「何だ、これは」
ぱっと見て、分かるようなものではない。少なくとも、この京の世界では滅多に見るようなものではないだろう。
「食べ物だって言ったじゃないですか。お師匠様に味見してもらったので、ちゃんと食べられますよ。どれでも良いんで食べて下さい。
布ごとあかねは泰明に突き出して、試食をなかば強制する。
匂いは感じないが、毒があるようなものではない。泰明はそれらを適当に選んでつまむと、あかねの監視がある中で口の中に放り入れた。
「甘い。」
まずは、その第一声。そりゃそうだ。はちみつで味を付けているのだから。
「何なんだ、この柔らかい感触は。これは食べ物なのか」
「…食べられないものだったら、勧めたりしませんよ!」
そう言って次は、黒糖を練り込んだものを差し出した。
今まで見た事も無い食べ物だが、取り敢えず食して問題は無いものらしい。
一度はためらっていた泰明も、今度はすぐにそれを口に入れた。
「…先に食べたものよりも、甘い」
「そりゃ、そうです。はちみつの他にも黒糖が入ってますから、これは。」
見た目は固体だが、ふわりとしていて、口に入れるとゆっくり溶ける。
こんな食べ物は初めてだ。どこで作られているものなのか。
もしかすると渡来物か?そうなれば、随分と高貴なものに違いないが…。
高貴なものだからこそ、まずはお師匠に、と届けに来たという事か。
所詮、自分など彼の弟子でしかない立場であるし、敬われるのはお師匠に決まっている。
神子と八葉としての絆を築いたとは言えど、彼女にとっても自分とお師匠とは別物ということだろう。
「酒が好きな割に、こういった甘いものも好きな方だ。さぞ喜ばれただろうな」
「え?誰の事ですか」
思わず、あかねは聞き返す。
「味見は済んだ。あとはお師匠に持って行くと良い。私はもう結構だ。」
そう言って泰明は背を向けて、再び筆を動かし始めた。
「それじゃ意味がないじゃないですかーっ!!!」
怒りに震えたあかねの大きな声が、屋敷の外まで広がった。
庭先をふらついていた晴明(キリギリス)も、その声に驚いて池に落ちそうになったくらいだ。
とは言っても、怒鳴られた方の泰明は平然としていて、相変わらずの無表情のまま再びこちらを振り向く。
「何なんですかっ!勝手につんつん拗ねちゃって!」
「おまえこそ、何をそんなにまくしたてているのだ。感情を表したからと言って、言いたい事が伝わるわけではないぞ」
ああもう、彼の性格なのだと分かってはいるけれど、まだるっこしい!
我慢も限界だ。
広げた菓子を布ごと、あかねは泰明に叩き付けた。
「泰明さんのために作って来たんだから、泰明さんに食べてもらわないと意味がないじゃないですかっ!!!」
ここらあたりでポッと頬を桜色に染めて、うつむき加減で泰明にそっと差し出す…なんて、そんなロマンチックなシチュエーションも出来そうなものだが、この状況ではそれどころではない。
せっかく泰明の誕生日に、と思っていたのを企画倒れに持ち込まれて、それで顔を合わせてみたら不機嫌極まりないし。
機嫌が悪くなるは、明らかにこっちの方じゃないか。
「何故、私のためなのだ、これが」
泰明は淡々としている。その冷静さが、何となくあかねには面白くない。
「来週の泰明さんの誕生日に、ちゃんとしたものを作ってあげようと思ったからですよ!」
あかねはそう言って、ぷいっとそっぽを向いた。
来週の暦を考えてみると、9月14日。確かに泰明の誕生日が記されてある。
だが、それが一体なんだというのか。生まれた日ということ以外に、特別な意味があるわけでもなし。
「誕生日ということと、これが何故繋がるのだ?何のいわれがあるわけでもないだろうが」
彼の顔を、ちらっと見た。
確かにそういう習慣はないかもしれないけれど…。
特に、彼の場合は特殊であるから。
でも、産まれた意味というものは、どんな生き物だって同じことだろう。
何かしら運命を背負って、意味を持って生を受けるのだ。
それなら、生まれでた日を祝うことは当然じゃないのか。
「誕生日は、お祝いするものです」
答えてみても、泰明はまだ理解が出来ていないらしい。
どうしたら分かってくれるんだろうか。相手は手強い。
『そんなもの、神子がおまえの誕生を喜ばしいと思っているからに決まっているだろうが!』
二人が、同時に庭先を見た。
あかねたちの視線が、小さな一匹のキリギリスに集中する。
『まったくいつまで経っても、進展がないものだからしびれを切らして、お節介をしてやりたくなったわ』
晴明の声でブツブツ言いながら、キリギリスはぴょんぴょんと部屋の中に飛び込んできて、二人の目の前で立ち止まった。
『勝手につまらん嫉妬などしおって。神子がおまえの事以外で、この屋敷に来ると思うか?』
「お、お師匠さまっ?」
真っ向からストレートに言うものだから、あかねの方が焦った。
『おまえの事を思って、それで私に意見を聞きに来ただけだ。それを変な詮索をして、自分よりも私に会いに来たのが面白くないからと拗ねて…阿呆か、おまえは』
師匠と弟子の立場とは言えど、随分な言われようだ。
普通こんなことをいわれたら落ち込みそうだが、まあ相手が泰明だから、晴明も遠慮などしないのだろう。
だが…よく耳を澄まして聞いてみると、どさくさに紛れて結構露骨なことを言っていないか?
『神子は常におまえを想っているのだから…少しは気をつかわんか』
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
真っ赤な顔をして、小さなキリギリスに向かって声を上げる。
そんなあかねの姿は一見してみたら、妙な光景に映るだろうが、こう見えても相手は晴明なのだ。
『女人の想いには敏感にならんと、これから先が思いやられるぞ?少しは橘少将殿のところで修行でもしたらどうだ』
散々晴明に言いたいことを言われた泰明は、さすがに少し気分が治まってきたのか、あかねの顔を見た。
さっきとは違って落ち着いた顔で見つめられると、急に何だか鼓動が早まってきた。やけに彼の瞳が澄んでいるから、普段よりもときめいてしまう。
「な、何ですか…そんな…じっとこっち見て…」
頬を染めたあかねの顔を、泰明はじぶんの瞳の中に映した。
彼女に聞こえないようにそっと、晴明が泰明自身に語りかける。
『神子はおまえを大切に想っていてくれているのだ。おまえを、一人の人間として見てくれている。それを忘れてはいかん。そのような者は、なかなかいないのだぞ。』
泰明自身のすべてを理解した上で、何一つ他の者と変わらずに彼女は見てくれている。異質な視線など、わずかもなく。
『おまえがこの世に生まれ出たことを、祝福してくれているのだ。その意味を、よく考えてみるが良い。』
晴明の言葉を、噛み締めながら考えてみる。
自分は、人の身体から生まれでた命を持たない。師匠の、晴明の力によって形成された、人形(ひとがた)みたいなもの。
意味を持ち生まれる、人間とは違うものだから、人間のことなど分からなくて当然だと思っていたが。
そんな自分を、彼女は「人間」として見ているのか。疑いもせずに。自分の出生の意味を知っていながら。
『ふん。そういうおまえこそ、神子を好いているから、私に嫉妬などしたんだろう?』
ひょいっと晴明が、泰明の膝の上に飛び乗った。
『嫉妬などすること自体が、恋しとる証拠というものだ。それくらいはしっかりと自覚しておけ。』
晴明の声が聞こえないあかねは、泰明がキリギリスと戯れている光景が、どんな意味を持っているのか全く分からない。
テレパシーで交信でもしているんだろうか?
何せ二人とも陰陽師であるから、そんな不可思議な事が出来てもおかしくはない(そもそも、このキリギリスが話すこと自体が普通じゃない)。
しばらくすると、今度はあかねの方へとキリギリスがやって来た。
『すまんな、神子。泰明をよろしく頼むぞ。ふつつかな弟子だが、可愛がってやってくれ』
「は、はあ〜?」
そんな、まるで嫁入りの娘を頼む父みたいなことを言われても困るが。
晴明はそう言い残したあと、再びさっさと庭の方へと消えて行った。