巷に花の咲く如く

 005
さて、あれからすでに5日の時が過ぎている。あかねたちに残された時間は、そう長いわけじゃない。
しかも、玄武の呪詛も取り除いていないというのに、泰明は一切顔を見せない。

「おい、どーすんだよ?」
広間にはあかね、藤姫、天真、頼久、詩紋、鷹通、永泉、イノリ、友雅が揃っている。つまり、泰明だけがいないといった方が分かりやすい。
「どうするっていったって……そんなのこっちが聞きたいよ〜!!」
天真に言われた言葉を、答えとして返すことがあかねは出来ない。
「しかし神子様、このまま泰明殿がおられないままでは、鬼と戦うことは難しいですわ。それでなくとも相手の力は計り知れないほどのもの。八葉であるみなさまの個々の力が、物足りないというわけではございませんが、やはり泰明殿の陰陽の力は、我々に必要不可欠ですわ。八葉が揃ってこその偉大なる力が発揮できるのだというのに……」
「その問題の泰明殿は、先日からお見えになっていない、とのことですか」
不安そうに言う藤姫の言葉をあとを、鷹通が続ける。

「御師匠様でいらっしゃる晴明殿には、泰明殿についてお尋ねしたのですか?」
永泉の細い手首にかけられた、淡色の珊瑚の数珠が軽い音を立てた。
「そ、それがー…一応…あれから何度か使いの方に尋ねに伺ってもらってるんですけどー…全然無反応で仕事も出来ない状態だって…」

藤姫に勧められて、あかねは何度か屋敷の使いの者を晴明宅へと出向かせ、その都度泰明の様子を尋ねてみたのだが、あの事件があってからというもの、晴明の問いかけにもろくに言葉で返事もせず、気付くとぼんやりしたまま遠くを見ているだけという状態らしい。
あの時の、紅色に染まった泰明の頬の色は、彼にどんな変化を及ぼしたのだろう?
それが解明できれば、何となく泰明のことを理解できそうな気がするのだが。



■■■


今日も陰陽師・安倍晴明宅には来客が訪れている。
ここのところ、妖かしの姿があちこちで多く見られるようで、陰陽師という役職の者はどこも大忙しと言ったところなのだそうだ。
一介の陰陽師でさえ多忙な毎日である世の中、それが稀代の大陰陽師である晴明ならばそれ以上の忙しさだ。

「宅の離れにある井戸の中から、声がすると女房達がこぞって騒ぐのです」

こんな調子の妖かし退治の依頼も、日に何件もやってくる。まさか退治まで自分の姿に化けた式神を向かわせることも出来ない。様子を伺いながら、妖かしの度合いを確認しながら、弟子たちに仕事を預けざるを得ない。

晴明には、数人の弟子がいる。
しかし、その中でも泰明は異質だ。彼は他の弟子とは違う。というよりも、人間とは違うのだから。
よって、彼の力は晴明の力とほぼ同程度に当たる。
だが………そんな彼がこの調子では仕事を頼むことも出来ない。

「泰明?」
声をかけてみるが、返事もない。ぼーっとして庭をうつろに眺めている。毎日毎日、こんな具合だ。
「……隙だらけではないか★。陰陽師たるもの、そんなことじゃ怨霊に憑りつかれてもおかしくないわ★」
怨霊よりも妖かしよりも、この泰明の状態がいつまで続くか分からないのが、晴明にとっては一番恐ろしい。

気が抜けた、と言うか、魂が抜けたという表現が正しい。元々自分は人間ではなくて、この魂さえも師匠である晴明の力によって作られた、人工的なものだ。
しかし…何なのだろう。あの時から、どこかの釣り合いが不安定になっている。
この目は、遙か遠くを見ることが出来る。そして、目に見えない何かを見ることも出来る。
それなのに最近、この目が見るのは土御門の屋敷だけ。そして、そこにいる神子の姿しか見えない。


夕べも彼女は、屋敷にやってきた。そして泰明の部屋の戸を叩いた。甘く妖艶な瞳で、彼女はいつも泰明を見つめて、その細い腕を広げて泰明に身体を預ける。
強い花の香りがして、咽せながら身体を引き離すが彼女は微笑をたたえて泰明の手を取った。
「どうして逃げるの?私、泰明さんに触れたいからここに来ているのに………」
彼女の喉から出てくる声は、今までに聞いたこともない色香のある音を奏でる。そっと指先を泰明の肩へと延ばして、柔らかな唇を重ねようと顔を近づける。
「私に触れるな!。それ以上は私には無意味だ」
力を押し切って、彼女をはね除ける。ふわり、と宙に浮いたように彼女の身体が床に流れ落ちた。

「……こんなに私が泰明さんのことをお慕いしているのに、分かってくれないの?」
もどかしい瞳で自分を見るあかねから、泰明は必死に顔を反らした。
このまま彼女の瞳を見つめてしまったら、それこそ……自分は意味不明の生き物になってしまいそうな気がしたからだ。
毎夜のように、彼女は泰明の部屋にやってくる。そして結界を張るが如く、泰明はあかねとの距離を一定に保った。彼女が近寄れば、その距離の分自分が移動しながら、常に必要以上には接近しないように心がけた。
近付くことが、全ての壊滅だ。泰明は、そう感じた。
その壊滅の先に、一体何があるのかは分からないにしても。

そんな夜が何度も続くうち、さすがに泰明も寝不足がたたっていた。
おかげで、今まで以上に頭の中がぼんやりしたまま、先が見えない。
緊張の糸は完全に解けてしまい、ゆらゆらと漂うだけの視線は、目の前の庭に咲き続けている石楠花の花など見もせずに、無意識のままであかねのところに向かってしまっていた。


■■■


さて、さっきから誰も口を利こうとしない。
というか、何を言えばいいのか、どんな答えを出せばいいのか、そんなことが誰も思いつかなかったからである。
何せ、こんな状態の泰明なんて、師匠である晴明でさえ見たこともないということであるのだから、これまでさほど深い付き合いをしたわけじゃない他の八葉の者達や、あかねたちには状況を回復させる方法なんて思いつかない。

「泰明が自分から顔出すようになるまでは、無理なんじゃねーのか?」
藤姫の立てた茶をすすりながら、イノリが言う。
「でも、それを待ってたら……玄武の解放の日が過ぎちゃうかもしれないじゃない。ここまで三つの四神を解放できてたのに、玄武だけ解放できないなんて、嫌だよ」
すぐにあかねに言い返されて、イノリはそのあとに言葉を続けられなくなって頭をかいた。

庭先の藤の花が、一斉に咲き乱れて色を染める。外は小雨が朝から降り続いているために、余計に気分も盛り上がらないというものだ。
「おい、友雅」
突然天真が、蔀のそばにもたれて何も言わない友雅に声をかけた。
「あんた、何か考えがあるんじゃないのか?さっきから何も言わねぇし、どうも何か頭ん中で企んでんじゃねーかって気がするんだよな」
天真の声と同時に、一斉に皆の目が友雅に集中した。しかし友雅は全く動じずに、優雅に扇を手先で扱いながら目を伏せた。
「泰明殿がどんなことを考えておられるのか分からないのだから、他人である私が適切な答えを出せるはずないだろう?私が考えたのは、あくまでも予想のようなものさ。もしかしたら、っていう仮説から始めただけのことだよ」

静かにたたえる友雅の笑みは、余裕の光を全身から放出している。
彼の頭の中で弾き出した一つの仮説。それは一体どんなことなんだろう?
誰もが友雅の考えを知りたいと思っただろう。その空気を彼が察しないはずはない。
一拍ほどの呼吸を挟んで、友雅は開いた扇を片手で閉じた。

「そう、例えばの話だけれどね……泰明殿が神子殿に好意を抱いているとしたら、と仮説を立ててみたのだよ」

「……なに〜!?」
天真とイノリが身を乗り出して、友雅の方へ身を動かした。
「泰明殿は神子殿に、特別な好意を抱いておられる。しかしだよ、あの泰明殿であるからね、そんな感情が一体どんな意味を持っているのかも理解出来てはおられないのではないかな。だから、余計に自分でも混乱してしまって、仕事が手に着かないということになっている…なんて仮説は、如何なものだろうね?」
友雅は自分の仮説なるものを説明したあと、何も言わずにあかねの顔を笑顔のままで覗き込む。
あかねは、というと…予想通り呆然としていた。

まさか?泰明が…恋をしているというのか?しかも自分に…?
ちょっと待ってよ、あの泰明さんがまず…恋愛感情を持つなんて、そんなことあるの?
あかねの頭の中はマーブル模様になっている。色々な模様が混じって、もう元の柄さえ判別できない。
「冗談でしょ、友雅さん…泰明さんがそんなことを思うなんて……」
「あり得ない、と神子殿はおっしゃるのかい?恋という感情は、そう理性的に判断できる代物なのかな?」
友雅に言葉を挟まれて、あかねはそれ以上の言葉を呑み込んだ。

確かにそれは、友雅に反論するつもりはない。いつだって恋愛感情なんてものは、偶然の中で突如生まれて来るものだ。ただ、それに自分が自覚できるまでが長いだけである。

小鳥のさえずりが庭先から聞こえる。
几帳を持ち上げた部屋の中に、涼風が流れ込んで友雅の香りをふわりと乗せて漂わせる。
「いつだって、恋する感情は突然に生まれてくるものさ。ただ、純粋な者ほどその感情が把握出来ずに、戸惑って平然と過ごせないものなのさ。ね、そう思えばあり得ないことでもないだろう?」
そうは言うけれど…それでもやはり、はい、そうですかとはうなづけない。
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Megumi,Ka

suga