天然恋愛のススメ

 001
小鳥のさえずりと共に、太陽の光が射し込んでくる時刻。
目をこすりながら床から顔を出すと、蔀の向こうから素振りの音が聞こえてくる。
そんな朝の風景にも、もうすっかり慣れてしまっていた。

こっそり顔を出して覗き見ると、朝露の香りがつんと鼻の先をくすぐる。そして目で、頼久を捕らえる。
すぐ近くの敵の気配を敏感に察知できるはずなのに、剣の鍛錬中の彼は全くの無防備である。
滴る汗の雫が朝日に反射して、宝玉のように綺麗な光を放って輝いていることも、きっと彼は気づいていないのだろう。

声を殺して、気配を消して、しばらく頼久の姿を眺めていたあかねだったが、ふと頭の中を、悪戯小鬼が駆け抜けて行く足音が聞こえた。
そっと、そっと、足を忍ばせて部屋を出る。
丁度頼久の素振りの音に足音を合わせて、気づかれないように一歩ずつ近づく。
そして、彼の脇から手をぐっと伸ばして……ぎゅっと。

「うわっ!!!」

頼久の手から、木刀が音を立てて足下に転がり落ちる。
「み、神子殿……!!一体どうなさったんですかっ!?」
あかねは力強く頼久の身体を、後ろから抱き込むようにして力を込める。
慌てて振り返る彼の顔に、あかねは笑顔と共にちらりと舌をのぞかせた。

「びっくりしました?」
「……驚かせないで下さい☆また怨霊か鬼の輩が襲ってきたのかと思いました…」
「そお?頼久さんが敵の気配に気づかないわけないと思うけどなぁ…?」
ここでやっと、頼久は自分の額から流れる汗に気づいて、腰に結んだ手ぬぐいでふき取った。
「どうしたのですか…こんな朝早くにお目覚めになるとは、何か感じられたのではないのですか…」
稽古での鼓動とあかねの悪戯への驚きが加わって、頼久の心音は今までにない早い音を奏でている。
背中に感じる彼女のぬくもりと、自分の身体にまとわりつく小さな手のひらが目にはいると、尚更鼓動は早打ちを始める。
「なんでもないよ。ちょっと早く目が覚めちゃったの。そしたら頼久さんの素振りの音が聞こえたから、さっきから眺めていたんだけど」
「でしたら、声をかけて下されば…」
と、頼久が言葉を続けようとしたとき、やっとあかねの手がするっと身体から離れた。
「何だかねー、ちょっと驚かせたくなっちゃったの。」
「は?」
あかねはくすくすと、小さな声を出して笑った。
「だって、頼久さんって本当に真剣にお稽古してるから…ちょっと悪戯してみたくなっちゃった。後ろから驚かせたら、どんな顔するのかなーなんて……ごめんね?」
そんな風にあっけらかんと、無邪気に笑顔で謝られてしまっては、文句の一つも言えやしない。勿論、元々文句など言うつもりはないのだけれど。


「今日のご予定は、もうお決まりですか?」
二人は透殿に腰を下ろして、目の前に咲き乱れる藤の花を眺めた。
「特別決まっているわけじゃないけれど…あ、じゃあ頼久さん、今日はお付き合いしてもらえます?」
「…用はありませんので、神子殿がおっしゃられるのであれば喜んでお供致しますが…どこかお出かけになる場所でもあるのですか?」
「そういうわけじゃないけどー…ま、たまには怨霊退治の必要がない所にでも出掛けません?」
「はあ…では、共に行くもう一人の八葉はどなたに?」
するとあかねは藤の花から目を離して、くるっと顔の向きを頼久の方へ向けた。
「別に、二人でもいいんでしょ?出掛けるのって…」
「は?まあ…構わないといえば構いませんが…もしものことを考えれば、ということで二人ということでしょうが…」
「じゃあ、いいじゃない?今日は二人でお出かけしましょ?」
「えっ?あ、まあ…はあ…か、構いませんけれども…………」
何だか妙な展開になってきた。
目的もないまま、二人で出掛けるなんてことははじめてだ。あかねがどんなことを考えて、そんなことを言い出したのか分からないが、断ることをしなかったのは…実は断るつもりがなかったからだ。


外から牛車の走る音が聞こえてくる頃。今日は青空だ。梅雨の中休みという感じだろう。
出掛けるのであれば、雨はうっとおしいだけだ。気分的にも外出するのには心地よい。
「頼久さん、お待たせ〜!!」
いつもの藤色の水干姿で、馬宿の前にいる頼久の所へあかねがやって来た。何か布袋を抱えている。
「神子殿、何をお持ちになっているのですか?」
「これ?お弁当〜!さっきおにぎり作って来ちゃった。ピクニックには必需品でしょ?」
"ぴくにっく"。多分彼女の世界の言葉だろう。異世界に住む彼女は、時折聞いたこともない言葉を日常の中で口にすることがある。頼久には全く理解出来ないのだが、慣れというのは結構恐ろしいもので、意味は分からなくとも何となく言葉の雰囲気がつかめることもあるのだ。
「いざ、出発〜!!」
頼久に抱えられるように馬に乗り上げたあかねは、東山の方を指さした。


■■■




殆ど手を加えられていない、自然のままに命の光を放っている木々が山を包み込んでいる。
己のままに生まれ、そして育ち、時が巡るたびに美しく咲き誇る花があった。静寂の中に自然がある。

「こういう花もいいよねー。何か小綺麗に整ってなくって」
「自然に生きるものは、草花でも生き物でも強く、そして美しいものですね」
「うん、なんか『生きてる』って伝わってくるみたい」
あかねは小さな花を携えた小枝を、両手で愛おしそうに包み込んだ。
「この木々達がこれからも生きて行くためには、雨を降らさなければなりません。何としてでも鬼を倒し、京を救わねばなりませんね」
頼久は池の畔に腰を下ろして、小さな魚が泳ぐ水面の波を眺めながらつぶやいた。
するとあかねは、すたすたとその場所から離れて、頼久のそばにぺたりと腰を下ろした。
「頼久さんってー…どうしていっつもそんなことばっかり考えてるの?」
横から頼久を覗き込むあかねの顔は、少し不機嫌そうな感じだ。
「たまには息抜きも必要だよ?今日くらいは鬼と戦うことくらい忘れたら?」
「そんなことを言われましても…私はそのために八葉になり、神子殿にお仕えしているのであって……」
「ほら!またそんなことばっかり言う!!」
あかねの細い指先が、きっと頼久の目を指すように伸びた。
お説教のような口調で、あかねは言葉を続ける。
「少しは自分のことを考えなくちゃダメ!頼久さんて、いっつも他人のことばかり優先してるんだもの。そんな風にしてたら、自分の存在まで見失っちゃうよ?たまには八葉のことも鬼のことも忘れて、頼久さんの好きなことをやってみたらいいじゃない?」

両腕で包み込めるほどに華奢な彼女だが、強い意志を持つ瞳の輝きはいつも変わりはしない。頼久の手に携えた剣の放つ光さえも、その閃光には負けるだろう。
時々、その輝きに見とれている自分を頼久は見つける。
「そう言われましても…これまでの自分を変えるのはなかなか…」
苦笑しながら、髪をかきあげる。
「変えようとしなくちゃダメでしょ?自分から」
小鳥のさえずり、魚が泳ぐ水音、緑の香り。包まれているのは自然の声。そして、彼女の声。
「神子殿はいつも、私を気遣って下さいますね。心から、感謝いたします」
「…当然でしょ、そんなこと。だって……………」
とたんに、あかねの声が小さくなった。
「どうかなさったのですか?」
「…………」
ちらっと、あかねは頼久の方を見た。が、彼はそんなあかねの行動を、不思議そうに覗き込んでいる。きらきらとした瞳で。
「……鈍感だなぁ…もう……」
あかねはためいきをつく。そして、少し頬を染めて顔を頼久の方から反らした。
気づいてくれたっていいのに。女の子なんだから、私。
龍神の神子なんて肩書きよりも、普通の女の子なんだからね。恋だってするんだから。

とは言っても…頼久にはきっと気づいていないんだろう。
少しくらい、友雅のように女性の感情を直感で受け止められる力が、頼久にもあったらいいのに…と、無理難題を考えて、そして首を横に振った。
「もういいよ。そろそろ帰ろっか」

純粋すぎる青年に恋をしたのが、そもそもの間違いなのかもしれないけれど。
だからって…想いは消せるわけがない。前途多難。
先が思いやられる…って、こんなことを言うんだろうか。
帰路の間、頼久の馬に乗りながら、ぼんやりあかねは考えた。







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Megumi,Ka

suga