天然恋愛のススメ

 002
とは言っても、このまま想いを気づかないままで終わるのも悲しい。
どうにか分かって貰えないものだろうか?あかねは悩んでいた。こんなことを考え出すと、夜も眠れなくなる。困ったものだ。

「神子様?ぼんやりなさって、どうかいたしましたか?」
藤姫が尋ねた。……藤姫に相談しても…なぁ。十歳の少女に恋の相談をするなんて…ちょっと矛先が違いすぎる。
「何だかその表情は…恋に悩む少女のような雰囲気だね?」
艶やかな香りがふわりと漂って、すらりとした長身が藤姫の背後から顔を覗かせた。
「あ、おはようございます、友雅さん…」
「悩んでいることがあるなら、相談にのって差し上げても良いのだけど、どうする?」
しかし、友雅と頼久とでは全くの正反対だし。友雅の助言が彼に通用するとはとても思えない。相談を持ちかけたところで、アドバイスは無意味になってしまうのじゃないだろうか…。
「良いです…自分で考えますよ…」
あかねがため息をつくと、友雅はすぐそばに歩み寄って、隣に腰を下ろして顔を覗く。
「私は神子殿よりも人生の経験は豊富だよ。色々なことも見てきた。鈍感な男に想いを寄せる女性も何人か見てきたから、少しは助言できると思うんだけどねえ?」
「友雅さん……」
ちらっと目線を友雅に向けると、色艶やかに彼は笑った。今日の香りは…白檀が混ざっているらしい。


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すっかり太陽も頭上に上り詰めた頃、町中は一層の盛り上がりを見せていた。牛車の走る道のそばで、畑から刈り取ってきたばかりの野菜や穀物を並べる商い人の声も響く。
「なるほどねぇ。神子殿が想いを寄せる男とは、あの頼久だったのかい…」
京の町へとあかねと共に散歩に出掛けた友雅は、彼女の話を一通り聞いた後、そうつぶやいて天を仰いだ。
「これはまた…難しい相手だ。もしかすると、鬼よりも手強いかもしれないね」
愛用の扇を片手でもてあそびながら、友雅はあかねが募らせる恋心を口の中で言葉として繰り返した。

「それで?神子殿は結局、頼久にどうしてもらいたいのかな?」
畳んだ扇の矛先をあかねの前に向けて、友雅は言った。
「……どうしてもらいたいって言われても…まぁなんて言うかー…ちょっとくらいはねぇ…私の気持ちとか、察してくれないかなって…」
橋のたもとに付くほどの長さに延びた柳の下で、友雅の問いかけにあかねは答えた。
「神子殿の気持ちに頼久が気づいたら…そのあとはどうして欲しいんだい?具体的に教えて貰えないかな?」
「え?具体的に…?」

………さて?自分は頼久に、どうしてもらいたいんだろう?そりゃあ、この恋を受け止めてくれたら、それ以上の幸せはないのだけれど。でも、そんなに恋が上手く行くものじゃないなんてことは、あかねだって十分分かっている。
中学の頃の初恋の先輩だってそうだった。好きだという自分の気持ちを伝えたところで、向こうに他に好きな相手がいたら、そこでゲームは終了だ。

頼久の場合は……どうなのだろう。今まで、恋をしたこととかなかったんだろうか?
頼久くらいの年齢だったら、真剣な恋愛の一つや二つは経験していてもおかしくないのだけれど。でも、だったら少しくらいは女性の気持ちとか、察知する能力があってもいいのに。
「ふふ。神子殿の憧れる恋とはどんなものだろうね?甘くて甘美な恋かな?それとも…身体が燃えるような、熱くて激しい艶やかな恋かな?」
「な、な、なにを言ってるんですかーっ★」
「まあ、そんな恋はまだまだ無理だろうけどね。神子殿にもまだ早すぎるし、それに…頼久が相手では不可能に近い希望だ」
友雅は、そういって目を庭に咲く花へと反らした。
あかねは、今友雅の言った言葉を頭の中で思いめぐらせてみる。
『どんな恋に憧れるのか』。
自分が思い描いているのは、どんな恋愛なんだろう?
年を取るごとに夢のような甘い憧れは消えていったけれど、心のどこかで残っている憧れの色はどんな色だろう。
それは、本当の恋愛をしない限りは分からないのかもしれない。

「いっそのこと、神子殿から迫ってみるのはどうだい?」
「はぁ?」
「女性の方から迫ってみるのも、頼久みたいな生真面目男には良いかも知れないよ」
友雅は、あかねの頬を長い指先で軽くつついて、艶やかに笑った。




■■■




さて、友雅はあんなことを言ったけれど、実際にはどんなことをすれば良いのかなんてあかねには分からない。
だけど頼久に恋している自分の心は、もうごまかせないほど素直にすくすくと育ってしまっている。このままじっと時が過ぎて行く中で、頼久の姿を見ているだけでは…嫌なのだ。

早く自分の生まれ育った世界に帰りたいと、最初の頃はずっと思っていたのに。でも今はそんなことさえ感じなくて、むしろこのままでいられたらと思った。
それがどうしてなのか、もう十分自分でも自覚出来ているし、それを頼久に気付いて貰いたいのだけれど、どうやって気付かせるかが問題だ。

「頼久はひとつのことに集中すると、他が何も見えなくなる男だからねえ……」
そう、友雅の言うとおり、それは良くも悪くも一途すぎる。
出来れば……その一途さを自分へと向けてくれれば良いのに…なんて、都合の良いことを考えたくなる。
図々しいとは思うけれど、それが恋というものなんだろう。

そして、そんな晴れ晴れしない気持ちを抱いたままで、今日も庭先に腰を下ろして頼久を眺めている。
「神子殿…そのようにじっと見つめられては…集中できませんよ」
飛び散る汗をぬぐいながら、頼久は苦笑する。
「あ…迷惑だったかな…?」
あかねは少し申し訳なさそうに、その場から立ち上がって部屋の中へと入ろうと思ったが、それを慌てて頼久が呼び止めた。
「いえ!あの…迷惑とか、そういうわけではございません!誤解なさらないでください!!」
振り返ると、すぐそばに頼久は駆け寄って来て、あかねに触れる一歩手前で延ばした手を止めた。
「でも、頼久さんが集中できなくちゃ、稽古の邪魔になるだけじゃない?」
「い、いえ…あの…邪魔などとは決して思っておりません!ましてやこの剣の力は全て、神子殿のために蓄えた力でございます。」
真面目すぎる答えを、迷わず口にする頼久の前であかねは小さくためいきをつく。
どうして、そう堅い考えしか言ってくれないんだろうなぁ…。私のためにと言っても……この戦いが終わったら、私はそれまでと同じ、ただの普通の女の子に戻っちゃうわけで。そうしたらその力だって、頼久さんは私のためには使ってくれない……のかな。
そう考えたら、何となく気持ちが沈んできた。

「申し訳ございません………」
頼久は急にあかねの足下に跪き、目を伏せて頭を下げた。
「ど、どうしたの…いきなり……?」
あかねは慌てた。そりゃそうだ。大の男がこんな少女にひざまづくなんて、現代だったらなんだか異様だ。
「神子殿のお気持ちを害するような発言をしてしまうとは…私の未熟な感情の為でしょう。申し訳ありません…」
きっと、本心からそんなことを言っているんだろうな。頼久さんは嘘というものを絶対言わない人だから、本当に私に対して、申し訳なく思っているんだな……。頼久の姿を見下ろしながら、あかねはぼんやりと思った。
「神子殿のお気が済むまで、この頼久を自由にお使いください。何なりとお仕え致します」
「え?ちょっと待ってよ、そんなことしなくたって良いよ!」
「しかし、神子殿に無礼を働いてしまったことは、八葉としてあるまじき行為で……」
「ちょ、ちょっと待って!」
あかねは両手で頼久の身体をせき止めた。
「私は、頼久さんにそんなことを希望なんてしてないよ。別に、全然傷付いてもいないし、それに気分を悪くしたりなんて、してないもの」
「ですが私は………」

「もうっ!!私の話を聞きなさーいっ!!!!!」

いきなりあかねは、たまっていた気力を全て吐き出すような大きな強い声で、頼久に向かって叫んだ。
突然のことに、目の前で怒鳴られた頼久の方は呆然として、いつもなら閃光を放つほどの瞳を丸くしている。
「私のことを思っているなら、頼久さんは自分の感情を優先しないこと!!それじゃ頼久さんは自分の感情を私に押しつけているだけでしょ!?」
何だか、言葉が止まらなくなりそうだ。どうしてなのか、目の前に好きな男がいるというのに、こんなにまで全身全霊で言葉を吐き出して良いものか?とは言っても、もう歯止めが利きそうにない。困った。
「だいたい、そんな理由で私に命をかけてもらったって、全然嬉しくなんかないんだから!!」

義務的な意味なんて欲しくないのだ。もらえるのならば、頼久の心底にある本心からの意味が欲しい。
神子という立場の沿線にある言葉も意味も感情もいらない。
あかねは思いっきり息を吸いながら、言葉と同時に吐き出して部屋に向かっていってしまった。
頼久が背中越しに止める声に、一度も振り向きもせず。
そして、蔀は閉じられた。



どうすれば良かったんだろう?
頼久は、閉じられたあかねの部屋の蔀をぼんやりと眺めていた。
何て言えば、彼女は満足してくれたのだろうか。何をすれば、彼女は笑顔に戻ってくれたんだろうか。
カタン、と刀の鞘が床板に弾かれて音を立てた。頼久は手をかける。そしてその刀を鞘ごと腰からほどき、床の上に寝かせた。

何度となく、さっきのあかねの表情を思い出す。いつも、いつでも彼女は誠意の輝きを持っていて、華奢で小さな身体にそぐわないほど、強い意志を持っていた。その彼女の光は頼久にとって、心から信じることの出来る真実の形だったのだけれど。
しかし、そんな相手の気分を損ねてしまうとは…まだまだ鍛錬が足りない。頼久は自己嫌悪に陥った。

その時、庭先から足音が聞こえた。


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Megumi,Ka

suga