 |
 |
巷に花の咲く如く
|
|
 |
| 010 |
 |
 |
 |
「つまり、すべては『恋』という感情から始まった物事が、あちらこちらで螺旋状に絡まってしまったということなのだよ」
既に夕暮れの色に変わってきている風が、庭先の草木の葉をかさかさと揺らしている。
「不思議なものですな、『恋』という感情は人を…いや、感情を持つ者に異変を起こしてしまう。それを知っていながらも『恋』という感情はどうにも操ることが出来ぬ。むしろ彼らに操られるままに、これまでとは全く違う人格さえ出来上がってしまいかねない。油断が出来ないということだろうか」
露綺が立ち上がって、高燈台に炎を灯した。小さな明かりが、部屋の中をやわらかな黄昏色と同じ色に染める。ぼんやりと浮き上がる人影の揺らめきが暖かさを感じさせた。
「『恋』というものは、実にやっかいなものよのぉ………」
「おい、晴明さんよ。あんたのうんちくやら何やらは、どーせ俺の頭じゃ理解出来っこねえんだ。さっさとはっきり答えを教えてくれねーか。まだるっこしくてしょうがねえ」
しびれを切らした天真が言葉を吐き出す。鷹通も若干そう思わないでもなかったが、取りあえず隣で天真を落ち着かせようとしたが、晴明をちらりと見ると彼が穏やかに笑みを浮かべてこちらを見ているので、どう対処して良いものかと考えた。
「やっかいなものほど、愛おしいものだろう。だからこそ、人は恋をする。『恋』という感情を生み出す。それは泰明も同じことだ……」
天真と鷹通は、黙ってお互いの顔を見合わせた。晴明は構わず話を続ける。
「あやつがここ最近異変を起こしていたのは、すべてその『恋』というもののせいだ。その感情にとらわれて、これまでの平常心を保てなくなった。その感情を抱く相手が近くにいればこそ、心は乱れて行くばかりだ。泰明の妙なたち振る舞いは、すべてそれが原因となっている」
もしかするとその相手とは……泰明の恋心のほこさきは……その少女とはもしかして。
「神子殿は不思議なお方だ。人間として生まれ出てこなかった泰明を、我々と同じ普通の人間に変えてしまった…。私も予想もつかない展開であったわ…。」
遠くを愛おしく眺めながら、晴明はそうつぶやいた。
■■■
それにしても、いつまでこうしていればいいんだろう?
泰明は全然目を覚まそうともしないし、これでは屋敷に帰ることも出来ない。だからと言ってこんなに安らかな顔を、邪魔するように起こすのも忍びない。
それになにより………あかねは足がしびれてきていた。正座したまま泰明を受け止めてしまったために、ずっと足を崩すことが出来ないのだ。
どうにかそっと足を持ち上げれば………どうにかならないだろうか………?静かに足の指を動かそうとした。
「きゃあ!」---------ごとん。
あろうことか、しびれて感覚のなくなっていた足に込めた力のバランスが外れ、身体ごと床の上に転がるようにしてあかねは倒れた。そして、あかねが倒れたということは、彼女が受け止めていた泰明もそのまま投げ出されたということになる。
「いたたたたた……あ〜じんじんするぅ★」
感覚が全くなくなって麻痺状態の足が、自分の身体の一部とは思えなくなっている。あかねは手を伸ばして、せめてマッサージでもして感覚を取り戻そうとした。
そのとき、目の前が誰かの影でふと暗闇を作り、あかねの手が伸びようとした足のつま先に外側から他人の手がそっと伸びてきた。
「痛むのか?」
泰明があかねの顔を覗き込んだ。
「えっ…あ、だ、大丈夫っ!ただしびれただけだから、全然平気っ!」
慌てて自分で足を軽く揉みながら、伸ばしきった足をきちんとおりたたんだ。
泰明は少しあかねから距離を開けて、再び背を向けた。そして、自分の手で頭をこんこん、と横に振るようにこづいた。
「あ、泰明さん!も、もしかして今あたしが転がったとき…」
床は堅い木の板が敷き詰められている。ごろりと思い切り転がったとしたら、身体の関節のどこかに軽い衝撃を感じるだろう。
「ど、どこか痛めたんですかっ!?」
あかねが駆け寄ってきて、泰明の腕に手を掛けた。
「いや、転げたときに頭を少し打っただけだ」
「だ、大丈夫ですかっ!?」
「特に問題ない」
と、そう答えた泰明だったが、彼の顔を見上げたときに、丁度眉山の少し上あたりに赤くキズが出来ているのをあかねは見逃さなかった。
「泰明さん、やっぱり怪我してるじゃないですかっ!」
腰を伸ばして泰明の顔に近づく。そしてそっと指先で彼の前髪を避けてみる。ちょっとしたかすり傷という程度である。おそらく転げた拍子に机の脚にでもぶつかったのだろう。
「痛いですか…?」
「……問題ない、とさっきから言っているだろう」
「でも………」
あかねは静かに、その傷に指を添える。確かにほおっておいても治るような傷ではあるけれど。
「神子」
「はい…?」
あかねは泰明の声に答えた。何か話しかけて来るのだろうと思い、あかねは泰明の顔に視線を落とそうとしたのだが、彼は何も言わなかった。
声の代わりに伸ばされた二本の彼の腕は、あかねの身体をしっかりと包み込んだ。
■■■
なんのかんのと騒ぎ立てた割には、結構根本的な原因は些細なことであったというか…少々拍子抜けというか、まあそんなことを考えないこともなかった。
「ちぇっ、ってこたぁ友雅の言っていたことも嘘じゃなかったってことか」
塩で軽く炙っただけの鮎をかじりながら、天真が気抜けしたような声で言った。
「全くあの方の推測力には頭が下がります。ことの他このような話題には人並み外れたお目をもってらっしゃいますね」
苦笑しながら鷹通は、露綺に注がれた杯の酒に少し口をつけた。
「おや…酒の席で私の話をするほどに、こちらでは話題作りにお困りなのかな?」
藤色に銀色の刺繍をあしらった装束がかすかな火に照らされて光っている。
「と、友雅!てめえ何をしに来たんだよ!」
「そっけない言い方をするねぇ。私は帝から晴明殿へのお仕事のご依頼をお届けに参っただけさ。そうしたら君たちがいると聞いてね。ご挨拶にでも、と思って顔を出してみただけだよ」
「ったく、へりくつだけは上等だよな、おめーは」
ぶつぶつ言っている天真を余裕の笑顔で促して、友雅は鷹通の隣に腰を下ろした。晴明は露綺に友雅の分の膳と酒の用意をするようにと告げた。
「で、さっきの話は何だったのかな?一体私がどうしたっていうのかな」
あまり良い口調で言っていなかったせいで、天真はどうも口を開きにくかったが、鷹通はそれとなく穏やかに言葉を作り出した。
「友雅殿のおっしゃる男女間のお話は、とても確かでありますね、とお話しておりましたのです。」
「それは…誉め言葉と取っても構わないのかな」
「悪気で申し上げているつもりはございませんよ」
鷹通の笑顔の言葉に友雅も軽く笑みを返して、用意された杯を手に取った。
「なるほどねぇ、泰明殿の様子がおかしかった原因は神子殿であったということか」
「おめーが言ったとおりだ。全く…普段は無表情で凍り付いたよーなヤツなくせに、やってくれらぁ」
ここぞとばかりに差し出された酒をすすりながら、天真がつぶやく。
「ふふ、天真はまだ本当の泰明殿のお姿を見極めていないようだね。彼は私たちよりももっと従順な清らかな人だと私はずっと思っていたのだがね?」
友雅はそう言って、晴明の方を見た。
「彼は自分の中にある未熟な部分を、そのまま理解する素直さを持っているからね。私たちのような人間はそんな部分を他人に知られたくはないから、わざと自分でも知らない振りをしたりして結果的によくない結末を迎えてしまいがちだけど、その部分で彼は物事を受け入れる容量が大きい。だから今回みたいな状況が目の前に登場したとき、つい自分を見失ってしまうのかもしれないね。」
その後、晴明が続いた。
「己でも気づかぬうちに、泰明は神子殿に強く惹かれていたのだろうな。しかしそれが何なのかを知らない。それなのに心の中を占める神子殿の範囲がどんどんと大きくなる。終いにはこやつが神子殿に化けて近づいてきていることにさえ気づかなくなっていた。」
…………晴明が露綺の肩を軽く叩いた。天真たちは目を見開いた。
「ちょっと待てよ…この女があかねに化けて…って、どーいうことだよ!?」
天真に指を差された露綺は、そっと頬を染めてうつむいて目を伏せた。 |
 |
|
 |