えは--------------------------------------。





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友雅は屋敷には入らず、そのまま門の外で別れた。
答えは、もう分かっているのだ。あかねが自分にとって、何よりも大切な人であること。
どういう意味で大切なのかも。
ただ、それを……気付いたところで今までと変わった素振りをしなくてはならない、ということもないし。
これから、この想いをどうすればいいのかという答えは、出てこない。
唯一誓えるのは、この刀にかけて彼女をこの手で守り抜こうと……………………………。

!!!!!!。

頼久は焦った。
腰に携えていたはずの刀に手をかけようとすると、そこには鞘ごと消えていて……。
思い出した。ついさっき、あかねが部屋に戻ってしまったあと、廊下に腰掛けていたときに鞘に入ったままで、そのまま置きっぱなしにしてしまっていたのだ。
もしも、誰かにあの刀を盗まれたとしたら?
もしも…鬼の輩が忍び込んで、あの刀を手にしてあかねの部屋に入り込んだとしたら!?
頼久は一心不乱に、庭の方へ走っていった。

刀を置いた場所へ向かった。が、そこには何一つ残っていなかった。
まさか…と、嫌な雑念が頭の中に浮かんでくる。あかねの身に何かあったら!!
「神子殿!!!失礼致します!!!」
頼久はとっさに、あかねの部屋の蔀をこじ開けて、几帳をくぐってあかねのいる間へと入り込んだ。

「……どうしたの、頼久さん」
突然に飛び込んできた頼久の姿に、あかねは呆然として彼の顔を見た。
「あ、あの……妖しいものが…こちらに参ったりはしませんでしたか!?」
「…別に?何もないけど。」
頼久は一旦呼吸を整え、辺りを見渡す。風で少しだけ揺れている几帳と、その流れで部屋を包む梅の香。
一寸分も、普段と変わらない空気。
「……ご無事でなりよりです………」
やっと頼久は、身体の緊張の糸がほどけた。
が、問題は解決していない。刀は、見つかっていない。

「あ、あの…神子殿、廊下の方で、何か見かけませんでしたか?」
あの刀は、元服の時に父から与えられた、頼久の身体の一部と言ってもいいほどの物だ。どんな名刀にも代え難い。
そんな刀が、賊や鬼や怨霊の手にかかって人を傷つけてしまったら…そんなのはやりきれない。
すると、あかねは何も言わずに立ち上がった。そして、屏風の裏から何かを手にして戻ってきた。
「これのこと?」
ずしり、と重い、黒塗りの鞘に入った刀。あかねのような少女では、片手では扱うことなど出来ない。両手でしっかりと抱える。
「あ、有り難うございます…神子殿が取り置きして下さっていたとは……」
ほっとした頼久は、あかねの手の中にある刀に手を伸ばそうとした。
が、その手をあかねが遮る。そして、きっとして頼久の方を見た。あの強い光のある瞳で。

「これは、あたしが預かっておくからね!。しばらくは頼久さんは刀を持っちゃダメ!」
「神子殿何をおっしゃるんですか!!」
まさか、あかねからそんな事を言われるとは思わなかった頼久は、正直言って慌てた。古いとは言えど、常にその刀の手入れを怠ったことなどはない。それだけに、切れ味は鋭いだろうし、もしも手が違ったら彼女の手を傷つけることだってある。慣れていない者が刀を使えば、そんな怪我だって免れない。
あかねを傷つけたとしたら、それこそ悔やんでも悔やみきれないだろう。
しかし、言い返すあかねも真剣そのものだ。
「いつもこんなのを携えているから、仕事のことばっかり考えちゃうんでしょ?刀がなければ、少しは気を緩められるでしょ。だから、しばらくこれはあたしが預かってあげる」
そう言って、あかねは再び頼久の刀を後ろへとしまい込んでしまった。





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Megumi,Ka

suga