巷に花の咲く如く

 004
白磁器の杯に注ぐ透明な酒の薫り。喉を潤す晴明を恨めしそうに眺めながら、黙って天真はあかねたちとともに茶をすする。
庭の草木も揺れない、風もない青空の日。そろそろ藤の花が満開になる季節。少し暑い。
と、何で自分たちは茶を楽しんでいるんだろう?今になって気が付いた。
泰明の様子を覗きに来ただけだというのに、晴明に誘われるままに部屋に案内され、酒と茶をたしなんでいる、この和やかなひととき。ここに来た意味など、全くない。
「あ、あの…ですね!」
茶の器を手から離して、あかねは身を乗り出して晴明の顔を見つめ、この時間の流れを止めることにした。
が、晴明は全く動じずに答えた。
「まあまあ、神子殿。あなた様のここにやって参った意味は、先ほどお聞き致した。泰明をここに連れてくるように命じておるから、しばしそれまでごゆるりとして構わぬよ」
?連れてくるように命じているって…誰が?使用人でもいるのだろうか。弟子とか?まあこれだけの権力者ならば、泰明の他にいたって不思議ではないだろうし。
どうも晴明のノリに巻き込まれているような気がする。確かに、ここは晴明の屋敷であるのだから、そう感じてもしょうがないのだけれども。
全く、陰陽道とは不思議なものだ。そして、それを操る陰陽師という輩についても、ホントにまったく、存在自体が不思議でならない。

それにしても遅い。かれこれ二時間くらいになるか。
いい加減にのんびりと時間を過ごすのも終わりにしなければ。自分たちには、仕事となる怨霊退治が待っているのだから、あまり休息をとるわけにもいかない。
「おい、お師匠さんよう…ちょっと遅すぎるんじゃねえのか?泰明の奴、ホントにいるのか?」
しびれを切らして、天真が尋ねた。
「うむ…確かに時間かかかりすぎるかもしれんな。仕方あるまい、部屋の方まで出掛けてみるか」
やっと晴明はアクションを自ら起こすことを決意したらしく、杯を膳に戻して重い腰を上げた。
「いかがなさるかね、神子殿。ここで戻ってくるのを待たれるか?それとも私と共に、泰明の部屋に参るかね?」
「えっ!」
三人が思わず声を合わせて驚いた。
「泰明の部屋に行ってもいいのか?」
「構わぬよ。神子殿が来られるのなら、あいつも悪い気はせぬだろうよ」
…あの泰明の部屋に行くことが出来る。いや、別に、だからなんだというワケではないのだけれど、何せあの泰明が生活している部屋だ。泰明の生活の一部が覗けるのだ、しかも師匠の了承済みで堂々と。好奇心が膨らまないはずがない。
「ご、ご一緒します!!」
またも三人は声を合わせた。



■■■


思ったよりも、屋敷はかなり広いものだった。庭に沿った回廊をしばらく歩く。
外に広がる風景は、相変わらずの荒れ地のようなものだったけれど、その中に野生化した菖蒲の花も咲き乱れているせいか、さほど目に映る情景としては悪くはない。

「さてと。ここがお待ちかねの泰明の部屋なのだが」
晴明が立ち止まった部屋は、他の広間と全く見かけは変わらない。
しかし、住んでいるのは泰明。果たしてこの部屋の向こうは、どんな世界が広がっているんだろうか…現代の高校生&中学生は、次の展開に心躍らせる。
「泰明、私だ。邪魔するぞ」
外から一言声を掛けてから、がらりと戸を開ける。

中は、薄暗かった。それでも日差しが入るために、明かりを灯すほどではない。
がらんとした板の間が広がる。現代なら…およそ10畳ほど。あかねたちの世界のスケールで考えれば、個人の部屋としては十分広い。しかも置いてあるものなど、数えるほどしかないせいで、よけいに広い空間に見えた。
空気は冷たく、しかし淀んではいない。静かで、物音もしない。人の気配が全くない。
その中でかすかに漂うのは、深みのある香の匂い。

「蘇芳、先ほどから泰明を呼んでいるのだが、どうしたという?客人が待ちくたびれておるぞ」
長い黒髪を緩くゆわえた、十二単をまとう美しい女に晴明は問うた。
「申し訳有りませぬ。何度かお声をおかけいたしましたところ、泰明殿よりお返事を頂けませんでしたので、こうして待機しております」
「…しょうのない奴だ。主人の神子殿をお待たせするとは、なんたる無礼な…。弟子の非礼、私よりお詫び申し上げる」
晴明は軽くあかねに向かって、頭を下げた。
「あ、そ、そんなこと全然気にしてないですから!!」
この様子を巷の輩が目撃したとしたら、さぞ驚くことだろう。稀代の陰陽師に頭を下げられるなんてことは、この京では滅多にない。しかも、こんな少女の前で。

静まり返る部屋。あまりに静寂が完璧すぎて、あかねたちはかえって落ち着かない。
すると、晴明は先ほど「蘇芳」と呼んだ女性のそばに行き、彼女の肩を扇で軽く叩いた。
「もう良い。おまえは下がっておれ。私が呼んでみよう」
そう言って晴明は、屏風の向こう側へと足を踏み入れた。どうやらそちらがわに、泰明がいるらしいというのはあかねたちにも何となく察知出来た。
しかし、それにしても。自分たちが来たというのに全くの無反応。一体どうしたというのだろう。たとえいつもどおりの泰明であったとしても、何の乱れもせずに顔を出すくらいはするのじゃないか?
ますますいつもの泰明の雰囲気が感じられなくなり、あかねたちの間には妙な空気が流れた。

「おい、泰明の奴、病気にでもかかってんじゃねーのか?何だか様子が変だぜ?」
天真の小声が耳に入る。
「そんなこと言っても…ここまで押し掛けちゃったんだし、顔くらい見なきゃ心配で帰れないじゃない」
「っつーか…何か異様な感じがするんだよなぁ、俺………」
隣にずっと付き添っている詩紋も、何も言わないが、どことなく違和感の漂いには敏感に反応しているらしい。
この世界に身を寄せてから、二ヶ月ほどが過ぎている。その中で泰明たちと出逢い、幾度かの強い経験を記憶に刻み続けた今、彼の持つ独特の空気も理解できるようになったし、お互いに相手の動きを感じ取れるようになった。
だからこそ、この現在の様子は異様だと分かる。
透渡殿から風の音、それに混じって草が揺れる音も聞こえる。
床板に足を踏む音が響く。屏風の奥から晴明が顔を出した。

「ほれ、泰明、いつまでも不機嫌を引きずるのではない」
「……私は不機嫌でもなんでもない。何も問題ない」
「ああもう、どうでも構わぬ。さっさとこちらに出てこい。客人が来ておる」
少し強引に泰明の手を引っ張り上げて、晴明があかねたちの前へと泰明を連れてきた。

「おい、泰明?一体おまえ、どーかしたのか?何か変だぜ?」
先に天真が尋ねる。しかし泰明の表情は、いつもと全く変化がない。相変わらず綺麗に整って、感情のひとつさえ描き出してはいない。
「問題ないと言っているだろう。」
口振りも普段と同じである。しかし…やはり何かが違うのだ。それがどうもうまく表現できない。どこがどう違うのか。またそれも謎なのだ。
「あのー…泰明さん?でも…何か普通の泰明さんじゃないような気がするんだけど…」
あかねは幾度も泰明の異変を探そうと、目を凝らしながら尋ねた。

が。
異変は突然、目の前で起こった。

あかねが口を開いたとたん、泰明の顔を見上げたとたん、その場にいた全員が驚愕した。
泰明の顔が------------------------桜色に染まった。

「ちょっ…あの…や、泰明さ………!?」
思わずあかねは身を乗り出した。その拍子に泰明は即座に後ずさりする。桜をまとった頬の色を変えずに。
「しばらく私は所用がある。八葉の仕事には手を貸せぬ!悪いが言うのはそれだけだ!」
淡い若草色の長い髪が、ゆらりと泰明の動きに任せて宙を舞った。
そのまま泰明はあかねたちに背を向け、部屋を出ていった。どこに行くとの断りもせずに。



部屋に取り残されたのは、あかね、天真、詩紋、そして晴明。全員が声もないまま、呆然としてその場に硬直していた。
「……おい、一体泰明のヤツ…何があったんだ………?」
気力の芯が抜けたような声で、天真がつぶやいた。あかねは、どう答えていいのか分からない。と言うよりも、天真の質問をそのまま自分が言いたいのだ。こっちが聞きたい。あの泰明が………。

「あのような泰明の顔を見たのは初めてだ……」
魔物も鬼も見慣れているはずの陰陽師である晴明も、それ以上に不可思議なものを目にしたように声を漏らした。
そして三人が揃って、あかねの方を見た。
「な、何でみんな私の方を見るのよっ★」
「おまえ、龍神の神子の力で、あいつになんかやったんじゃねーのか…」
天真が疑いの目を仕掛ける。
「そ、そんなことあたしがするわけないじゃない!!泰明さんのことが心配で、ここまで来たっていうのに!反対に泰明さんをおかしくするようなことなんか、出来っこないでしょっ!!!」
天真だけではなく、晴明や詩紋にまで疑われては困る。あかねは慌てて弁解をした。
部屋の主がいなくなった部屋では、残り香だけがかすかに香る。

「ともかく…まあ、様子を見るしかないでしょうなあ…私もこんなことは初めてなものでしてな、どうすればいいのか全く検討がつきませんのだ…お恥ずかしい」
生みの親である晴明は、手に負えなくなった弟子及び子供の暴走に頭を抱えた。
こんなことは計算外のことだったので、アフターケアもすぐには思いつかない。これならまだ、怨霊退治の方がどれだけ簡単にちがいない。
「と、取り敢えず…あかねちゃん、そろそろ帰ろうよ…。このままここにいても、泰明さんに迷惑かもしれないし…」
「う、うん………そうだよ…ね」

まあ確かに、ここにやってきた意味は遂げた。泰明の顔を見ることも出来たし、様子を見ることも出来た。
だがそれ以上に、一層謎が色濃くなってしまった。
この京にうごめく怨霊の意味よりも、彼らにとっては泰明の現状の方が謎である。
***********

Megumi,Ka

suga