筆をしたためようとしたのだが、どうも言葉が思い付かない。
そのかわりに出てくるのは、いくつかの溜め息。
ひとつ付いては、何気なく庭の枯れかかっている雑草を見る。
決して目にも麗しくない風情なのに、秋の風に揺れると小刻みな音がするので、嫌いではない…が、そんなことなど頭にはなかった。
そうして、またひとつ溜め息。
注意力散漫状態の泰明には、一匹のキリギリスが自分のそばに近付いている事すら、気付いていないようだ。
"まったく、陰陽師たる者が迂闊にぼんやりとしおって"
キリギリスに気を移した晴明は、彼の肩にそっと飛び乗った。
-----一体、何の用事があって、神子はここに来たというのだ。
お師匠に用事なんて、たいそれた事があったわけでもないのに、何故私ではなくお師匠に話を持ちかける意味がある?
私とて、神子を護るために八葉として生きたはず。
お師匠よりもずっと、神子の事は分かっているはずなのに、私くらいの存在は役に立たぬということか?
面白くない。
力ではお師匠に敵うはずがないが、神子のことなら……負けず劣らずだと思っていたのに。私では不満だということなのか。
「ぷっ…わはははは!」
いきなり、晴明が高らかに笑い出したので、あかねは思わず飛び上がって驚いた。
「いやいや…すまんな神子。ほんにあやつはまだまだ未熟者でなあ……」
全く状況が分からないあかねは、晴明の様子に首を傾げている。
だが、この状況を知った以上、笑いを堪えられるわけがない。
単純な話だ。普通の人間なら、誰でも一度は経験した事のある、他愛も無いこと。
しかし、それが泰明かと思うと…微笑ましいやら何とやら。
「泰明の奴、私に嫉妬しているらしい。」
「し、嫉妬!?」
不機嫌そうだったのは、そのせいだ。自分を無視して、あかねが師匠に逢いに来ていたことが不服だったのだろう。
常に八葉である自分があかねのそばにいることが、当然だと思っていたのに。彼女が逢いに来るのは、自分のところだと思っていたのに。
「おそらく、神子に対しても不機嫌だったのは、自分に逢いに来ないで私のところに来たのが、面白くなかったのだろうな」
相変わらず笑いを含ませながら、晴明は泰明の様子を楽しそうに話した。
まったく、いつのまにこんなにまで、人間らしくなったのだろう。
一人前に嫉妬することなど覚えて、これでは造りものなんて言えないじゃないか。
だが、それもすべて彼女の力の成果だ。あかね一人が、泰明の中に命を吹き込む力を持っている。
小さな彼女の身体のどこに、そんな壮大な力が存在しているのだろうか。
「すまんがな、さっきのアレだが…泰明に持って行って、説明してもらえないだろうか?」
晴明は、あかねが慌てて隠したものを指差した。
その中身は……あかねが詩紋に教えてもらいながら、何とか作り上げた蒸しパンのようなケーキだった。
小麦の粉を練って、木の実や果実で味をつけて蒸かしたもの。ケーキというには程遠い見た目だが、無いよりはマシだろうと頑張ってみたのだ。
もうすぐ、泰明の誕生日だから。
"私たちの世界では、ケーキっていうお菓子を食べて、誕生日をお祝いするんです"
やって来たとたん、あかねはそう言って試作品という菓子を晴明に差し出した。
もうすぐ泰明の誕生日だから、その日に間に合うように作りたいと。
そのために、一番近くにいる晴明ならば、泰明の味覚の好みを分かっているのではないか、と考えて、味見をしてもらいたいのだと言った。
何と可愛らしい策を思い付くのだろう。
泰明の誕生を祝うため、こっそりやって来るとは微笑ましいではないか。
まともに人間らしい感情も持たず、神子と向き合う八葉に彼が選ばれた時には、晴明自身も一抹の不安があったものだが、今になってみるとこれもまた運命なのではないかと思いたくなる。
彼女だから、泰明に命を吹き込むことが出来たのではないかと。
その力がある彼女が神子であってこそ、泰明が八葉に選ばれたのではないかと。
「でも、これ持って行ったらバレちゃうじゃないですかー…。せっかくちゃんとしたもの作って、当日に驚かせようと思ってたんですよ。贈り物って、予想していない方がびっくりするし嬉しいでしょう?」
「だがなあ、あいつもこういう事には無知だからな。ああ拗ねていては、当日までにもっと不機嫌さが増してしまうかもしれんぞ?」
あかねの考えも尊重してやりたいところだが、まだ発展途上の泰明の事だ。
その点は多めに見てもらっても良いだろう。
少し突いてやらなくては。いつまでもあんな調子で、ぼんやりしていては役に立たない。
「きちんと説明すれば、泰明も理解するはずだ。神子の言うことなら、何でも受け入れる奴だろう?」
「そ、そんな…召使いや下部じゃないんですから★」
そうは言っても、八葉は神子にとっては下部だ。
彼女は上から泰明を見る立場にいるのだが、割り切っている泰明と正反対に、あかねは真正面から同じ目線で見ようとする。
二人の間にあるささやかなぎこちなさの中で、泰明は少しずつ新しいことを知って行くのかもしれない。
「さあ、私からもお願い致すよ。泰明の機嫌を直して下さらんか?あれでは仕事も頼めんのでな」
いつのまにか、庭の簀子にキリギリスが飛び込んで来ていた。
青々とした緑の身体は、まるで長い絹糸のような、泰明の髪の色に似ている。
+++++
少しだけ気を重くしながら、あかねは泰明の部屋に向かって歩いていた。
「あーあ…せっかく秘密にしておこうと思ったのになぁ…」
肩を落として、包みを抱えながら歩く。土御門家と違って、相変わらずここの庭は手入れが一切されていない。
四季の移り変わりが、そのまま反映されていると言えば聞こえが良いが、つまりは放ったらかしのボウボウ状態という訳だ。
それにしても、泰明が嫉妬だなんて…。
ただ晴明に泰明の好みを聞き出そうと、やって来ただけだというのに、それで嫉妬?
「どーしてそんなことで拗ねちゃうんだろうなぁ…」
すると、さっきのキリギリスが、あかねの足下に飛び出して来た。
『ははは。それはな、泰明がそなたを好いている証拠だ』
……キリギリスが、晴明の声を発した。つまり、このキリギリスは…晴明の分身。
「そんなっ、いきなり何を言い出すんですかっ」
そう言いながらも、あかねの顔は真っ赤に染まっている。
お互いにまんざらでもない気持ちがあるからこそ、こうして未だに京に留まっているのだろうに。
若い者たちは複雑な付き合いをしているな、と晴明は思う。
『神子、泰明を頼むぞ。そなたが頼りだからな』
晴明は一言あかねに言い残して、ぴょんと再び庭先へと消えて行った。
『お師匠様が変なこと言うから…何かどきどきしてきちゃったよ…。』
泰明の部屋の前まで来て、あかねは一旦立ち止まって深呼吸をした。
そうすれば少しは落ち着くかと思ったのだけれど、全く何も変わらない。
むしろこれから、部屋に入って泰明と対面することを考えたら…更に鼓動は大きくなるばかりだ。
「はあ…ここでじっとしてても仕方ないか…」
あかねは、手にしているものを、両手でぎゅっと抱えた。
取り合えず、気晴らし程度にもう一度深呼吸。
そして、戸に手をかけようとした。
「あのー…泰明さん、お邪魔しても良いですかー……?」
一応声を掛けてから戸を開けようとしたのだが、手を添えようとしたとたん、急にがらっと勝手に戸が開いた。まるで、自動ドアのようだ。
開かれた戸から、部屋の中を覗く。
庭に近い場所に置かれた文机の前で、筆を手にしていた泰明が、黙ったままこちらを見ていた。
"うわ。やっぱ不機嫌そうだよ…"
気まずい空気が部屋に流れ、沈黙がまた緊張感を誘う。
何か一言くらい言ってくれればいいのに……と、あかねは思った。
「何か用か」
素っ気ない声が、返事として返って来る。
「あ、あのー…ですね、えーっと……」
ムスッとした顔をした泰明は、あかねの顔を横目でちらりと見る。
「理由があるのだから来たのだろうが。はっきりと言え。」
一瞬、カチーンとした音があかねの頭の中に響いた。
"ちょっと?そーいう言い方しなくなって良いんじゃないのっ?”
泰明がどういう性格なのか、くらいは充分理解しているつもりだけれど、こういう時に突っかかるような口調をされると、こっちもまた不機嫌になりそうだ。
「…泰明さんに食べてもらいたいものがあったので、それを持って来たんですよっ!」
はっきりとした語尾で、大きな声でわざと言ってみる。
感情を声に表現してみたつもりだったのだけれど…多分泰明にはそんなことは通じていないだろう。
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