きっと熱いくちびる

 002
しかし、当然のことながら平安の時代に、どれだけ文献に目を通そうが『キス』の意味は分からない。
当時の『きす』は『着す』とか『規す』とかであるが、発音は同じとは言え、天真の言ったような、好き合った男女が行うことという意味にはほど遠い。
天真が言ったように、師匠である晴明にも尋ねてみた。しかし、彼さえ知らないと言う。

ならばどうすれば、この意味を知ることが出来るというのだろう?。
天真が知っていることであるなら、もしかするとこの言葉はあかねたちの住んでいた世界で使われていた言葉なのだろうか?
そうならば…調べても分かるはずもない。
好き合っているのなら、当然のようにしなければならない儀式…のように天真は言っていたが、果たしてそれはどんなことなのか。
遠い異世界の言葉は、いささかやっかいだ。



■■■


「今日はね、北山に連れてって貰うんだ♪前に会った天狗さんに、もう一度会わせてくれるって泰明さんが言ってたんだよ」
あかねは、朝から上機嫌だった。泰明との約束がある日は、いつもこんな調子である。そんな彼女の微笑ましい様子を見せられては、何も言葉も見つからない。

牛車が走り出す時刻になった頃、屋敷に泰明がやってきた。
「おはようございます、泰明さん」
「今日は用意が済んでいるのだな。外で待っている」
庭に回らずとも、玄関で待っていれば良いものの、わざわざ庭を抜けてあかねの部屋に顔を出してから入り口へ戻る泰明を見ていると、表情は平坦とは言え、まんざらでもないらしい。

「天真」
二人を眺めていた天真だったが、突如泰明に名前を呼ばれてぎくっとした。
「おまえにもう一度聞きたいことがある。この間の……」
ああ、きっとあの事だ。こうなったら覚悟を決めて、きっちり説明するしかないだろう。
「…分かったよ〜、こないだの『キス』のことだろ…」
「そうだ。あれから師匠に聞いても知らぬと言われた。あらゆる書物に目を通したが、それらしきことは表記されてはいなかった。一体『キス』とは………」
果たして天真の説明で、どれくらい泰明が完全に理解を出来たのかは少々不安ではあったのだが、あかねの呼ぶ声が聞こえて、天真の説明時間はあっさりと終了を迎えた。


■■■


色づく葉が多く見られる、秋の北山を登った。小鳥の声が聞こえ、疲れた足の動きも少しは和らぐ。
倒れた大木の上に腰を下ろして、やっと一息を着いた、
「あー、疲れた〜。さすがにここまで高いところに昇るのは疲れるねー」
泰明は耳を澄ます。しかし、天狗の気配は、まだ近くにはない。まあ、しばらくすればやってくることだろう。泰明はあかねの隣に腰を下ろした。
「泰明さんは疲れない?こんなに昇ってきて」
「慣れている。お師匠の仕事を引き受けて、この辺りにはよくやってきたからな。」
「そっかぁ、私ももう少し足腰鍛えて、山も平気で上れるようにしなくっちゃね」
あかねは全身を大きく伸ばして、深呼吸をしようとした。

その時、泰明の手が横から伸びてきた。その指先があかねの頬に触れる。
「泰明さん……?」
自然に神経が、泰明の指の動きに沿った。
泰明の瞳が、目の前に近づく。そして唇が、あかねの唇に近づいてきた。
「きゃーっ!!!」
慌ててあかねは、泰明の唇を両手で差し止めた。
「どうした?」
「ど、どうしたじゃないよ〜!! 。い、いきなり泰明さんがそんなことするからっ!!」
真っ赤な顔をして、あかねは泰明の顔を見る。仕掛けてきた本人は、全く動じていない。
「『キス』をしようとしたのだ」
「そ、そんなこと分かってるよっ!で、でもいきなり……。
泰明はあかねから手を離した。
「天真が言ったのだ。『好き合っているのなら、キスをするものだ』と」
「て、天真くんが〜っ!!!!」

読めた。おそらく天真が、冷やかし半分で自分たちの仲を泰明に尋ねたに違いない。きっとその時に泰明に吹き込んだのだろう。
「もうっ!あとで文句言ってやらなくっちゃ!」
ぶつぶつと天真に対して愚痴をつぶやいていると、泰明が尋ねてきた。

「おまえは、私を好きか?」
唐突に、そんなことを言われた。
「えっ?あ、いきなり…そ、そんなこと聞かないでよ〜★」
「私はおまえが好きだ。おまえはどうだ?」
さっきよりもずっと、あかねの頬は赤くなる。そして、泰明の目を直視出来なくなる。
「…す、好きだよ…。だから、ここに残ったんだし……」
正直に答えた。もしかしたらこんなにはっきりと告白したのは、初めてだったかもしれない。
好きになったのはいつか覚えていないけれど、でも、今でも泰明のことが好きで。あの日、あの言葉をもらったことが嬉しくて。だからここに残って。
そして、日を重ねながらその度に泰明への想いを確信するのだ。
「ならば、キスをしなくてはならないのではないか?」
「え?あ、あの…ね、泰明さん、キスっていうのは…しなくちゃならないっていうものじゃなくってね★自然にね…成り行きでね…するようになるから★」
「今、してはならないのか?」
「いや、あのね……」

さあて、何て説明すればいいのだろう。
してはいけないというワケじゃないし、だからと言って、いきなりでは心の準備が出来ない。…自慢じゃないけれど、何せ初めての経験だし。
「おまえが嫌ならば、止めよう」
答えに戸惑っているあかねを見て、泰明は一歩退いた。
かさかさ、と木々の間を吹き抜けて行く風の音がする。泰明の横顔を、じっとあかねは見る。
白くてしなやかな肌と、澄んだ二色の瞳と。ゆれる長い髪と、艶やかな唇。
そっと近づけて、その頬に唇を寄せる。

「…なんだ?」
驚いたように、泰明があかねの顔を覗く。
「これもキスの一種だよ」
そして、あかねが少し紅潮した頬をして笑顔で答える。
好きだから、したいこと。好きだから、触れ合いたくて唇を寄せてみる。
高鳴り続ける鼓動の音が、その唇から伝わりそうな気がして、なぜだか自然に瞼を閉じて……。
気づいたら、重なって一つになる二人の影。
「これが『キス』と言うものか」
「……うん」
泰明の腕に静かに抱き寄せられたあかねは、照れくさくて顔をうつむかせた。
「…おまえの唇は、暖かいな」
「そ、そんなの誰でもそうじゃない★」
「暖かくて、重ねると私の唇がおまえから熱を伝えられて熱くなる」
真っ赤になって照れているあかねと、相変わらず冷静沈着状態の泰明の両極端な恋人同士。
外から見る輩は、さぞかし不思議な二人と見るだろう。


■■■


「…なるほど。『キス』というのは、『接吻』のことだったのか。勉強になったわ」
晴明の声で話す大鷲を肩に背負いながら、木の陰でさっきから天狗は二人の様子を観察していたのだが、どうもこちらの気配など全く気づいていないらしい。
「やれやれ。晴明殿、泰明はかなり人間人間してしまったようだよ。こりゃあもう、わしらが作ったものとは言えぬなぁ。すっかりそこらの男と変わりないわ」
天狗がそう言って笑うと、大鷲は何度かうなづいてからその場を飛び立った。


■■■


「私はおまえが好きだ。」
あかねは、泰明の腕の中でうなづく。
「おまえも私を好きでいてくれるな」
うなづく。
「もう一度『キス』をしても、良いか」

顔を上げる。
少し背伸びをして目を閉じて---二回目のキス。
相変わらず鼓動は早くなって、全く落ち着かないけれど、初めての時よりは唇の熱を感じることが出来るようになったかもしれない。

キスの地点で足踏み状態のそんな二人が、次の恋愛ステップに進むことになるのは…多分かなり先になることだろう。





-----THE END-----



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