巷に花の咲く如く

 009
目が覚めると、身体を支えてくれている腕の感触に気付いた。そして見上げた先に、心配そうにこちらを覗き込んでいる天真と鷹通の顔があった。

「……天真…くん、鷹通さ…ん?」
起き上がろうとしたあかねの背中に、そっと鷹通の手が添えられた。力のこもらない手に静かに身体を支えるようにして、あかねは起き上がって頭を左右に振って意識を平常に戻そうとした。
「神子殿、お話出来ますか?いくつかお尋ねしても構いませんか?」
「うん…大丈夫…」
とは言っても、何があったのかなどあかねは覚えていない。
この晴明の屋敷に入ってきてから美しい女に案内されるがまま、彼女のあとを着いていった。そして一瞬甘い空気に身体を包み込まれて全身が麻痺したように動かなくなり、とたんに意識がぷつりと切れた。
気づいたときには、ここに連れてこられていた。

「まさかその女性は、物の怪や怨霊だったのでは…」
深刻な顔をして鷹通がつぶやくと、天真が軽く彼の背中を叩いて豪快に言った。
「なーに言ってんだよ!ここは泰明のお師匠さんの屋敷だろーが。あのすげえ威力を持ったおっさんの力が働いてるところになんか、そんな怪しいもんが入って来られるはずねえだろーが」
「しかし天真殿……」
「鷹通、よく聞けよ。いくらあかねがあそこにぶっ倒れてたって、別に傷つけられたり怪我させられたりしたわけじゃねえらしい。だったらそんなヤバイ正体を持ったモンじゃなかったってことだろ?」
ちらりとあかねを天真が見た。彼女はこくりと何度もうなづいた。
「……私の考えすぎであれば良いのですが…。ともかく、神子殿がご無事でなによりです」
「う、うん…何だか私もよく分からない展開で、一体どんなことになっちゃってんのか分からないんだけど…でも別に怪我もしてないしね。」
あかねは立ち上がって、少しだけきしんだ身体の関節を思い切りのばして深呼吸をしようとした。

「きゃああああああああああ」

息を吸い込もうとしたとたん、地面に響いてくるような女の声がどこかから聞こえてきた。
「な、何?あの声…!」
「泰明の部屋の方から聞こえてきたぜ。」
「確か晴明殿があちらにいらしているのでは………」
三人はそれ以上言葉も交わさずに、即座に晴明が向かった泰明の部屋へと渡殿を走り出した。



■■■


「晴明殿!」
鷹通たちが駆けつけた泰明の部屋は、戸がすべて開け放たれており、室内に充満した甘美な香りが外にまで漏れだしてきていた。
部屋の中央にひざまづくようにして、晴明はこちらに背を向けたまま腰をかがませていた。そしてその腕にもたれるようにして、横たえる泰明の身体を彼は支えていた。

「おい、お師匠さんよ…さっきの女の声は一体…」
天真が声をかけると、静かに晴明は振り返った。そして何とも意味を捕らえがたい静かな笑みをこちらに返してから、再び背を向けてしまった。

有無を言わせぬ静寂が流れ、三人はしばらくの間その場に立ちつくしたままだったが、ふとあかねが何かに気が付いたように、自分から部屋の中へと歩いていった。
そして、泰明を支えている晴明のそばに腰を下ろして彼の顔を覗き込んだ。
「あの…泰明さん…何があったんですか…?」
晴明はあかねの瞳を見ると、何も言わずに泰明の身体をあかねの方へと移動させた。

「泰明をお願いできますかな?」
「えっ?あ、あの……私、どうすれば…?」
「神子殿のそばに、置いてやって下さいませぬか」
「は…?」
そっと静かに、晴明はあかねの腕の中へと泰明の顔を乗せた。抱きかかえるようにして、そっと長い髪を腕に巻き付けるようにして。
「あなたのおそばにいることが、こやつの一番の幸せでありましょうからな…」
晴明はそうつぶやいて、優しそうに泰明の頬を手のひらで撫でた。そしてそこから音もなく立ち上がり、天真たちが立ちつくしたままでいる方へと向かった。

「晴明殿…一体何が起こったのですか…?」
不可思議なことに遭遇して、少し感情がまとまらないでいる鷹通の言葉に、晴明は言った。
「詳しいことはここではなく、向こうでゆっくりとご説明いたしましょうぞ。勿論、酒と肴も兼ねましてな」
おそらく何か事が起こったらしいのだが、それらは解決したようだった。
とは言っても何も聞かないうちはしっくり来ない。鷹通たちは晴明に誘われるままに、寝殿へと戻ることにした。
そして部屋を出るとき、晴明は背を向けたままで部屋の奥に響くような声で言った。

「露綺、共にまいれ」
天真たちが声の向かう方向に目をやると、今までそこにいたことに気づかないのが不思議なほどに、艶やかな美しい侍女が泰明の部屋の奥から出てきた。

------------彼女が横を通り過ぎて行くとき、強い甘い香りがした。


■■■


ぽつんと取り残された部屋の中で、あかねは身動きひとつ出来ないでいた。
驚くほどに無防備に眠る泰明の姿を邪魔してはならないと、足をくずすのにも注意が必要だった。

そういえばこの世界にやってきてから、何度となく彼とともに過ごす機会が多かったように思うけれど、こんなに肩の力を抜いた泰明の姿を見るのは初めてだったんじゃないだろうか。
わずかな乱れさえ感じさせない、泰明の存在は一秒たりとも誤作動のない完璧な水晶時計のようで、次々に訪れる異変のたびに悩んで驚いて大騒ぎしている自分など、とても手を出せるような相手じゃないとどこかで勝手に思っていたような気がした。

だけど、そんなこと全然ない。今、こうして泰明の顔を見ていると、こうして泰明の寝息に耳を傾けていると、彼はそんなに遠い存在じゃないと気づかされる。
そして、手を触れたら壊れてしまいそうな脆ささえも、彼から伝わってくること。
ああ、彼は誰よりも純粋で無垢で、だからこそこんなに綺麗で……………。
子供のように眠り続ける泰明を腕に、不思議な感情が胸にこみ上げてくるのが分かった。

ずっと自分を守ってきてくれた彼を、自分が守ってあげたい。
再び彼が開いた瞳が、明るくやわらかな世界を捕らえることが出来るように。

------あなたの周りに広がる世界を、優しい光で包んであげることが出来たらいいのに。

泰明の身体の重みが、ずっしりとあかねの心の中に跡を残した。


■■■


ついさきほどから、ずっと晴明の隣に女が寄り添うようにして座っている。泰明の部屋から出てきた女だ。確か『露綺』と名を呼ばれていた気がする。
しかし、何を答えるわけでもなく、たまにこちらと目を合わせたりすると、わざと顔を背けてしまい振り向こうともしない。
そういう晴明も何ひとつ文句も言わず、たまに彼女に酒を注がせるくらいの注文をするくらいで、さすがに主人であるせいか彼女も晴明には従順だ。
それにしても……物事は結末を迎えたらしいのだが、その経路や発端が未だに理解出来ない。というか全く何が何だか見えてこない。

「一体何が起こったのか?と、聞きたい顔をしておられるようだな、お二人とも」
晴明が天真たちの顔を詮索しながら、杯を片手に微笑んでいる。
「晴明殿、どうぞお聞かせ頂けませんか?一体何が起こったのです?神子殿についても、泰明殿についても、何があったのか…もうすべてご存じでらっしゃるのでしょう?」
鷹通は静かな口調を崩さなかったが、もうこのまま未解決の状態のままで屋敷を後にすることが出来なかったようだ。
確実な答えがおそらく晴明には出ているとすれば、それを聞かなくては鷹通も納得が行かなかった。もちろんそれは、天真も同じである。

「そうですな……まずは誰の話から始めればよろしいかな。露綺、そなたはどう思う?」
彼女は晴明に語りかけられると、ほんのりと頬を染めて袖先で顔を覆ったままうつむいてしまった。
「まあ、ごまかすわけにもいかないですからな。少しずつお話させて頂くとしますかな」
手に取った杯に注がれた酒を最後まで飲み干してから、晴明はゆっくりと静かにこれまでの情景を語り始めた。
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Megumi,Ka

suga